明け方、夢をみた。
ザワザワした広い部屋で
数人が、各自のパソコンを前に
雑談をしている。
ある人が言う。
「こっちじゃ、言葉はさわれないだろう?
でも南の方じゃ、PCでも普通に
『さわれる言葉』を打ち出せるんだって」
ええっ!? みんな驚く。
言葉ってさわれないもんだろ?普通。
PCでそんなもん打てるのか??
とにかくこっちの「北」の言葉は
オレたち、さわれないよな~
そんな風にできてないよ、言葉が。
言い出した人は続ける。
「それが南じゃあ、言葉って
手でさわれるもんだって
み~んな思ってるらしいんだ。
それがあっちの共通認識。常識なんだろな」
へえ~~そうゆうもんなんだ。
そこで話は終わった。
でも、私は夢の中で
ひとりで考えている。
言葉にさわるって
どんな感じがするんだろう。
アタシなんて、人にもモノにも
世界にも触りたくないから
「言葉」をせっせと使ってきたのに。
その「言葉」自体にさわれるなんて
いいのか悪いのかワカンナイよ・・・
(でも、もしも「さわれる言葉」があったら
アタシだって、「離人症」なんてオトモダチが
あんなに早く現れることは・・・なかったのかなあ)
「南」って、どんなとこだろ。
どんな人が、手でさわれる言葉使って
話したり、本書いたり、映画観たりしてるんだろ。
アタシも言葉にさわってみたい・・・
そう思ったところで目が覚めた。
北とか南とか
朝鮮半島の政治情勢みたいだけど
もちろん、そうじゃない。
もっと漠然とした、北の方(ちょっと寒そう?)
南の方(なんだかあったかそう)の
イメージ・・・というだけ。
「手でさわれる言葉」と聞いても
その場の若い人たちは
あまり驚かなかったように見えた。
それを(南の)PCは打ち出せるし
人はそれを当たり前と思ってるなんて
凄いことだって、(若い)私は思ったのに。
目覚めてから、夢の全貌を思い出そうと
必死になったのは・・・なぜだったんだろう。
とにかく覚えておかなきゃいけない!と
本気で思ったので、こうして書いた。
(いつか、その理由がわかるときが来る・・・のかなあ)
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