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ロヴィニ その2

2010年09月08日 | クロアチア
14時前 頂上
3つ窓がついてるところに、赤い服を着た人が・・・
どうやら、掃除をしてるよう

鐘楼の高さ50m
ヴェネツィアの聖マルコ大聖堂の鐘楼の高さの半分


聖エウフェミア教会


                   聖エウフェミアの銅像。
                   車輪で拷問されてため、シンボルとして車輪をもち
                   信仰の勝利の印であるシュロの葉を持ってる。
                   





教会の中の絵画。

聖母殉教の場面
290年



不思議な少年が現われ、子牛に石棺を引かせた場面


          

聖女エウフェミアの伝説(旅名人ブックス:クロアチア より一部抜粋)
聖エウフェミア教会は、イストラ地方で一番大きなバロック教会。
この教会を有名にしているのは、聖女エウフェミア。
教会には聖女伝説とともに聖女の遺体を収めた石棺が残っている。

エウフェミアは290年生まれ。ディオクレディアヌス帝の時代に迫害され、
304年9月16日、車輪で拷問された上、円形闘技場でライオンにかみ殺され
殉教したとされている。その時エウフェミアは、まだ15歳の少女であった。
ライオンは飢えて気がたっていたのに、彼女を殺したものの、
そのまわりを途方にくれてうろうろとまわるだけで、それ以上彼女に
近づくことも食べることもできず、観客を驚かせた。

彼女の遺体は、故郷カルケドン教会に納められていたが、
町がペルシャ人に占領されたため、7世紀初めコンスタンチノープルに移された。
伝説によると、800年7月のある暗い嵐の夜、彼女の遺体を納めた石棺が
コンスタンチノープルから忽然と消え、この町の沖合いに光りのボートに
のせられ現われたという。
村人は何頭もの馬や雄牛を使って石棺を岸に引き上げようとしたが、
重すぎて引き上げることができなかった。
するとどこからともなく幼い少年が二頭の子牛と共に現われ、
石棺を引き上げた。力の弱い子牛がたった二頭で石棺を動かしたことに
村人は驚き、そこに神の意志が働いたと考えた。

石棺は丘の上の聖ユライ教会に奉られ、それ以来この教会は聖女エウフェミアと
呼ばれるようになった。教会には、今もその石棺がおかれて
聖女エウフェミアの伝説にまつわる、二枚の絵が飾られている。
また、毎年エウフェミアの殉教日の9月16日には、各地から巡礼者が集まる。