漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

ペテン師たち

2017年02月27日 | 歴史
坂本竜馬の若き日、
幕府軍艦奉行の勝海舟を斬るつもりで尋ねたら、

一喝されて己の蒙昧さに目が覚め、
その時より心を入れ替え弟子になったという坂本龍馬の有名な逸話がある。

これに付き、作家・大岡昇平は自身の短編で、
「これは変心を合理化するための作り話」であることを見抜いて書いている。

ここに、関門海峡で、
黒船の四カ国艦隊と戦った有名な騎兵隊の話がある。

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長州藩の諸隊は、
奇兵隊が中心になって戦ったが、戦闘は三日間で終息した。

この戦い、奇兵隊のゲベール銃に対して、
艦隊側は、新鋭のミニエー銃(ライフル銃)を装備しており、

その命中率や操作性、射程距離には格段の差があった。

それでも、
死傷者数は、双方、ほぼ同数の七十余人、

奇兵隊は白兵戦で奮闘したのである。

ただし戦争は、
大砲の威力に勝る黒船側が、長州側の砲台すべてを破壊占領し、

結果として云えば、長州藩の完敗であった。

戦いのあとの講和交渉で、
家老と偽った高杉晋作がイギリス艦へ乗り込み、

敗者とは思えぬ「傲然たる態度」をとったが、

交渉が始まると、
「相手側の言い分、すべてを、なんの抵抗もせず承認してしまった」。

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実はこの戦い、
高杉や木戸(桂小五郎)と云った長州側の首脳たちは、

戦えば負けることを承知していた。

惨敗することによって、
攘夷、つまり「異人を討ち払う」という行為が無謀であることを全藩に知らしめようとしたのである。

これにより、
名門武士の意識にこだわって

戦いともなれば、
腰に刀、供に槍持ちを従え、ヨロイで出陣でなければ、と云う、

西洋式の軍制に抵抗する、旧弊固陋な武士たちの頭を一新させたのだ。

以後、長州藩は攘夷を捨て開国へと急展開し、
装備の近代化に成功するのである。

龍馬も高杉も、時代遅れの武士たちを詐術にかけて目覚めさせたのである。






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