安倍首相は、以前から決まっていた消費税上げを延期するそうだが、
高々2%の消費税を延期したからといって、景気にそれほどの影響があるものだろうか。
まぁ、貧乏人にとって、
税金は安いに越したことはないが、どうせ政治家のすることだから、
予定していた収入が無くなれば、
節約なんぞと云う不人気政策はとらず、どうせ借金でまかなうのだろうが、
そのツケは将来へ回すことになる。
そのころになれば、
安倍さんも私もこの世にいないのだろうから、
「知ったこっちゃない」と思えば、まぁ、それまでのことなのだが、
安倍さんは知らず、
子や孫の居る身にとっては、そこまで開き直る気にはなれない。
借金なんて、踏み倒せばいいのさ、
と内心で思ってる政治家はともかく、小心翼々として生きている庶民は気が気ではない。
私は経済オンチで、株をやれば損ばかりしているのだが、
そんな私が首をかしげるのは、首相の政策、
なんでも首相はデフレ脱却を旗印に、
適度なインフレを目指すそうだが、
インフレと云うのは野生の猛獣のようなもので、
暴れ出したら手に負えず、コントロールし難い、と思ってる私には、
「適度なインフレ」なんてものは、
「ライオンで田畑を耕す」、みたいな危なっかしい計画にしか思えない。
それに付けても不思議なのは、
大新聞もテレビに出て来る経済評論家も、
首相の云うデフレ脱却には異論を挟まないのに、
増税を見送ったら、国家財政が破たんするといい、
まあ、アベノミクスは失敗だと云う。
では、アベノミクスをやめて、増税すればいいのか、といえば、そんなことは言わない。
つまり、その手段にケチをつけるばかりで、
さてこそとばかりに自分の抱負を言わないのは不思議なことだ。
つまり、あれもダメだ、これもダメだ、とは云う評論家や学者はいても、
こう云う良い経済政策がある、と云う人を見たことが無い。
むかし、世界銀行であったか、IMFであったか、
国際的な金融組織の玄関先に、
各国の基準通貨の並ぶ額が掲示されていたそうだが、
そこには、ドルやポンドに混じって、当然ながら、円もあった。
処が、そのに1ドル紙幣や、ポンド紙幣に並ぶ、
当時最強を歌われた「日本の基準通貨」が、
ナント、“1円アルミ貨”
日の出の勢いの日本経済を背景に出席した人は、
そのアルミ貨の貼り付けられた額を見ると、たちまち「デノミ論者」になったと云う話がある。
つまり、100円を1円にして、
アメリカで5ドルのハンバーガーなら、
500円出すのではなく、5円で買えるようにしたい、と云う分けである。
それなのに、デノミが行われなかったのは、
新聞やテレビ、あるいは経済の専門家の中に、
「デノミを行えばインフレになる」と云う論が強かったからだ。
当時はまだ、石油ショックの記憶などもあり、
「インフレ=悪」だった。
結局、デノミを推し進めようとした当時のパパ福田政権も腰砕け、
デノミは行われなかった。
だから、現在でも、
円の基準通貨は1円アルミ貨のまま。
私は思うのだが、
首相も世論も適度なインフレを善しとするのなら、
ここは一番、デノミネーションを行えばいいではないか。
現在の100円を1円とすれば、
円の基準通貨は今の100円硬貨となる。
100円硬貨なら立派、とまでは思わぬが、1円アルミ貨よりはましだろう。
現在のレートは、1ドルは100円に近づいている。
これなら、1ドルが1円と云うことになり、1円硬貨も胸を張れる。
たかが通貨単位を変えただけで、無制限のインフレに突入することもなかろう。
ところが、アラ不思議、
政治家も経済人も、大新聞もテレビもそんなことを言う人は見当たらない。
デノミで、適度なインフレになるなら、こんな結構なことはないではないか。
と思うのだが、これは素人ゆえの暴論なのだろうか。
学者や評論家、大新聞の記者さまたちよ、
あの時、「デノミはインフレを誘う」、などと言ったのは、
何の根拠もない、「反対のための反対論」だったのでしょうか。
高々2%の消費税を延期したからといって、景気にそれほどの影響があるものだろうか。
まぁ、貧乏人にとって、
税金は安いに越したことはないが、どうせ政治家のすることだから、
予定していた収入が無くなれば、
節約なんぞと云う不人気政策はとらず、どうせ借金でまかなうのだろうが、
そのツケは将来へ回すことになる。
そのころになれば、
安倍さんも私もこの世にいないのだろうから、
「知ったこっちゃない」と思えば、まぁ、それまでのことなのだが、
安倍さんは知らず、
子や孫の居る身にとっては、そこまで開き直る気にはなれない。
借金なんて、踏み倒せばいいのさ、
と内心で思ってる政治家はともかく、小心翼々として生きている庶民は気が気ではない。
私は経済オンチで、株をやれば損ばかりしているのだが、
そんな私が首をかしげるのは、首相の政策、
なんでも首相はデフレ脱却を旗印に、
適度なインフレを目指すそうだが、
インフレと云うのは野生の猛獣のようなもので、
暴れ出したら手に負えず、コントロールし難い、と思ってる私には、
「適度なインフレ」なんてものは、
「ライオンで田畑を耕す」、みたいな危なっかしい計画にしか思えない。
それに付けても不思議なのは、
大新聞もテレビに出て来る経済評論家も、
首相の云うデフレ脱却には異論を挟まないのに、
増税を見送ったら、国家財政が破たんするといい、
まあ、アベノミクスは失敗だと云う。
では、アベノミクスをやめて、増税すればいいのか、といえば、そんなことは言わない。
つまり、その手段にケチをつけるばかりで、
さてこそとばかりに自分の抱負を言わないのは不思議なことだ。
つまり、あれもダメだ、これもダメだ、とは云う評論家や学者はいても、
こう云う良い経済政策がある、と云う人を見たことが無い。
むかし、世界銀行であったか、IMFであったか、
国際的な金融組織の玄関先に、
各国の基準通貨の並ぶ額が掲示されていたそうだが、
そこには、ドルやポンドに混じって、当然ながら、円もあった。
処が、そのに1ドル紙幣や、ポンド紙幣に並ぶ、
当時最強を歌われた「日本の基準通貨」が、
ナント、“1円アルミ貨”
日の出の勢いの日本経済を背景に出席した人は、
そのアルミ貨の貼り付けられた額を見ると、たちまち「デノミ論者」になったと云う話がある。
つまり、100円を1円にして、
アメリカで5ドルのハンバーガーなら、
500円出すのではなく、5円で買えるようにしたい、と云う分けである。
それなのに、デノミが行われなかったのは、
新聞やテレビ、あるいは経済の専門家の中に、
「デノミを行えばインフレになる」と云う論が強かったからだ。
当時はまだ、石油ショックの記憶などもあり、
「インフレ=悪」だった。
結局、デノミを推し進めようとした当時のパパ福田政権も腰砕け、
デノミは行われなかった。
だから、現在でも、
円の基準通貨は1円アルミ貨のまま。
私は思うのだが、
首相も世論も適度なインフレを善しとするのなら、
ここは一番、デノミネーションを行えばいいではないか。
現在の100円を1円とすれば、
円の基準通貨は今の100円硬貨となる。
100円硬貨なら立派、とまでは思わぬが、1円アルミ貨よりはましだろう。
現在のレートは、1ドルは100円に近づいている。
これなら、1ドルが1円と云うことになり、1円硬貨も胸を張れる。
たかが通貨単位を変えただけで、無制限のインフレに突入することもなかろう。
ところが、アラ不思議、
政治家も経済人も、大新聞もテレビもそんなことを言う人は見当たらない。
デノミで、適度なインフレになるなら、こんな結構なことはないではないか。
と思うのだが、これは素人ゆえの暴論なのだろうか。
学者や評論家、大新聞の記者さまたちよ、
あの時、「デノミはインフレを誘う」、などと言ったのは、
何の根拠もない、「反対のための反対論」だったのでしょうか。