海人の深深たる海底に向いてー深海の不思議ー

地球上の7割を占める海。海の大半は深海。深海生物、潜水調査船など素晴らしい深海の秘蔵画像を紹介。奇抜・奇妙な姿に驚愕!!

トリエステの世界最深部への挑戦

2018年10月28日 | 日記
トリエステの世界最深部への挑戦    山田 海人

世界で最も深い場所、それはマリアナ海溝チャレンジャー海淵の10,920mです。この最深部へ挑戦したのはアメリカ海軍の有人潜水調査船「トリエステTRIESTE」でした。1960年、当時のアメリカは有人宇宙のように地球最深部までの有人潜水船の能力を実証することです。人類がたった一度挑戦し、これからも当分行われることのない地球最深部への挑戦、ジャック・ピカールとドン・ウォルシュのハラハラドキドキの潜航を詳しく紹介いたします。

1.はじめに
 (深海の高水圧)
 皆さんご存じのように地球の表面の70%は海で占められています。そして海の平均水深は3,800mもあって海のほとんどが未知なる深海です。その最深部がマリアナ海溝の10,920mです。深海へ潜るには深海特有の高い水圧と戦わなければなりません。水圧は水深10m毎に1気圧ずつかかりますので、水深100mでは1平方センチに10キログラム、水深1,000mでは100キログラム、水深10,000mでは1トンもの力がかかるのです。小指の爪ほどの面積に1トンですから、これに安全率をかけた強度の耐圧容器が必要なのです。

(有人潜水の意義)
 ここで有人潜水船という言葉ですが、人が乗っている潜水船のことで、人がその現場へ行くという意味のパイオニアスピリットが強調されています。つまりテレビカメラだけが現場に行くのではなく、人を寄せ付けない深海へ人が行くことで立ちはだかる困難を克服するロマンがあり、感動が生まれるのです。

(耐圧殻)
 耐圧容器の中へ人が安全に入るということは、人が呼吸する酸素が確保されている、人が排出する二酸化炭素が取り除かれる環境である、人が耐えられる温度が保たれている、人が長時間滞在するに必要な水分の補給、排尿の処理ができるというライフサポートが整っている必要があります。また、当然内部の人との交信の確保、照明の確保、外部の観察窓、火災を起こさない工夫、万一の消火器の確保など多くの条件が満たされている必要があります。

(記録のための潜航)
 さらに大事なことはアメリカが世界で初めて地球の最深部へ潜ったことを世界へアピールすることなので、その最深部へアメリカの旗を置いてくる、その写真を撮る、その場所へ複数回潜って最深部の状況を伝えるなどが考えられます。しかし、当時の技術では耐圧カメラ、マニピュレータなどの開発が困難でしたから、とりあえず国の威信をかけた"記録を作るための潜航"が行われたのでした。
注:最深部への潜航は1回目で覗き窓のトラブルが発生して当初計画の2回目の地質学者ロバート・ディツの潜航は幻となってしまいました。

2.マリアナ海溝への挑戦  有人潜水調査船「トリエステ」は1953年8月11日の第1回潜航から最後の潜航1963年9月1日の128回潜航まで行われて引退しました。この中で1958年には米海軍に購入され、地球最深部への挑戦は、1960年の1月23日第70回目の潜航で行われました。プロジェクト名は「PROJECT NEKTON」です。
 海域はマリアナ海溝チャレンジャー海淵です。この「トリエステ」での潜航ではパイロットはジャック・ピカール、観察者は米海軍のドン・ウォルシュの2名で行われました。午前8時22分に潜航を開始して、水深10,911mの海底に到達しました。浮上したのは午後4時58分(8時間36分)でした。このミッションの支援船はUSS LEWIS(DE-535)、とUSS WANDANK(ATA-204)の2隻で、通常の1隻と異なって「記録的な潜航」を万全の体制で行ったのです。
 トリエステは、建造以来一貫して「未知なる深海へ興味」をアピールし続けていました。潜航するたびにニュースとして話題になり、バチスカーフ独特の船体は正に深海への挑戦のシンボルとなって世界中の人々へ深海をイメージさせていました。この地球最深部への挑戦においても同様で、そこへ到達した二人からのメッセージは深海の魅力を十分に伝えています。
 水深の表示は米海軍が使っているフィート(1フィートは0.30485m)で行われています。飛行機でも現在フィートで運航されていますので耳にされている方も多いと思いますが、ここではメートル表示に直し、元のフィートも併記しています。




(潜航中)
 トリエステは午前8時22分にベント弁を開放してバラストタンクに海水を入れました。浮力の空気はベント弁からクジラの潮吹きのように放出されて浮力がなくなり、マイナス浮力となって潜航していきます。潜航の開始です。ウォルシュ中尉によれば、水深240m(約800フィート)までトリエステの外に太陽光が届いていました。水深1,800m(約6000フィート)では周囲の低水温から、殻内が寒くなり、二人は、用意していた防寒着を着はじめました。
 やがてこれまでのトリエステでの潜航記録水深6,877mを超えました。これからは誰もが経験したことのない極限の深海への潜航です。潜航中は超音波による無線通信でトリエステと母船は連絡をとっていましたが、母船が海流などで流されて交信範囲を外れてしまったために一時交信が途絶えてしまいました。まもなく最深部へ届く前に交信は回復して母船にドン・ウォルシュからの音声が響き渡りました。
 水深9.150mを超えたところで外部のフレキシブルガラスの窓ガラスが割れる音が耐圧殻内部へ響きました。急ぎ、ピカールは内部を点検しましたが、内圧も上がっておらず内部に異常がないことを確認して潜航を続行しました。通常、耐圧容器が高圧に曝されて壊れる場合は除々に壊れることは少なく、圧力に耐えられなくなると一気に圧壊するものです。トリエステがこれまで経験したことのない高い水圧で覗き窓が割れた場合、この衝撃で一気に耐圧殻が圧壊することも予想されました。今回、内部点検で異常がなく、さらに高い水圧を目指したのは耐圧殻には影響のない外部照明などの圧壊であったのかも知れません。
 窓ガラスが割れてもなお潜航を続けた思いは何でしょうか?このチャンスを逃すと地球最深部への挑戦が夢に終わるとピカールは考えたのでしょう。それを受けて潜航を続行させた幹部も同様の思いがあったことと思います。



(最深部への到達、海底での観察)
 トリエステは搭載している"錘(おもり)"の重量(マイナス浮力)で潜航しています。海底付近に近付くと"錘"の一部を捨ててマイナス浮力を少なくして潜航スピードを減速します。この操作はピカールが行っていました。ドン・ウォルシュは海底までの距離を確認して覗き窓から明るい照明のもと海底が見えるか監視していました。
 トリエステは着底すると白い泥が舞い上がりました。潜航開始から4時間48分かかって海底到着です。ついに地球最深部に到達したのです。母船では大きな歓声でこれまで誰もが成しえなかった人類初の快挙を称えました。もし海中の視界が見渡せるならエベレスト(海抜8,850m)の高さをはるかに超えた深さの底に小さく見えるトリエステがイメージできるでしょう。
 着底したことで泥が舞い上がり視界を一時さえぎっていましたが、やがて緩やかな流れで視界が回復してきました。最深部にも流れがあったのです。トリエステではこれまでも映画用のカメラでピカールが記録を撮っていました。今回も同様です。ピカールはフィルムの長い映像にこだわっていたようです。
 この着底後に舞い上がった白い泥は後に小さな海洋生物、珪藻類の珪酸骨格(silica skeletons)だったと報告しています。潜航後に船体に付いていた泥を 調べた結果のようです。
 回復してきた視界の中には海底から2mほど上を泳ぐ小エビが観察されました。地球最深部での生き物の発見です。この生き物は後にJAMSTECの1万メートル級の無人探査機「かいこう」が捕獲して「カイコウオオソコエビ」と名付けられた体長5センチほどの目のない小エビです。
 また、この潜航でクラゲも観察されています。
 そして何より驚いたのは魚類の発見です。目のある30センチほどの白いヒラメのような平らな魚が泳いていたのです。これはピカールもカメラで映像として撮影していました。泳いでいる小エビには目がないのですが、"目のある"と確認されたことはとても意味のあることです。"白い"のは深い深海の魚は白っぽいのが特徴で1mを超える深海魚「ソコボウズ」も色素が抜けたような白さが目立つ魚です。たぶん同じよう白さなのでしょう。ヒラメのような平らな魚の表現も重要な情報です。こうして二人が目撃し、撮影もされた魚類はその後無人探査機「かいこう」が最深部へ20回近く潜航していますが未だに発見されていません。すでにこの潜航から40年以上も経ちますが、まだ謎に満ちた最深部の魚です。(最近の情報ではピカールの撮影した魚の映った映像は米海軍にあってまだ公開されていないそうです。)



 ともかく今回の最深部への潜航で1万メートルを超える深海に生物の存在が確認されたのです。1平方センチに1トンもの力がかかる深海に生物が存在するとは予想されていませんでした。このトリエステの地球最深部への挑戦がもたらした生物学の大きな成果の一つです。さらに生き物の存在から酸素のある海水が流れている、つまり最深部にも底層流があることを報告して、当時計画されていた放射性物質の深海貯蔵の危険性を伝えたのです。
 こうしてトリエステは人類初の10,911mの海底に30分間とどまって海底を観察したのです。トリエステには上部にバッテリー駆動のスラスターが2つ装備されています。海底の観察でもこのスラスターを使って多少移動しながら観察したようです。
 一方、トリエステの謎として、海底で20分の観察後、覗き窓の一部に割れ目を発見したピカールはちゅうちょなく残りの錘を流して、潜航を切り上げて浮上を開始したとの情報もあります。


(浮上)
 トリエステは錘をすべて流してしまうとガソリンの浮力で浮上していきます。ジャック・ピカールとドン・ウォルシュは最深部への潜航を無事に成し遂げた興奮と想像していなかった生き物の発見を冷静に考えようとメモを整理していました。離底から3時間17分後の午後4時58分に海面に浮上しました。潜航開始から8時間36分の潜航時間でした。
 こうして最深部への挑戦に無事成功したトリエステはライフ誌の表紙を飾り、二人はアイゼンハワー大統領からの祝福を受けたのでした。




(その後のトリエステ)
 この記録的な潜航の後、一部改修されて約半年後の1960年6月15日にグアム島沖水深30mでテストダイブ、そしてパイロットトレーニングが行われています。この時のパイロットはドン・ウォルシュで、記録的な潜航以降ピカールはトリエステに潜航することはありませんでした。またトリエステは海中音響のテスト、ハイドロフォンの研究、DSL(深海音波散乱層)の調査、生物調査、ラホヤキャニオン、コロラドキャニオンの地形調査、大陸棚調査、地質調査などと潜水艦スレッシャー号の捜索(1963年6月4日~9月1日まで10回の捜索(水深8,500フィート)やスコーピオン号の捜索を行って1963年9月に引退しました。

3.有人潜水調査船「トリエステ」とは  それでは地球最深部への潜航を達成したトリエステとはどのような潜水調査船だったのでしょうか?
 スイスの物理学者オーギュスト・ピカール(Auguste Piccard)は気球によってより高く飛行する研究をしていました。その考え方を海の中へ展開させて深海へ潜るバチスカーフ(BATHYSCAPHE)と呼ばれる深海潜水艇を考案したのです。バチスカーフはギリシャ語の深淵BATHOS と船 SCAPHOS から名付けられたもので、大きな船体に"錘"を載せて潜航し、調査を終えたら"錘"を捨てて、ガソリンの浮力を利用して海面に戻ってくるという深海潜水艇です。
 最初に完成したのは F N R S 2 でベルギーで建造されました。二番目に建造されたバチスカーフはイタリアで1953年8月1日に完成したトリエステでした。ピカール博士は1952年にイタリア・トリエステに呼ばれて深海潜水艇の開発を行い、このイタリア北東部の港の街に住む人々がこの斬新な深海潜水艇の建造に多大な支援を行ったことを感謝して名づけられました。

(主要目)
深海潜水艇トリエステ  トリエステの浮力材はガソリンを使っていました。70トンものガソリンを浮力タンクの中に入れて潜航します。ガソリンは高い水圧で圧縮されて深海では浮力が減少します。錘は鉄の粒アイアン・ショットです。



 錘は電磁弁を操作して2か所のタンクから落下させていました。浮力の調節は錘りの落下と場合によりガソリンを放出して調整しています。
 耐圧殻は当初20,000フィート(6,097m)の耐圧殻で建造され建造の翌年にも改造されていますが、幾度も改造で取り換えられていてその都度耐圧能力である潜航深度が変わっていました。
 海面での浮力はバラストタンクの空気で得ていますが、このベント弁の開放は作業艇からの操作(外部操作)で行われていました。


深海潜水艇トリエステの主要目
全長:18.1m  幅:3.5m 喫水:5.5m
重量:50トン(ガソリン搭載前)、150トン(ガソリン搭載後)
乗員:2名 操縦者1名 観察者1名
耐圧殻:内径1.8m、重量14トン、鋼製球状
覗き窓:1ヵ所、厚み 15.2センチ フレキシブルガラス
照明:水銀灯 3灯
補助推進器:バッテリー駆動、小型可変プロペラ 2機




 トリエステは当初20,000フィート(6,097m)の耐圧殻で建造され、1953年8月11日に第1回の潜航(浸水テスト)が水深8mほどで行われました。パイロットは開発者のオーギュスト・ピカール、同乗者は息子のジャック・ピカールでした。最初のオープンウオーターテストは支援母船 Tenaceを使って水深40mでおこなわれました。
 本格的な潜航は8月26日カプリ島沖水深1,079mまで潜航し、未知なる深海への興味を大いに地元紙などを賑わせました。それ以降は大学の教授などが観察者となって海洋学的な調査が行われ、イタリアで最も深く潜航したのは、1956年10月17日の22回目の潜航でポンザ島沖水深3,692mでした。こうしてトリエステはイタリアで合計48回の潜航が行われました。
 これまでのトリエステの潜航では、パイロットが父親、準備は主に息子のジャックが行っていました。錘となるショットバラストの搭載から酸素ボンベ、映画用カメラを持って耐圧殻へ入り、準備が整ったら父親のピカールが入って重たい蓋を慎重に閉めて潜航が開始されていました。




4.冒険家でもあったピカール親子の熱意  スイスの物理学者オーギュスト・ピカールは1922年(38歳)にブリュッセル大学の教授になり、1932年(48歳)には上空16,940mまで気球で上昇し、飛行記録を作りました。また、放射能の測定ではアルバート・アインシュタインと共同研究を行うなど画期的な研究活動を行いました。ピカール博士は単なる物理学の研究者ではありません、自ら考案し、自分で図面を引いて、自分で操縦する、さらには息子とともに深海を極めようと果敢に挑戦していました。
 息子のジャック・ピカール (Jacques Ernest Jean Piccard)は1922年7月28日にブリュッセル(ベルギー)で生まれました。スイスの大学では経済学、歴史および物理学を学びました。1943年にはフランスで軍隊の任務に就き、1950年からは「バチスカーフ」の設計に協力するようになりました。
 その後、ジャック・ピカール(38歳)は1960年に世界最深部へトリエステで潜航します。最深部への潜航の後ジャック・ピカールは海洋エンジニアとして研究・サルベージおよびレクリエーションのための潜水船を開発しました。今ではハワイをはじめいろいろな海域で観光潜水船が運航されていますが、ジャック・ピカールは観光潜水船の父とも言われています。ジャック・ピカールは2008年11月1日スイスレマン湖の自宅で亡くなられた。享年86歳でした。
 更にジャック・ピカールの息子バートランド・ピカールBertrand Piccard は1999年に世界初の気球で地球一周を20日間で行ったのです。正に三代続けて極限への挑戦を行った家系でした。

おわりに  今回お伝えした「トリエステ地球最深部への潜航」は地球最深部へ自ら潜ったジャック・ピカール氏が11月1日に86歳で亡くなられた追憶の気持ちを込めてまとめたものです。
 海のない国スイスの情熱的な研究者ピカール親子の深海に対する熱い想いです。さらにマリアナ海溝への潜航ではスイスの時計メーカーロレックスがスポンサーになってトリエステとともにダイバーズウオッチが1個取り付けられていました。そして機密性の高い米海軍からの情報に代わってロレックスは多くの情報を海を愛する人々へ届けてくれたのです。





オオクチホシエソの発光器

2018年10月26日 | 日記
オオクチホシエソの発光器   山田 海人

 今回ご紹介する深海魚は、これまでの深海生物を遙かに超えた深海魚なんです。

1.オオクチホシエソ ホウキボシエソ科 学名: Molacosteus niger
英語名: Stoplight Loosejau
生息海域:大西洋、インド洋の深海 水深500~2000m
体長: 15?24㎝ 黒く、ウロコがなく葉巻型
画像:JAMARCの図鑑

2.オオクチホシエソの発光器  一般の発光器を持つ深海魚は、遠くまで届く青白い光を発光させて生活しています。発光器は以下の目的のために使われています。獲物を引き寄せるため、自分のシルエットを隠すため、捕食動物から逃げるため、パートナーを引き寄せるためです。
 しかし、このオオクチホシエソは最新兵器の発光器を持っていて獲物を捕食しているのです。この発光器とは、カメラマンなどが野生生物を夜間撮影する時などにも使われている暗視装置と同じ、赤い光の赤外線照射装置と赤外線感知システムを持っているのです。赤外線の光は海中では遠くには届きませんが、一般の深海生物にはこの赤外線の光は見えないのです(人間にはかろうじて見ることができます)。ですから赤い光でオオクチホシエソだけが獲物を見つけて捕食できるのです。赤外線の光は頭の前方の大きな発光器から"煌めく赤色"として発光されています。また、この発光器からは緑色の発光も確認されていますので、"赤"と"緑"を発光していることになります。
 オオクチホシエソは、深海の何も頼るところのない、中層に棲んでいます。この中層に棲む生き物は、身を隠す場所がない、体を保持するつかまる所もない、卵を産み付ける岩場もない、そんな不安定な空間で生きています。ですから捕食者から身を守るために目立たない姿、身(影)を隠す発光など全てに知恵比べをしています。
 オオクチホシエソの体が黒いのは目立たないようにしているのでしょう。発光器の大きなのが目の下にあるのは、体の影を隠すというより、獲物を見つけるためのようです。チョウチンアンコウのように獲物を誘き寄せる"ルアー"は細長いものが顎の下にあります。
 普通の深海魚は、海面からの太陽の光、月の光の方向(上方向)を見ていて、そこを横切る黒い影を注目しています。黒い影が近づいたら大きな口で獲物を呑み込んでいるのです。
 オオクチホシエソは、例えるとアメリカSWAT特殊部隊同様に、闇夜に隠れる犯人ならぬ獲物を赤外線照射装置の発光器で見つけているのです。そこでは誰も見ることができない赤い光ですから、獲物は見られていると感じてはいないのです。このようにして餌となる"赤いエビ"や小魚を捕らえているようです。
 また、クロロフィル(葉緑素)を持つ魚として有名で、このクロロフィルを持つ細菌と特殊な発光バクテリアが共生することで赤外線の赤い光を得たのではないかとも推考されています。ともかく、これまで多くの深海生物の発光が研究されてきましたが、赤外線の光を発する深海生物は唯一このオオクチホシエソだけです。

3.英語名はルーズな顎  オオクチホシエソのもう一つの特徴は特異な形の口です。大きな口は体長の1/4にも達し、頭より大きいほどです。その口には立派な顎を持っています。普通の口は、ほほに囲まれた上下の顎があって、かみ砕いたものを食道へ運ぶ役割をしていますが、オオクチホシエソの顎は、ほほなどの膜に囲まれていません、骨格だけの大きな顎を想像してください。ほほや顎の間の膜がないのです。そして大きな顎には、長く、内側を向いた鋭い歯が並んでいます。
 この大きな口で獲物を捕らえるのですが、ほほなどがある袋状の口では顎を伸ばすと海水の抵抗で動きが遅くなってしまいます。オオクチホシエソの顎は膜に囲まれていませんので、"むきだしの顎"が獲物に向かって何の抵抗もなく素早く飛び出して行きます。また、膜がないことで可動性が良く、拡張したり、引っ込めたりも早くできるのです。こうして大きく、素早く、動きのいい顎と鋭い歯で獲物を遠くから捕らえ、引っかけ、離さずに口に引き入れることができます。

4.オオクチホシエソの未知なる能力  なぜオオクチホシエソこのような能力を得たのでしょうか?
 先にも記載しましたが、クロロフィル(葉緑素)を持っていること、目には、明るい黄色のレンズを持っていること、目の中の黄色のレンズおよび網膜の特殊な特性など、まだまだこの深海魚には未知の能力が秘められているようです。






ジャイアントチューブワームとは

2018年10月25日 | 日記
ジャイアントチューブワームとは   山田 海人

●ジャイアントチューブワームとは?  深海に生息する生き物の中で、最も深海らしい生活をしているのがハオリムシの仲間のジャイアントチューブワームとよばれる生き物です。
 1977年にガラパゴス諸島沖の水深2500mで海底の煙突のようなものから黒い煙の雲を出している様子が発見され、その周りにはこれまで知られていなかったユニークな生き物達が棲んでいることがわかりました。
 このユニークな生き物の中心的な存在が長さ2.4m 太さ10㎝にもなるジャイアントチューブワームでした。チューブワームと呼ばれるように身体の大部分はキチン質でできた硬い管の中に入っていて、管の先から明るく真っ赤な羽のような羽毛(plume)が出ています。
 このチューブワームが棲む環境は、海底からマグマで熱せられた"熱水"がはげしく噴出していて、この熱水に含まれる鉱物と硫化水素、メタン、硫黄などの"鉱物・化学的スープ"のおかげで周りは普通の生き物では致死量に達するほどの驚愕の生息環境でした。

●発見の経緯  発見の経緯となったのは1970年代はじめ頃、新しく海底ができる海域には高温の海底温泉(hot springs)があるのではないか?という疑問でした。1975年にはFAMOUS(フランスのアメリカ中央海嶺研究)プロジェクトで潜水調査船「アルビン」が潜航した折りも海底温泉の存在を探したのですが、この時は見つかりませんでした。
 1976年5月、Peter Lonsdale博士は深海曳航体(deep-tow:カメラ、CTD,海水サンプリングなど搭載)によって海底40m上から初めて熱水噴出孔と周囲に生息する生物の撮影に成功しました。その後、1977年、ガラパゴス諸島沖の hot springs をアルビンに搭乗して自分の眼で確認し、論文「Close proximity to the hydrothermal vent Life (mussels, anemones )」が発表されました。
 この後、1979年にナショナルジオグラフィックの映像クルーとして後にタイタニック号の調査で有名になった Robert Ballard と Fredrick Grassle がアルビンに乗船してこのガラパゴス諸島沖の hot springs を撮影し、ジャイアントチューブワーム、Foot - long clams, Galatheid crabs など化学合成生物群集に生息する生物を撮影し、世界にこの衝撃的な映像が流されたのでした。
 こうして華々しく世に出たジャイアントチューブワームは、学名を Riftia Pachyptila M. L. Jones 1981 と名付けられました。
 分布はガラパゴス諸島沖の熱水噴出孔付近。体長は2.4m(8フィート)まで成長し、太さは10㎝(4インチ)にもなります。寿命は数十年と推測されています。


●共生バクテリア  棲菅はエビ・カニの甲羅より硬いキチン質でできていて、周囲に生息するユノハナガニ、リミカリス、コシオリエビ、魚などから挟まれ、咬まれても壊れ難い丈夫なものになっています。 棲菅から出している明るい真っ赤な羽毛(Plume)は高度に導管化された器官で硫化水素、二酸化炭素、酸素などを交換できる能力があります。
 こうしてジャイアントチューブワームの体内に共生しているバクテリアに栄養素である硫化水素、二酸化炭素、酸素など供給しています。明るい真っ赤な羽毛に流れている体液はチューブワームヘモグロビンと呼ばれるもので、硫化水素と同時に酸素も効率よく運ぶ能力があるものです。
 栄養体と言われる体内に共生しているバクテリアは非常に多く、体重の半分(ある計測では2850億ものバクテリア)ほどにもなり、これら硫化水素などをチューブワームの栄養になる有機物質に変えています。
 このチューブワームは小さい時には原始的な口や腸をもっていて、これで共生バクテリアを体内に取り込んでいるようです。こうして内に共生バクテリアが入ってくると原始的な口や腸は消滅してしまい、成体では口も胃も腸も肛門もない珍しい生き物です。 この共生バクテリアはチューブワームの棲菅の中にあり、体内にいることで快適に、そして安全に生活できるのです。
 羽毛の部分を普段出して海水から硫化水素など取り込んでいますが、周囲に生息する魚類やエビ、カニに時折突っつかれているようです。もちろん俊敏に棲菅に引っ込めて大半は逃げています。

 こうしてジャイアントチューブワームと共生バクテリアは連携を組んでいて、チューブワームが海水から酸素、硫化水素、二酸化炭素を真っ赤な羽毛でろ過し、体内の共生バクテリアは炭水化物を生産するためにこれらの合成物を利用しています。チューブワームは自分では"食べていない"けれども栄養となるこれら硫化水素などを吸収していることになります。


●生息環境  ジャイアントチューブワームの棲菅は熱水活動域の熱い地面に埋まっていますが、それを調べたところ90㎝も埋まっていました。そして棲菅の元と羽毛の温度差を測ったところ、一例では、羽毛 1.6℃、棲菅の元 30℃。別の例では、羽毛 22℃、棲菅の元 80℃にもなっていることが判りました。この80℃って生き物が生きられる環境ではありませんね。棲菅の中は冷たい周囲の海水で冷やしているのでしょうか。
 1993年12月に 東太平洋海膨(East Pacific Rise)でジャイアントチューブワームは年間どのくらい成長するのか調査が行われ、年間33インチ(84㎝)と著しい成長の様子が判明しました。

 チューブワームは腸も肛門もない生き物で、一般の生物では致死量に達するほどの硫化水素の濃い環境に生息しています。従って臭いの強い生き物です。さらに肛門もないという生き物ですから、化学合成の残留物である硫酸塩が寿命の数十年の間すべて体内に溜まっていますので、解剖の時の臭いニオイには閉口しているようです。

 今のところジャイアントチューブワームは太平洋でのみ発見されています。







深海のマスコット コウモリダコ

2018年10月24日 | 日記
深海のマスコット コウモリダコ   山田 海人

 太陽の光や月の光も届かない深海の闇に潜む生き物には、奇妙で、不思議な、想像を超えた生き物達がいます。今回は恐ろしい名前"地獄の吸血鬼イカ"と名づけられていますが、深海生物の中ではパンダ的な存在で深海のマスコットとして人気の高いコウモリダコを紹介します。
和名:コウモリダコ  学名 Vampyroteuthis infernalis
英名:Vampire Squid
Vampyromorphidaと呼ばれる属の一属一種
分布:太平洋、大西洋、インド洋の深海
体長など:体長は最大で30センチ、通常遭遇するのは15センチほど
これまで化石としては発見されていない。

 コウモリダコは世界の温帯から熱帯の深海に生息し、体長は13~30㎝ほどです。ゼラチン状の身体、つまりクラゲのように柔らかい身体をしています。コウモリダコのゼラチン状の身体は、ビロードのような、真っ黒のような、赤みがかったような色をしています。8本の腕の間は外套膜があってその内側は真っ黒になっています。腕の脇には目立たない袋の口があって、そこに収まる2本の細い触手は体長より長く伸びます。この細い触手はイカのような餌を捕らえるためのものではなく、知覚を持っていて餌を見つけるためのフィラメントと考えられています。
 目の色は赤ですが青くみえる時もあり、この目は外径が2.5センチもあって身体の割りにはとても大きな巨大な目を持っています。動物界で最大のサイズの目は非常に複雑で、深海の暗黒の中で小さな発光も見逃さない素晴らしい目を持っています。

 オスはメスよりやや小さな体形で、子供のコウモリダコは主にジェット推進にたよっていますが、大人の身体には側面に突き出た耳状のフィンがあり、このフィンを効率良くはたくように動かして移動しています。これまで身体の2倍の距離を1秒で泳ぐ様子が観察され意外と速く泳ぐことが分りました。餌は中層のエビなどを食べています。

 タコやイカの仲間には墨袋を持っていて捕食者に襲われると墨を噴き出して逃げますが、このコウモリダコには墨袋がありません。さらにタコやイカには活発な色素があって体色を明るくしたり、暗くして捕食者に見つけられないようにして逃れますが、コウモリダコにはこの活発な色素もありません。こうして捕食者への武器を持っていないコウモリダコは捕食者の少ない酸素の少ない中層で生息しています。
 これまでコウモリダコはマッコウクジラやアザラシ、深海の魚の胃の中から見つかっています。コウモリダコの英名は Vampire Squid で地獄の吸血鬼と言う名がついています。これは奇妙な形から名付けられたようです。

 次にイカとなっていますが、なぜ日本名はタコなのに、英名はSquidとイカなのでしょうか? それは発見された1903年に遡ります。最初の発見の記載では8本の腕であったため、タコの一種と考えられていました。その後の観察で2つの腕がポケットの中から発見され10本の腕でイカの仲間になりました。ですが最近の学説ではイカと呼ばれる特徴を持っていないことが分かり、タコの仲間とされていまして和名の方がまとを得ていたことになります。
 コウモリダコは深海の中層に生息していますがただの中層ではありません。中層のなかでも酸素の最も少ない低酸素層(OMZ)の600m~1,000mで見つかっています。この低酸素層は 0.22ml/l と酸素が低すぎるので、他の高等生物は生息できない環境です。正に地獄と呼ばれるに相応しい環境でコウモリダコはここで生息しているので"地獄の吸血鬼"と呼ばれる理由でもあります。ではなぜ酸素の低い所で生息できるのでしょうか? この理由は、コウモリダコがすべての深海の頭足類の中で最も遅い代謝速度であることが分かっています。次にヘモシアニンによって少ない酸素を効率的に体内に輸送できる能力があることも分かりました、こうして酸素の低い所で生息できるのです。また、アンモニア系の浮力によって少ない運動量でも中層に浮いていられます。加えて精巧な平衡器官(人間の内耳と同種の平衡を保つ器官)を持っていることも知られています。


 コウモリダコは発光器を持っている深海生物で、一般の発光する深海生物は、捕食生物から自分の姿を見え難くするため、餌の生物を誘うため、繁殖相手を探すためなどに発光器は使われるのですが、コウモリダコの場合は強烈な光を発する発光器ですので、発光バクテリアによる発光ではありません。発光器は捕食者から逃れるために使われているようです。コウモリダコを長年研究してきたブルース・ロビソンさんやジェームス・ハントさんの詳しい報告から紹介しましょう。
 コウモリダコの発光器には三つのタイプがあることが最近の研究で明らかになりました。第1の発光器官は生物発光ディスプレイです。これはフラッシュのように明るく光り、2分以上も光っている。その強烈な光ディスクは光り終わると強度、直径をしだいに弱め、小さくなっていきます。
 第2の光は8本の触手の先端に発光器官を持っています。この第1と第2の光は同時に光り、毎秒1~3と閃く、鼓動するように光るのです。その中でも8本の触手の先の光は連続的に光っていて、これを意図的に動かしています。
 8本の触手の先端は半透明で、虹色の緑・黄色の粒子の列があり、粘着性の発光液を分泌することができます。普段は発光器官として光っていますが、必要な時には第3の発光器官である発光雲を発射することができます。発光雲は、粘液の中に埋め込まれている1000個以上の光りの粒子がそう見せているのです。この光の粒子はこれまでの観察結果から9分ほど光ることが報告されています。捕食者のサメに襲われそうになると8本の触手から一斉に発光雲が発射され身体のサイズほどの発光雲が形づけられます、この10分近くも光る発光雲で捕食者のサメはそっちに注意が行って当惑してしまうのです。その間にコウモリダコは最大のスピードでその場を逃げ出すのです。この様子はまるで忍者のようです。このような発光雲はコウモリダコ以外にもチョウチンアンコウのルアーからも発せられることが確認されています。

 コウモリダコの行動を観察していると他の頭足類では考えられない行動をします。それは捕食者からの回避行動の一つである「パイナップル姿勢」です。
 迫ってくる捕食者に発光雲を放ち、逃げてもさらに追いかけられて万策尽きた段階、最後の手段として使われるのが「パンプキン」または「パイナップル姿勢」と呼ばれる行動です。青い大きな目を一瞬に閉じて、この傘のように広げた腕と外套膜をしだいに裏返して、最終的に濃厚に着色された暗幕のような外套膜で身体を包んでしまいます。この丸まった姿勢には触手の吸盤の筋からパイナップルのようだとしてこの名が付けられました。この姿勢からは目からの情報も得られず、泳ぐこともできず、攻撃といえばカラストンビと呼ばれる口で相手を咬むことしかできません。まさに万策尽きたお手上げ状態、もう観念した状態の姿勢です。

 コウモリダコの繁殖は、他の頭足類と同様にオスから精莢とよばれる精子の詰まった円筒状の容器をオスの漏斗から受け取って繁殖します。この精莢はメスの体内で400日も保存されます。産卵期を迎えると餌も取らなくなり、産卵は受精卵を海中へ直接放出します。メスは産卵を終えると死んでしまいます。産卵は比較的大きな直径3-4mmの卵を少数産んでいます。卵からふ化した幼ダコは8ミリほどの大きさで透明な身体です。形は親と同じようでサイズがミニチュアです。そして子供の時は2本の長い触手はありません。また、眼のサイズも成熟した個体のように大きくはなく、小さめの眼をしています。産まれたばかりはヨーク(卵黄)が付いていて餌を採らなくても大丈夫です。ヨークが吸収されると餌を取り始めますが主にマリンスノーを食べています。
 コウモリダコは他の生き物が少ない貧酸素状態の深海の中層にいて、広く分布しているので仲間と遭遇する機会は少なく成長も遅いことが知られています。
 また、最近のレポートでは水深1,000mほどから捕獲したコウモリダコを調べたところ、PCBやDDTなどの有害化学物質が検出され、深海生物と言えども化学物質に汚染されていることがわかりました。









深海調査の歴史

2018年10月22日 | 日記
深海調査の歴史   山田 海人

 ここに紹介する Discoveries in the Deep には欧米の先駆者達が未知なる深海に挑戦してきた歴史が書かれている。なかでも世界の深海調査のリーダーシップをとってきたアメリカ海軍の想いを克明に紹介している点は興味深い。
 一方、戦後の日本の技術も分け隔てなく扱っており、JAMSTECの有人潜水調査船「しんかい6500」、無人探査機「かいこう」については賛美の言葉で表現され、我々には気づかなかった一面を教えてくれている。
 最近の記事は1997年までであるが、それぞれの年代を短く深海探査の背景まで紹介している。併せて山田 海人のビューポート(覗き窓)で紹介している「海洋科学の歴史」、「潜水船開発の変遷」なども参考にして頂ければ幸いです。

1997年 ☆アメリカのスミソニアン研究所は、ニュージランド沖で深海の巨大な生き物ダイオウイカを調査するためROV「Odyssey」を投入した。
1996年 ☆Gorda Ridgeの海底火山活動を監視するため、海軍製の水中マイクロホン(deep microphones)による熱水活動域の噴出孔からのけたたましい音とクジラの声(volcanic eruptions and whale songs)を聞くことができた。
☆ROVの「Jason」(海軍の1980年代の最も深く潜航できる深海観察機器)は、大西洋中央海嶺の熱水噴出孔の調査を行った。

☆アメリカ海軍は、海底火山噴火およびクジラの声に興味をもつ個人の聴覚の観測所の開発を促して、そのdeep microphonesへのアクセス範囲を広げた。

☆最新のROV「Tiburon」はパッカード研究所(Packard's institute)によって水深4,000m, 2マイルおよび半マイルの範囲の調査が開始される。

☆フランスの潜水調査船「Nautile」はタイタニックの船内からの遺物回収の様子を撮影した。

☆一人乗り潜水船「Deep Flight」は、Hawkesによって7マイルまでの潜航を行った。これはチャレンジャー海淵への潜航へ向けての第一歩である。

1995年 ☆JAMSTECの無人探査機「かいこう」は世界最深部のチャレンジャー海淵の海底の暗く冷たい環境(icy darkness)に生息する small animals を発見した。
☆Paul Tidwellは、大西洋の3マイルを超える水深から大量の金塊を積んで1944年に沈んだ日本の潜水艦「イ-52」を発見する。

☆Robert Ballard は 海軍の「NR-1」で地中海を潜航し、二千年以前の deep Mediterranean wrecks の海底地形図を作成した。

☆ロシアの潜水調査船「Mir」はハリウッド映画タイタニックの撮影を行う。

☆アメリカ海軍は海底重力計によるデータ(seafloor gravity data)を公開し、地質学者はこれを基に海底地質図(map of the global seabed)を作成した。

☆Navy microphones を使って、太平洋を横断する broadcasting deep sounds の移動時間を計測して地球温暖化の計測を開始した。

1994年 ☆アメリカ海軍は、北極研究のため民間の科学者とその攻撃型潜水艦(attack submarines)を利用することに合意した(SCICEX)。
☆アメリカ海軍は、不要となった無索ロボット(Advanced Unmanned Search System)を民間会社へ提供することになった。

☆「しんかい6500システム」は大西洋における有人潜水調査船の水深記録を作る。これは深海地質学のための調査であった。

☆ロシアの「Mir」は、大西洋中央海嶺の huge volcanic mound を調査するため、英国人の研究者を潜航させた。

☆フランスの「Nautile」は、タイタニックの遺物を回収するため潜航した。

☆国連の海洋法条約(Law of the Sea)議論に熱が入る。

1993年 ☆アメリカの民間企業2社は海軍が開発し、これまで機密機器だった laser cameras を使って海底地形図(Map of the Juan de Fuca Ridge)を作成した。
☆科学者は海軍の deep microphones を使って大西洋の Juan de Fuca Ridge の海底火山がどのようにしてジャングルのような生命環境を造り出すことができたのか調査した。

☆JAMSTECは世界で最も深く潜航できる(the world's deepest-diving robot)無人探査機「かいこう」を試験潜航させる。

☆フランスの「Nautile」は、タイタニックの遺物を回収するため潜航した。

☆Ballardは海軍の「Jason robot」を使って、1915年にドイツによって Celtic Sea で撃沈された「Lusitania号」の調査を行った。

1992年 ☆科学者は大規模な海底調査の後に、深海には1000万種の生命がいるかも知れないとの結論を出した。
☆Ballard は海軍の潜水調査船「Sea Cliff」と海軍の「robot Scorpio」を使って Guadalcanal で第二次世界大戦で沈んだ14隻の船舶を調査した。

☆CIA 長官はロシアのエリツィン大統領に「Glomar Explorer」が6人のロシア軍人の遺体を収容したと伝えた。

☆アメリカ海軍は深海のエキスパートの規模を縮小して、浅海と海域に重点をおいた戦略を展開させる。

☆ビジネスマンは沈んだタイタニックの商業的サルベージのためにアメリカ海軍関係者と契約した。

1991年 ☆アメリカ海軍は科学者にロボットと潜水艦を含む deep exploratory craft 艦隊の共有に合意した。
☆ロシアの「Mir」 は、2マイルを超える潜航を行い、カナダのIMAXの映画のための沈んだタイタニックを映画化した。

☆ソ連の船「Yuzhmorgeologiya」(それは、アメリカ海軍の潜水艦を以前スパイ行為をした)は、深海の生態学に関する研究を行うためにアメリカ政府によって雇われた。

1990年 ☆アメリカ海軍は科学者に「NR-1」(a deep-diving nuclear submarine with lights, windows, and wheels)への利用アクセスを広げた。
☆JAMSTECは the world's deepest-diving piloted craft である「しんかい6500」の運航を開始した。

☆ロシアの「Mir」のクルーがモントレー海溝へ潜航する。冷戦以降ロシア人がアメリカ領海内を潜航するのははじめての出来事である。

1989年 ☆Ballardは、大西洋で曳航体「Argo」を約3マイル潜航させて、ドイツの戦艦ビスマルク(battleship Bismarck)から多くの銃とナチスのロゴを見つけ出した。
☆Ballardは、海軍のトップROV「Jason」を使って、地中海に沈むローマ時代の船から積荷を回収する。この年ベルリンの壁が無くなった。

1988年 ☆サウスカロライ沖の1マイルを超える水深でトレジャーハンターは、中央アメリカから大量の金を積んで1857年で沈んだ木船の残りを見つけた。
☆Ballardは、「Argo」を使って、4世紀の古代ローマ船の墓地を発見する。

1987年 ☆アメリカの企業は、タイタニックの遺品(子供の大理石彫刻品や女性用の腕時計など何千もの遺品)を回収するためフランスの「Nautile」をチャーターした。
☆核兵器の縮小を図るため東西間の条約が調印される。

1986年 ☆アメリカ海軍は最新のROV「Jason Junior」を使って、タイタニックの船内、沈んでねじれた様子の潜水艦「Thresher」 と「Scorpion」を極秘に調査した。
1985年 ☆Ballardは、「Argo」を使って、氷のような海底(icy seabed)に二つ分割され、散在するタイタニックを発見する。
☆Graham Hawkesの「Deep Rover」は、億万長者の David Packard の支援を受けて Monterey Canyon の中・深層の生物を調査した。

1984年 ☆ Ballardは「Argo」を使って、潜水艦「Thresher」の上を走査し、その様子をビデオ撮影した。
☆「Alvin」はフロリダ沖で冷水湧水域(cold springs)に群がる新種の生態系を発見する。

☆ソ連の新しいリーダー、ミハイル・ゴルバチョフは東西間の和解政策を始めた。

1983年 ☆レーガン大統領は、アメリカの排他的経済水域を宣言する。
1982年 ☆太平洋の海底火山には、コバルトを含む希少金属で覆われていることが判明する。国連海洋法条約で、深海の鉱物資源は世界の人々の所有と批准される。
1981年 ☆レーガン大統領は、潜水艦など深海の武器強化を開始する。
1980年 ☆科学者は、地球すべての生命誕生の場は深海の温泉(hot springs)であると発表。
1979年 ☆「Alvin」とアメリカの科学者は、カリフォルニア湾で鉛を溶かす熱いブラックスモーカーを発見する。
1977年 ☆「Alvin」とアメリカの科学者は、太平洋の volcanic rift で温水噴出域(warm springs)とそこに棲む未知のチューブワーム(長い直立したチューブなどのこれまで知られていない生態系)を発見する。
1974年 ☆「Glomar Explorer」は、太平洋の海底に沈んだソ連の潜水艦を巨大な爪で回収した。
☆国連の海洋法会議は、貧しい国家を豊かにするために seabed miners に課税することを検討した。

☆フランスとアメリカの科学者は、大西洋中央海嶺で海底の溶岩を発見する。

1973年 ☆アメリカ海軍は、落下物の回収のため無索ロボットの開発をスタートさせる。
1971年 ☆アメリカ海軍は、深海に沈んだ潜水艦の救難用2人パイロット艇を開発する。
1969年 ☆海軍の新しい深海潜水船「Trieste II」は、海底2マイルに沈んだ「Scorpion」の残骸を調査し、六分儀を回収する。
1968年 ☆ソ連の潜水艦は、暗号本と核弾頭を海底に散らかして太平洋の深海へ沈む。
☆「Halibut」は、極秘裏に沈んだソ連の潜水艦を調査した。

☆アメリカの潜水艦「Scorpion」は、99人の乗組員と核兵器を搭載した魚雷2基とともに大西洋に沈む。

1967年 ☆地質学者は激論の末に、海底のプレートはゆっくり拡大し移動し、陸地を押し上げていることに合意した。
1966年 ☆「Alvin」 と Navy robot は、地中海へ沈んだ水爆を調査する。「Halibut」は海底に落ちているソ連の弾頭を撮影する。
1965年 ☆アメリカ海軍は最初の海中ロボットのテストを行った。
☆アメリカ海軍は、スパイ行為をするために「Halibut」を開発した。「Halibut」は、照明とカメラなど装備している。

1964年 ☆海軍は、深海の暗さの中で効率の良い調査することができる新しい探索機器を開発するために Deep Submergence Systems Project を立ち上げた。
☆海軍は「Alvin」(深淵を調査できる最初の piloted craft)の運航を開始する。

1963年 ☆海軍で最も高度な潜水艦「Thresher」は129名の乗組員を乗せたまま1.5マイルの深海に沈む。
☆「Trieste」は、5ケ月の捜索の後に海底で粉砕されている「Thresher」を発 見した。

1961年 ☆アメリカの掘削船「CUSS-1」は、メキシコの沖合で2マイル以上掘ることに成功して深海掘削の記録を作った。
☆音響探査の研究者 Robert Dietz は、深海に幾つも広がるひび割れは新しく誕生したプレートによるものと提案した。

1960年 ☆Jacques Piccard と Don Walsh は「Trieste」で Challenger Deep の底7マイル下まで潜航した。
1958年 ☆アメリカの海軍は「Trieste」を買い、その耐圧容器を改造する。
1953年 ☆Auguste Piccard と彼の息子 Jacques は「Trieste」に乗船して2マイル近く潜航した。
1952年 ☆音響測深の研究者 Marie Tharp は、深海なるがゆえに隠されていた大西洋中央海嶺の長い地溝を発見する。
1951年 ☆英国の調査船「Challenger II」は、音響探査によりグアム島近くに7マイル近くの最も深いチャレンジャー海淵を特定した。
1950-52年 ☆デンマークの海洋調査船「Galathea」は、海の中で最も深い海溝へドレッジを投下して無脊椎動物などを採取した。
1948年 ☆Auguste Piccard は、「bathyscaph」(無索で最初の潜水船)で深海へ潜航した。
1938年 ☆南アフリカの漁師は、5フィートのシーラカンス(恐竜の時代に消滅したとされる生きた化石)を捕獲する。
1934年 ☆William Beebe と Otis Barton は、有索潜水球で半マイル潜航し、発光する奇妙な魚を観察した。
1925年 ☆Fritz Haber は、ドイツで開催された気象展示会で海水中から金を取り出すイベントを行った。
1920年 ☆Alexander Behmは、北海の航海で新しく開発された音響測深方法を試した。
1892年 ☆モナコのAlbert皇太子は、新しい種類のウナギ、魚およびイカを発見して、深海の中・深層の調査を開始した。
1872-76年 ☆英国の海洋調査船 「Challenger」は、世界一周航海で深海に長く続く山脈へドレッジなど降ろし、何百もの深海生物を採取する。
1870年 ☆ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)は、「海底二万リーグ」を発刊し、深海の世界に関心を集めた。
1864年 ☆ノルウェー人は、1億2千万年前の化石でしか見つかっていなかったウミユリを深海から採取した。
1859年 ☆ダーウィンの「種の起源」は、深海が生きた化石の宝庫であるとも述べている。
1858年 ☆大西洋横断の最初の電信ケーブル敷設のために深海底調査が行われた。
1843年 ☆Edward Forbes は、300尋より深いところには生命は存在しないと宣言した。
1818年 ☆John Ross 卿は、北大西洋で1マイル以上の深さに索を降ろし、大きなヒトデと虫を採取した。