漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

デノミ待望論

2016年06月18日 | 政治・経済・こぼれ話
安倍首相は、以前から決まっていた消費税上げを延期するそうだが、
高々2%の消費税を延期したからといって、景気にそれほどの影響があるものだろうか。

まぁ、貧乏人にとって、
税金は安いに越したことはないが、どうせ政治家のすることだから、

予定していた収入が無くなれば、
節約なんぞと云う不人気政策はとらず、どうせ借金でまかなうのだろうが、

そのツケは将来へ回すことになる。

そのころになれば、
安倍さんも私もこの世にいないのだろうから、
「知ったこっちゃない」と思えば、まぁ、それまでのことなのだが、

安倍さんは知らず、
子や孫の居る身にとっては、そこまで開き直る気にはなれない。

借金なんて、踏み倒せばいいのさ、
と内心で思ってる政治家はともかく、小心翼々として生きている庶民は気が気ではない。

私は経済オンチで、株をやれば損ばかりしているのだが、
そんな私が首をかしげるのは、首相の政策、

なんでも首相はデフレ脱却を旗印に、
適度なインフレを目指すそうだが、

インフレと云うのは野生の猛獣のようなもので、
暴れ出したら手に負えず、コントロールし難い、と思ってる私には、

「適度なインフレ」なんてものは、
「ライオンで田畑を耕す」、みたいな危なっかしい計画にしか思えない。

それに付けても不思議なのは、
大新聞もテレビに出て来る経済評論家も、

首相の云うデフレ脱却には異論を挟まないのに、
増税を見送ったら、国家財政が破たんするといい、

まあ、アベノミクスは失敗だと云う。

では、アベノミクスをやめて、増税すればいいのか、といえば、そんなことは言わない。

つまり、その手段にケチをつけるばかりで、
さてこそとばかりに自分の抱負を言わないのは不思議なことだ。

つまり、あれもダメだ、これもダメだ、とは云う評論家や学者はいても、
こう云う良い経済政策がある、と云う人を見たことが無い。

むかし、世界銀行であったか、IMFであったか、
国際的な金融組織の玄関先に、

各国の基準通貨の並ぶ額が掲示されていたそうだが、
そこには、ドルやポンドに混じって、当然ながら、円もあった。

処が、そのに1ドル紙幣や、ポンド紙幣に並ぶ、
当時最強を歌われた「日本の基準通貨」が、

ナント、“1円アルミ貨”

日の出の勢いの日本経済を背景に出席した人は、
そのアルミ貨の貼り付けられた額を見ると、たちまち「デノミ論者」になったと云う話がある。

つまり、100円を1円にして、
アメリカで5ドルのハンバーガーなら、

500円出すのではなく、5円で買えるようにしたい、と云う分けである。

それなのに、デノミが行われなかったのは、
新聞やテレビ、あるいは経済の専門家の中に、

「デノミを行えばインフレになる」と云う論が強かったからだ。

当時はまだ、石油ショックの記憶などもあり、
「インフレ=悪」だった。

結局、デノミを推し進めようとした当時のパパ福田政権も腰砕け、
デノミは行われなかった。

だから、現在でも、
円の基準通貨は1円アルミ貨のまま。

私は思うのだが、
首相も世論も適度なインフレを善しとするのなら、

ここは一番、デノミネーションを行えばいいではないか。

現在の100円を1円とすれば、
円の基準通貨は今の100円硬貨となる。

100円硬貨なら立派、とまでは思わぬが、1円アルミ貨よりはましだろう。

現在のレートは、1ドルは100円に近づいている。

これなら、1ドルが1円と云うことになり、1円硬貨も胸を張れる。
たかが通貨単位を変えただけで、無制限のインフレに突入することもなかろう。

ところが、アラ不思議、
政治家も経済人も、大新聞もテレビもそんなことを言う人は見当たらない。

デノミで、適度なインフレになるなら、こんな結構なことはないではないか。
と思うのだが、これは素人ゆえの暴論なのだろうか。

学者や評論家、大新聞の記者さまたちよ、

あの時、「デノミはインフレを誘う」、などと言ったのは、
何の根拠もない、「反対のための反対論」だったのでしょうか。







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