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欧米人の書かない捕鯨問題 (再)

2015年11月11日 | 日記
欧米人の書かない捕鯨問題

               山田 海人
 親しみを感じるクジラやイルカは私達と同じ哺乳動物で温かい体温とおへそや乳頭ももっている。 日本でいえば江戸時代に欧米ではとんでもないクジラの殺戮を行って絶滅に追い込んでいった。

欧米では16世紀ごろからクジラの油をいろいろな産業で使うようになった。当時の鯨油は灯火用、ろうそく、石鹸、マシン油、潤滑油、革の防水処理、製薬の合成物、火薬など産業革命によって大きな需要が期待される大切な原料だった。

鯨油は樽に入れられバーレル(樽の意味)単位で運ばれ、取引されていた。まるで今の石油取引のようだ。

当時の欧米の照明は鯨油を灯すランプで、街中の街灯(ロンドン市内だけでも100を超えていたようだ)、室内の灯りなど膨大な量のランプがあって、これを灯すために鯨油の需要は高まっていった。 欧米の家庭のランプは鯨油ランプで各家庭は数か所も使っていた。このころ、日本は菜種油の燈明皿を灯していた。このため膨大な量の鯨油を採るために何万頭ものクジラを捕獲していた。しかし市民はこの灯油がクジラの油と知らずに使って罪の意識はなかったという。

鯨油をとるための捕鯨船は米国、英国、ノルゥエーなどが運航していた。具体的な数字は1848年のデータでは米国の捕鯨船は735隻にもなって大西洋、太平洋のクジラを乱獲していた。

当時の捕鯨は原則的に次のように行われていた。捕鯨船はボートを降ろして遊泳しているクジラに銛を刺してクジラを捕り、捕鯨船の船縁に死んだクジラを結びつける。 死んだクジラの皮をはがして皮だけを捕鯨船に取り込む。 クジラの身体はロープを外して海へ捨てられていた。取ったクジラの皮を釜で炊いて鯨油をとる。鯨油は樽に入れて船蔵に保管し用意した樽の数だけクジラを捕続けた。鯨油の入った樽の数は記録されているが、クジラの種類、頭数、大きさ、オス、メスなどの記録は残っていない。 少なくとも捕鯨船の航海日誌には情報が残っていると思うのだが。

つまり欧米の捕鯨ではクジラの種類と捕獲数というより、石油と同じバーレル(樽)で数えていた。 大切な生き物をその油の量でしか数えていなかったということは生き物への敬意が見られない、愚かな行為だ。
当時、家の灯りをともしていた鯨油のことを欧米の市民はクジラから絞り出した油だと知らされていなかったと知識人は言うのだが本当だろうか?だから鯨油を使う時に罪の意識はなかったという。私には言い訳に聞こえてしょうがない。今の欧米市民のようにクジラに対して親しみや思いやりを感じていれば絶滅に追い込んだ捕鯨は行われなかったはずだ。 
クジラが多く生息する極域へ航海できるようになった最近のことだ。1930~31年に欧米41隻の捕鯨船が短期間に3万4千頭ものシロナガスクジラなどを捕獲して絶滅に追い込んでいった。

クジラを救ったのは石油開発だった。アメリカでは1859年ペンシルバニア州で石油の採掘がはじまった。さらに1861年の南北戦争で捕鯨に出動する機会が減ってきた。20世紀になって石油の採掘量が増え、鯨油の価格が下がり過激な捕鯨活動は抑えられてきた。

英国の自然保護 英国やドイツは牧畜のために生息していたクマを300年ほど前に絶滅させた経緯がある。日本は今でもクマ2種類と共存している。我々日本人は野生動物と共生の道を歩んできた素晴らしい実績がある、欧米では野生動物に過激な対応をしてきた歴史があって今の自然保護の考えが生まれている。 



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