イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

慈恩精舎

2024年03月14日 | 岡山
前々から気になっていた
慈恩精舎という精進料理のお店に
連れて行っていただきました。

駐車場のミモザが満開で、素晴らしいです。









庵主様(女将さん)は
浄土真宗本願寺派 僧侶 布教使 藤岡貞賢さんです。

お店の中にお仏壇があり、
ご挨拶させていただきました。
こちらでは、朝の法話もされているそうです。





モダン精進料理の小鉢膳十八願をいただきました。
しかも、お仏壇の前の席で、
阿弥陀様に背中を向けて座り、申し訳なかったです。
ひとつ、ひとつ、作り方を考えてみたり、
味を探ってみたりして、とても楽しみました。



蓮根料理を中心に肉や魚は使っていないのですが、
十二分に満足するお味で、私は大好きになりました。
食後に蓮根茶と蓮根煎餅もいただきましたが、
私は蓮根大好きなので、お茶もお煎餅もおいしかったです。

自宅からは4キロくらいなので、
これは自転車でも行ける❣️と思いまして、
私の、お楽しみなお店を発見した思いでした。

精進料理は大学時代、仏画の勉強で高野山に通っていた時に
何回か宿坊でいただきました。
元から精進料理は大好きなんです。

高野山で夕方、ブランコに乗っていたら、
向こうから、若いお坊さんを連れた年配のお坊さんが来て
「おや、あなたはここじゃないよ。
お帰りなさい。」と言われたことがあります。
後から考えたら、あの方は当時の座主でした。
私の未来が見えていたのでしょうか?

今はキリスト教の絵を描いていますが、ご先祖様方は仏教です。
私はクリスチャンですが、
日本の仏様も神様も
すごく大切に思っています。



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年度末

2024年03月07日 | 岡山
年度末だからか?
いろんな変化がありました。

町内会の班長の役目が3月で終わります。
昨年の春は母がどうなるかわからなかったので、
班長をして大丈夫かな?と思いましたが、
なんとか無事に終わりそうです。

25軒の班で認知症高齢者宅があり、
回覧が何回か半月以上、
長い時は1カ月近く、そのお宅で停滞しました。
他にも高齢者一人暮らしのお宅もあり、
25軒の回覧を回すのに一カ月かかった時もあり、
町内会への希望として、25軒をふたつに分けて
来年度は回覧を2つにしたいと言いましたら、
うちの班だけ2つにすることになりました。
希望が通り助かりました。
これで、早ければ1週間以内で回ります。
認知症高齢者宅を最後にするんです。
早めに2つに分けてよかったかもしれません。

このお宅は家族が高齢者を見ているんだか、見てないんだか、
わからないお宅なので
何事か、あるかもしれないと
ご近所は心構えしていますが、
家族がご近所に
「母をよろしくお願いします」と一言も言ってないですから
余計なことはできないんです。
それどころか「年寄りなんだから、ほっといてくれ」と言われました。
でも、家の中で死んでたり、何かあるかもしれないのです。
お婆さん本人も年寄りだと自覚がないのが、すごく厄介なんです。
だから、警戒しつつも、ほったらかしです。

昨年の春は860軒の町内会でしたが、来年度は900軒以上だそうです。
小学校は教室が足りなくなっています。
岡山市で最大の町内会です。

もうひとつ、
我が家の庭に地域猫の親子が住んで1年以上になります。
この3匹です。




左が母、真ん中が息子、右が父です。
息子はうちで生まれました。

この子たちの避妊や去勢をしてやらないといけないなと思っていましたが、
母が亡くなったり、私が体調悪かったりして、なかなかできませんでした。
そうしましたら、地域猫の不妊手術活動をしているボランティアさんが
手術に連れて行ってくれました。
突然、いなくなったので、どうしたんだろうか?と心配していましたが、
3匹順番に手術してくれていました。
前々から、しっかり食べさせてましたから、治りも早かったです。
息子は花粉症になって、しばらく目が大変でしたが自然治癒しました。

ボランティアさんには手術代を払います。
地域猫や犬の譲渡などをしている団体があって、手術代も安いのです。
助かりました。
病院だと、1匹2万5千円から3万円かかります。
何もかも値上がりで、
犬猫飼育をやめる人も増えているようですね。

我が家のくーちゃんも連れて行かれましたが、
既に避妊手術しており、
さくら耳になって帰宅してきました。
いなくなった時は夜寝られなかったです。


家を出たり入ったりしますから、
さくら耳にしてもらったのはよかったと思います。

私の花粉症は、鼻水より目や皮膚のかゆさなのです。
今、杉花粉のピークなんですね。
最高につらいです。

他にも忙しい事はたくさん、
イコンの続きもありますし、
新しい仕事もありますから、
こちらをしばらくお休みしますね。



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時を経て②

2024年02月20日 | 岡山
時を経て①の、記事の続きです。

磯田くんのラジオを聴いて
30年ぶりに解けたのは、
約30年前に明治生まれのある女性が発した一言なんです。

それは、
「あなたは子どもたちを、
下級武士の住む地に遊びに行かせるのか⁉️」という言葉です。
これだけ聞いたら、今ならすごい差別発言でしょ?
私も当時、そう思いました。

私たちの住んでいた岡山後楽園前の出石町から、
すぐ北の広瀬町へ子どもたちが遊びに行くだけなのに
下級武士の住む地に行かせるのか?と怒るわけです。
高齢者の認知の衰えとかあるにしても、若い頃の記憶からの発言でしょうから、
これはいったい何があったんだろう?
ただの差別発言ではないんじゃないか?とずっと思っていたんです。

この発言をした明治生まれのおばあちゃんは
当時、岡山後楽園門前でお菓子屋さんをしていたんです。
今はコンビニになっている場所です。
この時、
もうすぐ90歳と言ってましたから、生きていたら120歳くらい。
つまり、1900年くらいに生まれた人なんです。

1900年初めの出来事、コピペです。
義和団の乱(1900年6月)
マッキンリー大統領暗殺事件(1901年9月)
ライト兄弟初の動力飛行(1903年12月)
パナマ運河建設(1904年)
ロシア第一革命(1905年)
サンフランシスコ大地震(1906年)
こんな時代に生まれたおばあちゃんですから、
おばあちゃんの親の代は幕末〜明治初期です。

おばあちゃんの下級武士の話、
磯田くんがラジオで話した岡山藩(備前藩)が深く関わりのある
神戸事件(備前事件)を聞いて、この事件があったから、
下級武士が‼️という罵りとなったんだなと初めて理解しました。

神戸事件をネットからコピーしますと、
神戸事件は、慶応4年(1868年)1月11日に神戸三宮神社前において備前藩兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させ、銃撃戦に発展し、居留地予定地を検分中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた事件である。備前事件とも呼ばれる。明治政府初の外交問題となった。

磯田くんの話によりますと、
1868年は明治元年で
岡山藩は西郷隆盛の招集により、江戸へ向かう途中、フランス軍に出会い、彼らが鉄砲を持っていて、
岡山藩の武士が「鉄砲だ、鉄砲だ」と言ったのを、
他の武士が勘違いして「発砲だ、発砲だ」と聞き間違えて、フランス軍に向けて発砲してしまい、戦争になってしまったというのです。
岡山藩は日本で初めて外国と戦った藩ということになるそうです。
聞き間違えて銃撃戦ですよ。
なんたることでしょう‼️
詳しくはYouTubeで検索すると、安住さんのラジオで磯田くんが話しています。

この事件の中心の武士たちが住んでいたのが、今の広瀬町あたりだったんです。
広瀬町は出石町からは、すぐそこで、大きな車道を挟んだ隣町なんです。
お菓子屋のおばあちゃんは、親たちから下級武士がしでかした事件を聞いて育ったに違いないんです。

今の私たちは、何にも知らなくて、
もちろん差別はダメだと聞いて育ってますから、
おばあちゃんの下級武士を憎む気持ちは全くわかりませんでした。

昔の人は自分の住む世界がすごく狭くて、すぐ近くに地獄があったり、天国がある感覚ですから、
隣の町内でさえ、別世界の人間が住む町だから、
そこへ子どもを遊びに行かせるとは、なんたる母親だと
おばあちゃんは怒ったんでしょうね。
磯田くんの神戸事件の話から、長年の疑問が解けたのでした。
昔の話は、今の感覚で考えたらいけませんね。
今の感覚では理解できません。
ラジオでは、この事件に絡んだ磯田くんのご親戚の話も聞けます。
歴史好きな方はぜひ聞いてみてください。

宇多田ヒカルちゃんのご先祖様も備中高松城水攻めで
泳いで行ったり来たりして大活躍されたそうです。
これも磯田くん情報です。
子孫が有名になると、こんなことまでバレるんですね〜。

磯田くんプロデュースで岡山城が新しくなり、
前は改装するまでの長年で4万人の観光客だったのが
改装後1年で4万人を超えたそうです。
新しくなったのもあるけれど、磯田パワーはすごいですね。
磯田くんも言ってましたが、
ぜひ宇喜田秀家を大河でしてほしいです。
おもしろいんだけどな、備前藩や津山藩の歴史。
大河になるには、地味かなぁ?
我々、遠い先祖の森蘭丸なんかもいるんだけどなぁ。
BL推し、がんばってくれないかなぁ。


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西大寺会陽2024

2024年02月18日 | 岡山
今年は4年ぶりに西大寺会陽が17日に開催されました。

西大寺観音院は私の初詣りのお寺なんです。
ですので、今はクリスチャンでも、西大寺観音院は特別です。

奥州市の黒石寺の蘇民祭は千年の歴史を閉じたそうで、
実にもったいない気がします。
境内も西大寺より狭いですし、やりにくさもあったんでしょうか?
しばらくお休みで、また復活してほしいですね。

ケーブルテレビで今年の西大寺会陽をしていましたので、拝見しました。
後楽園の芝焼きと、西大寺会陽の
この景色を見ますと、
岡山にも春が来ます。
開催できてよかったですね。


御宝木を投げる時、真っ暗になるんです。
今は10時に宝木投下なんですね。
昔は真夜中でした。
真っ暗な闇の中に、光のように御宝木が降りてくるんです。
それを掴んで走り抜けば福男になります。
すごいですよ。
今年は能登半島復興祈願でもありました。

闇と光は世界中の宗教で共通ですね。
闇の冬から光の春へと明けるんです。

















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時を経て①

2024年02月09日 | 岡山
在宅介護中の16年間は
自分のことが全くできなかったですね。
最初は同時介護でふたり看てましたから、私の時間などなく 
お風呂も日をまたいだ深夜に入っていました。

たまに施設に預けて京都に行っても、
介護をしたことのない大学の先輩から
「介護があるのに、何のこのこ遊びに来てんの」とか、
私がオリエント美術館に紹介したイコン画家には
人吉ハリストス正教会のイコノスタスを手伝っている時に
「年寄り看てないで、さっさとイコン描きなさい」と言われました。
口癖は、「私は札幌ハリストス正教会の神父の娘で、私のイコンが高いのは当然だ。
岡山の人間は私を敬うのが当たり前でしょう」と繰り返し言うんですから。
オリエント美術館に紹介して大失敗でしたから、学芸員には知らせました。

こんなことを平気で言う宗教画家にひっついていたら
オウムの二の舞だわ、と思いさっさと離れましたね。
中川智正くんは朝日高校の同級生でしたからね。
彼が麻原に会う前は、悪ではなかった。優しい人です。
彼は今でも私の友達です
宗教の危うさもわかっています。
甲本ヒロトくんたちが朝日に遊びに来ていて、バスケをしているのも見てました。
水道橋くんも来てたね。
みんな同い年です。

イコン画家は、画材も知らなくていいと生徒に平気で言ってましたから、金箔の独占販売やイコンにカビを生やす、アクリルチューブに粉の顔料ぶっ込む、などやってました。
人吉ハリストス正教会のイコノスタスはアクリルチューブに顔料入れなさいとイコン画家のアトリエで言われ、
もう、とんでもないと思い、イコン画家からは離れました。
文化財修復士の大学の先輩に聞いても、「それは有り得ん、剥落がすぐ起きる」ということです。
宗教画以前に、絵の画材を知らない画家でした。

ふたりの介護がやっと終わり、
16年間考えていたことを今していますが、
やりたいことのひとつに、磯田道史くんの歴史の話を知りたいと思ってました。
歴史家の磯田くんは私の小学校の後輩で、彼が歴史に目覚めた遊んでいた場所が全く同じなんです。
ですから、彼が話す岡山の場所は全てどこかわかり、話がまた楽しい。
岡山藩のいい加減さもよくわかります。
磯田くんの出たラジオや講演会を動画で流しているのですが、
30年前の疑問が磯田くんの歴史話で
やっと理解できたことがありました。

何が30年越しにわかったか?
その話を次に書きます。


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花時計