海人の深深たる海底に向いてー深海の不思議ー

地球上の7割を占める海。海の大半は深海。深海生物、潜水調査船など素晴らしい深海の秘蔵画像を紹介。奇抜・奇妙な姿に驚愕!!

深海へ潜る 鎌倉時代の法語

2018年09月17日 | 日記

深海へ潜る 鎌倉の古い言い伝え  山田 海人

 鎌倉時代の円覚寺の高僧は、座禅を極めると、身体
から離れて、「深深たる海底に向かって行く」と言う
法話があります。
 独ひとり深深たる海底に向かって行く、海面には
潜った波紋が堂々と広がっている、一般の人は海面の波紋
しか見ることができないが、海中へ潜った人は、深海で「龍の
球」が神々しく夜光を発している様子を見ることができる。と言う
800年前の大切なお言葉です。


シーラカンス 発見のドラマ !!

2018年09月16日 | 日記

 最近の科学の歴史を見ると海洋生物部門で大きな発見は2件報告されています。それはシーラカンスの発見(1938年)とガラパゴス沖での化学合成生物群集の発見(1977年)です。このようにシーラカンスの発見は20世紀の大きな発見となりました。この発見には大きな感動やドラマがいくつかありますので紹介しましょう。

はじめに  7000万年前に絶滅したと考えられていたシーラカンス(少なくとも3億8000万年間存在している古代の魚)は、南アフリカの北東海岸沖の浅い海域に生息しているのが1938年発見され、1998年にはそこから遠く離れたインドネシアで別種のシーラカンスが発見されたのでした。
シーラカンス(Coelacanth):3億8千万年前の地層からも化石が発見され、生きた化石として有名、水深150m~700mの深海に生息している。雄170センチ、雌200センチで卵胎生、肉食で魚やイカを食べている。


1.1938年の発見  マージョリー・コートニー・ラティマー(Marjorie Courtenay-Latimer)女史 は、南アフリカのイーストロンドン博物館の若い学芸員でした。彼女は、魚類のコレクションを担当しており、標本の入手について地元の漁師と幾度も相談したり、入手についての詰めを行っていました。
 そんな折り、1938年12月22日、ラティマー女史はグーセン氏のトロール船を見に行ったのでした。その時、大きなクリスマスプレゼントが贈られるとは知りませんでした。トロール船にはチャラムナ(Chalumna)川の河口付近で獲られた魚が山積みされていました。ラティマー女史はその中に、偶然青い鰭だけが突き出ているのを見つけたのでした。

 何か大事なものがある!と感じ、上にのっかっていた魚をどかすと、かつて見たこともないほど美しい魚が現れたのです。これは何と言う魚なのか想像すらできません。しかし、保存しなくてはならない貴重な魚と直感したのです。

 この奇妙な魚は長さ1.5mほどありました。そして近くの町の死体安置所にある冷蔵庫(当時貴重な冷蔵庫はここだけでした)へ入れ、ホルマリンを浸した布で包んで保存したのです。このようなラティマー女史の行動は自分自身でその魚から得た大きなエネルギーで動いていたのでしょう。しかし、数日後冷蔵庫を開けてみると残念ながら一部が腐りかけていました。やむをえず剥製にすることとし、表皮など一部だけを保存することとしました。

 彼女はその魚を博物館関係者に見せたところ「"変わったロックコッド"ではないか」と、ことの偉大さに気が付いてくれません。ラティマー女史は奮起して、グレアムズタウンのロードス大学でJ.L.B.スミス教授、そして魚類の専門家などのもとへスケッチと記述を送りその魚を照会したのです。

 それを受け取ったスミス教授は、絶滅したシーラカンスの姿を正確に記載している絵をみて驚愕し、凄い!直ぐに内蔵を保存するように電報を打ったのでした。そして急いで、スミス教授はニューロンドンへ行き、シーラカンスであると告げたのです。それは1939年2月16日のことでした。

 この時シーラカンスのサンプルを前にしてラティマー女史とスミス教授の世紀の発見の感動と興奮の様子はどれほど大きかったでしょうか。この発見によって魚は、発見者および発見場所に敬意を表して Latimeria chalumnae と命名されました。

 この発見以降、スミス教授は南アフリカの周辺海域を捜索し、ポスターで情報収集したのですが、次にシーラカンスの標本を手に入れることができたのは何と14年後のことでした。(このことからもラティマー女史がいかに幸運の持ち主であったことが伺えます。)

 1952年12月20日に、重さ88ポンド(約40㎏)の個体が捕らえられ、それが飛行機で運ばれ、ついに手にしたスミス教授は14年間も待ったあまりの感激に涙が止まらなかったと述べています。その後、約200個体が捕獲され。その大半はマダガスカルの北西の海岸沖のコモロ諸島のうちの2海域(西インド洋)で捕獲され、他は数匹の南アフリカ、モザンビークおよびマダガスカルから捕らえら、半分が科学的な研究に使われたそうです。

 これらの実績から、シーラカンスの全数は500匹程度と考えられています。したがって1989年最も絶滅の恐れのある絶滅危惧Ⅰ類の種として登録されています。これにより博物館へ展示する標本としても捕獲・持ち出しが規制されたのでした。


2.1998年インドネシアでの発見  インドネシアでの発見にはアメリカ人の若い科学者 Mark Erdman とその妻 Amaz の活躍がありました。その出会いは新婚旅行の時でした。9月のある日インドネシアのマナド(Manado)の市場で水揚げされた魚が木箱で運ばれている様子を見ていた妻は奇妙なシーンに身体がこわばりました。木箱から数本の太くて短い鰭を出していて、身体が重装備のような魚を見つけたのです。そして急ぎ夫に変わった魚がいると伝えたのでした。
 夫の科学者マークは、インドネシアでシャコ類に関する研究でカリフォルニア大学バークレー校において最近PhDを取った海洋生物学者でした。彼は、直ぐにシーラカンスと分かり、流暢な現地語で話しかけ、写真を撮りました。旅先のことでもあり、買い取れない金額ではなかったのでしょうがその時は漁師の名前を聞いたり、その魚についての聞き取りで終わったのでした。

 しかし、マークは西インド洋にしかいないシーラカンスと知っていたので、漁師にどこで獲ったのか聞いたところ近くの海と言うことで驚き、シーラカンスが太平洋西部で捕獲されたと深く興味を引かれたのでした。(この時、新婚旅行の写真としてシーラカンスの画像をwebサイトに掲載してしまったので、すでに公表されてしまったとネイチャー、ナショナルジオグラフィック、スミソニアンは二の足を踏み、大きな発見のニュースは後に回されてしました。)

 そしてバークレーへ戻って詳しく調べ、約6,000マイル離れていることから詳しい調査が大切と論文を書くことを決めたのです。そしてインドネシアに戻り、彼が市場で会った漁師を見つけ、シーラカンスがインドネシアの水域で捕らえられたかどうか断定することから始めました。彼は、7年間そのエリアのサンゴ礁のエコロジーを勉強しており、言語が流暢で、約200人の漁師から聞き取り、これまで水揚げされた三カ所の市場などを絞り込みました。

 そしてシーラカンスのインドネシアでの発見を論文にまとめるために、科学的標本の入手、特に絶滅危惧種であるシーラカンス、高額でなく適正な金額での標本の提供、当然、スミソニアンは興味を持っていました。

 もし標本が手に入ったら、まずすべき事としてDNA分析のために組織サンプルを得ることでした。それらのサンプルは、インドネシアのシーラカンスがコモロの標本と同じ種のメンバーかどうか決めるのに役立つでしょう。このため、組織サンプルの格納のための液体窒素コンテナーを用意し、スミソニアンは、良好な標本が維持できるよう資金も提供しました。

 そして、ついにチャンスが訪れたのは7月30日の朝です。Manado-TuaのComoro島沖で漁師によってセットされた深い水深のサメ・ネットの中にシーラカンスはいたのです。夕暮れにセットされ、夜明けに上げられたネットは長さ約330フィート(約100m)および高さ33フィート(10m)で、水深約400フィート(122m)から重さ64ポンド(約30㎏)、4フィート(1.2m)のシーラカンスが掛かっていたのです。漁師はまだ生きている魚をマークの近隣の島の海岸線に沿った家へ持って来ました。

 魚は、raja laut (King of the sea 海の王)としてローカルに呼ばれており、見たところでは、数年間年間2~3匹の割合で捕らえられています。魚は、マークと妻がその色彩、フィン動作および一般行動を写真のようにドキュメント化することを可能にして、ほぼ6時間生きていました。表面的に、それは、青みを帯びているのではなく、背景色が褐色を帯びた灰色だったという点を除いて、コモロで見つかったものと同じに見えました。

 マークは、博物館 Zoologicum Bogoriense、サイエンス(LIPI)の Indonesian 研究所の一部(MZB)に標本を寄贈しました。マークの発見に関する報告書をもとに、1998年9月24日のプレス・リリースおよび後の世界的な注意に結びつきました。そして後にインドネシアのシーラカンスが新しい種(Latimeria menadoensis)として登録されました。これはスミス博士の60年記念祭の祝賀のために登録されたものです。


3.シーラカンスの撮影  世紀の発見であるシーラカンスは絶滅危惧種として保護されています。そこで最も貴重なシーラカンスを撮影しようと危険を冒すカメラマンもいて、これまでに撮影にあたったダイバーが残念ながら命を落とした人もいます。
 南アフリカのシーラカンスの撮影は、最近、数年にわたって活発で1998年6月にRiaan Bouwer。46歳。2000年10月28日に、3人のダイバーが、104mまで潜水し、シーラカンスを見つけました。11月27日に、洞穴から洞穴へ移動して、3匹のシーラカンスを見つけました。最大のものは1.5~1.8mでした、他は1m以下でした。魚は頭を下にして泳ぎ、棚から離れて餌を食べるように見えました。カメラマンはビデオ映像および写真を撮影しました。その後、デニス・ハーディング(34才)は首の痛みを訴えて、ボート上で死亡しました。しかしながら、撮影された映像は南アフリカで大きなニュースとなりました。

 2002年3月4月には、潜水船Jagoを潜航させ、15匹のシーラカンスを観察しました、その内1匹は組織サンプルを針プローブで取ることにも成功しました。
                  山田  海人