水中作業でボルトやナットを締める、パッキンを交換するなど緻密な作業は潜水船やロボットでは行えない。 ダイバーが潜れる深度であればダイバーが完璧に作業してくれる。 写真の作業はパイプラインのメンテナンスを想定しての作業だ。
海中作業実験船「かいよう」から降ろされたダイビングベル(SDC)はあらかじめ300mの海底と同じ圧力になっている。海中でハッチを開けるためには均圧作業を行わなければならない。ベルの下のハッチは1mの水圧差があっても開かない。ハッチが開くと第二の水面があってそこから潜水することをダイバーロックアウトと云う。
水深300mで作業するのはダイバーだけではない。 海底の対象物や作業の様子を写真記録するのだ。 使っているのは50mまでしか使用できないニコノス。 このカメラやストロボにもダイバーと同じように飽和潜水になってもらうよう均圧処理して300mで使用した。 この方法でのちに欧米でも使用されたようだ。
JAMSTECは水深300mまでのダイバーによる潜水作業の開発を行っていた。海中作業実験船「かいよう」からダイビングベルで300mまで降下して、ロックアウトしてダイバーが水中作業を行うのだ。 もちろん「かいよう」は定点保持能力があって海面にとどまっている。
深海生物は変わった生態をもつものが多い、このアオイガイことペーパーノーチラスも同様だ。深海の中層に生息するアオイガイは卵を産みつける殻を作ってそこに卵を産むのだ。ペーパーと呼ぶぐらい壊れやすいので穴が開くと補修もする。産卵のためとあるようにメスだけが殻を作る。
ハワイ沖水深5200mの海底に沈むソ連の潜水艦K-129を回収するため、グロマーエクスプローラーには「クレメンタイン」と呼ばれる大きな回収装置が搭載されていた。これをつかって大きな潜水艦をつかんで引き揚げたのだ。 一度落してはいるものの船を定点保持しながらの最新技術での回収であった。
ソ連の潜水艦K-129を引き上げたグロマーエクスプローラーには長さ60mもの巨大なムーンプールがあった。ムーンプールとは船体の中央に開いている開放部のことである。内部は波がなく月が映ることからムーンプールと呼ばれている。欧米人にしては風流な呼び名をつけたものだ。
世紀の大富豪と呼ばれたハワード・ヒュース(1905~1976)は米国のプロジェクト「ジェニファー」に絡んでいた。このプロジェクトはハワイ沖に沈んだソ連の潜水艦K-129を引き上げるものだ。水深5200mから回収であった。 経費は1300億円と言われた。
海底は年間3センチから15センチも移動しているので時折大きな地震を起こす。地震が起きると津波の被害も発生して多くの方々が亡くなる。1960年にはチリ地震M 9.5がおき、1964年にはアラスカ地震(Great Alaska Earthquake)M9.2が起きて写真のように大きな津波が襲った。2004年にはスマトラ島沖地震M9.3が津波を起こし22万人の方が亡くなった。
潜水調査船「アルビン」の潜航直前(2日前)に発見された生きたシロウリガイの生息場所へ1977年2月17日「アルビン」はJack Corlissらを載せて潜航し、ガラパゴスリフトの水深2500m、水温8℃の温水域で生きたシロウリガイを捕獲した。この航海ではジオロジストだけであり、詳しい生物調査は後の航海に残された。
1977年2月15日に世界で最初にシロウリガイを撮影したのはウッズホール海洋研究所の深海曳航体「ANGUS」であった。 スクリップス海洋研究所の開発した「FISH」の成果をもとに作られた曳航体で以来、深海調査はまず調査船から降ろされた曳航体によって海底の様子が確認されるようになった。
1977年2月15日ウッズホール海洋研究所の調査船「ノール」は深海曳航体「ANGUS」で生きたシロウリガイを発見した。 この時はアルビンの調査海域を決める下見の調査でこれまでのスクリップス海洋研究所の調査の成果をもとに生きたシロウリガイの撮影に成功した。