「糾す会」からのメールを読んで心底驚きました。
>現主教の高地敬も被害者の支援団体を目の敵にしています。
>先日も何のアポイントもとらず、突然現場教会に在籍している
>実兄に面会に訪れ(平日)、私(実弟、糾す会責任者)に対す
>る脅しとも取れることをまくし立てて帰ったそうです。
>名誉毀損で訴えるとか、学生時代に学生運動に参加していたとか
>48年前の若い時の関係ないことを並べ立て、一体この人は何を
>言いたいのであろうか?
48年前は高地主教はまだ幼児だったのではないでしょうか。
1959年、1960年の政治的混乱期です。そして、昨日の新聞のサイトには、1969年に日本の政府とアメリカ政府の間にあった密約の記事が出ていました。信夫隆司日大教授が、この夏アメリカの公文書館でそのメモを入手したそうです。内容は「返還後の沖縄への核兵器持ち込みと繊維問題に関する日米間の秘密合意」に関するものでした。外務省はその密約を否定しているそうですが。
アメリカの教会の中には、日本に対して原爆が投下された直後に、トルーマン大統領に抗議のメッセージを送っていた教団があります。その時のトルーマン大統領からの返信電報が、一昨年、その教団の事務所の倉庫から発見されました。「ビースト」と日本人を呼んでいます。「ビーストに対しては、ビーストなりの対応の仕方がある」という内容のものでした。彼らはそれ以後、現在でも核兵器に対する反対運動を続けています。
そして、日本は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核三原則」を打ち立てました。しかし、沖縄返還時に、沖縄にもこれが適用されるのかということに対し、自民党内でも分裂をきたした程に、日本中で大きな問題になりました。
しかし、この密約のメモは1969年のものです。
日本の教会もこのことを真剣に考えている教会があります。
高地主教はこうした歴史をご存知ないのかもしれません。それとも、日本も核兵器を持つべきだ、作るべきだとお考えなのでしょうか。あるいは、教会は信仰の場所だから、そうした政治的問題については各自が自由に考えて下さいと語る一方で、核武装論を蔭で支持していくのでしょうか。
事務所に、しばらく前にアフリカの神戸俊平さんから「ナイロビ通信」が来ていました。その中には、今年の6月にあったワシントン条約会議のことが出ていました。この会議で、象牙の日本向け輸出のみ一部解禁が決定したそうです。アフリカ象の乱獲が始まりそうだと心配されています。ワシントン条約の正式名称は「絶滅の危機に瀕する野生動植物の種の国際商取引に関する国際条約」です。日本人は象牙が好きです。象牙の印鑑を持っていることがある種のステータス・シンボルになっています。しかし、神様の想像の秩序は、確かに進化を伴ってはいるのですが、人間の我が侭で崩してしまっていいものでしょうか。
フェミニズムが創造の秩序に反するものであることは、誰にでもお判り頂けることだと思っていますが、人間による環境破壊もまた神様の創造の秩序に反するものではないでしょうか。
日本の教会で、拉致問題を真剣に考えている教会はどれくらいあるでしょうか。そして、今でも拉致される可能性が残されていることを、どれくらいのクリスチャンがご存知でしょうか。そして、拉致問題に対して日本の政府に働きかけている教会はどれくらいあるでしょうか。
差別は今でも悲惨な状態を呈しています。あるいは、他国人に差別は見えているのでしょうか。教会は、そうした問題に目を瞑っていないでしょうか。あの「良きサマリヤ人の譬え」の中の3人のうち、どの生き方を願っているでしょうか。
礼拝堂に車椅子のまま入ることが可能な教会はいくつあるでしょうか。もちろん自走してのことです。「みんなで手伝ってあげてるから」という言葉がまだ語られていないでしょうか。
陪餐するところまで、車椅子で行けますか?車椅子の方や、階段の上り下りが困難な方は、段の下で受けていらっしゃいませんか?知的障害者の方々の洗礼に対する神学をきちんと築き上げていらっしゃいますか?どんなに「高尚」な神学も、ここを欠落させたら、少なくともあのキリストの十字架からはほど遠いものになってしまわないでしょうか。
世界の中で起こっている福音に反する出来事に対して、キリスト教の聖職が発言することは、当然のことではないでしょうか。教会の教理は、神論だけではありません。キリスト論と聖霊論を常に含んでいなければなりません。でないと、あのマザー・テレサのお働きさえもが後退してしまうのではないでしょうか。聖職が、人間の現実に対する発言をするのは当然のことです。「耳ざわりのいい話」をするだけならば、聖書もサクラメントもその意味を失ってしまいます。
主イエスが十字架にかかられたのは、誰のためだったのでしょうか。
>現主教の高地敬も被害者の支援団体を目の敵にしています。
>先日も何のアポイントもとらず、突然現場教会に在籍している
>実兄に面会に訪れ(平日)、私(実弟、糾す会責任者)に対す
>る脅しとも取れることをまくし立てて帰ったそうです。
>名誉毀損で訴えるとか、学生時代に学生運動に参加していたとか
>48年前の若い時の関係ないことを並べ立て、一体この人は何を
>言いたいのであろうか?
48年前は高地主教はまだ幼児だったのではないでしょうか。
1959年、1960年の政治的混乱期です。そして、昨日の新聞のサイトには、1969年に日本の政府とアメリカ政府の間にあった密約の記事が出ていました。信夫隆司日大教授が、この夏アメリカの公文書館でそのメモを入手したそうです。内容は「返還後の沖縄への核兵器持ち込みと繊維問題に関する日米間の秘密合意」に関するものでした。外務省はその密約を否定しているそうですが。
アメリカの教会の中には、日本に対して原爆が投下された直後に、トルーマン大統領に抗議のメッセージを送っていた教団があります。その時のトルーマン大統領からの返信電報が、一昨年、その教団の事務所の倉庫から発見されました。「ビースト」と日本人を呼んでいます。「ビーストに対しては、ビーストなりの対応の仕方がある」という内容のものでした。彼らはそれ以後、現在でも核兵器に対する反対運動を続けています。
そして、日本は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核三原則」を打ち立てました。しかし、沖縄返還時に、沖縄にもこれが適用されるのかということに対し、自民党内でも分裂をきたした程に、日本中で大きな問題になりました。
しかし、この密約のメモは1969年のものです。
日本の教会もこのことを真剣に考えている教会があります。
高地主教はこうした歴史をご存知ないのかもしれません。それとも、日本も核兵器を持つべきだ、作るべきだとお考えなのでしょうか。あるいは、教会は信仰の場所だから、そうした政治的問題については各自が自由に考えて下さいと語る一方で、核武装論を蔭で支持していくのでしょうか。
事務所に、しばらく前にアフリカの神戸俊平さんから「ナイロビ通信」が来ていました。その中には、今年の6月にあったワシントン条約会議のことが出ていました。この会議で、象牙の日本向け輸出のみ一部解禁が決定したそうです。アフリカ象の乱獲が始まりそうだと心配されています。ワシントン条約の正式名称は「絶滅の危機に瀕する野生動植物の種の国際商取引に関する国際条約」です。日本人は象牙が好きです。象牙の印鑑を持っていることがある種のステータス・シンボルになっています。しかし、神様の想像の秩序は、確かに進化を伴ってはいるのですが、人間の我が侭で崩してしまっていいものでしょうか。
フェミニズムが創造の秩序に反するものであることは、誰にでもお判り頂けることだと思っていますが、人間による環境破壊もまた神様の創造の秩序に反するものではないでしょうか。
日本の教会で、拉致問題を真剣に考えている教会はどれくらいあるでしょうか。そして、今でも拉致される可能性が残されていることを、どれくらいのクリスチャンがご存知でしょうか。そして、拉致問題に対して日本の政府に働きかけている教会はどれくらいあるでしょうか。
差別は今でも悲惨な状態を呈しています。あるいは、他国人に差別は見えているのでしょうか。教会は、そうした問題に目を瞑っていないでしょうか。あの「良きサマリヤ人の譬え」の中の3人のうち、どの生き方を願っているでしょうか。
礼拝堂に車椅子のまま入ることが可能な教会はいくつあるでしょうか。もちろん自走してのことです。「みんなで手伝ってあげてるから」という言葉がまだ語られていないでしょうか。
陪餐するところまで、車椅子で行けますか?車椅子の方や、階段の上り下りが困難な方は、段の下で受けていらっしゃいませんか?知的障害者の方々の洗礼に対する神学をきちんと築き上げていらっしゃいますか?どんなに「高尚」な神学も、ここを欠落させたら、少なくともあのキリストの十字架からはほど遠いものになってしまわないでしょうか。
世界の中で起こっている福音に反する出来事に対して、キリスト教の聖職が発言することは、当然のことではないでしょうか。教会の教理は、神論だけではありません。キリスト論と聖霊論を常に含んでいなければなりません。でないと、あのマザー・テレサのお働きさえもが後退してしまうのではないでしょうか。聖職が、人間の現実に対する発言をするのは当然のことです。「耳ざわりのいい話」をするだけならば、聖書もサクラメントもその意味を失ってしまいます。
主イエスが十字架にかかられたのは、誰のためだったのでしょうか。