眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

 顔  ・・・・・ 「Vフォー・ヴェンデッタ」

2006-05-07 16:10:05 | 映画・本
もしかして、私は「人間」というよりもっと端的に、人の「顔」に興味があるのではないか・・・と思うようになったのは、前回のサッカーのW杯で、毎日のようにさまざまな国の試合を家族と一緒に観るようになった時だった。

実は私は、何によらずスポーツについては「する」のは勿論「観る」のさえ(何しろルールもアヤシイ・・・というレベルなので)およそ心許ないヒト。それなのに、家族が居間で何か試合を観ている時は、案外退屈もせず一緒に観ているのが自分でも不思議で、一体何がオモシロクて観ているのだろう・・・と考えてみたら、結局選手(時には監督やコーチ、或いは最近では観客も)ひとりひとりの「顔」を見ているのが楽しいらしいと気がついた。

特に選手の場合は、全身でも何かを語るような「表情」を見せたりするので、見ていて飽きない。獲物を追うヒョウやタカの美しさに通じるものを感じたりする瞬間もある。それでも、私にとっては「顔」自体の語るものには及ばない。そしてその「顔」の表情というのは、中でも「眼」に負うところが大きいのだと、当然のように思い込んでいた。

ところが先日観た映画、「Vフォー・ヴェンデッタ」の主人公Vは、登場してから死を迎えるまでずっと仮面を被ったままという人物だった。眼は仮面に刻まれた、黒く細い切れ込みにすぎない。

映画自体は近未来のイギリスが舞台だが、Vは17世紀初頭の貴族がモデルのため、古めかしい衣装に尖った深い帽子、仮面もそれに相応しいちょっと不気味な感じのいかにも西洋風のもの。本来なら、仮面の「無表情」が際立つはずの、なんだかハロウィーンか或いはちょっとした悪夢にでも出て来そうな格好のこの男の見せる「表情」に、私は魅了された。

「作り物の顔」が表情豊かなのは、能楽や人形浄瑠璃を垣間見るだけでもよく判ることなのに、西洋風の仮面というのは「無表情」で「不気味」なものとしか見ていなかった自分の思い込みが恥ずかしい・・・。光と闇の魔法で、Vの「顔」は驚くほど多くの思いを語っていた。文字通りの「陰翳」に富んだ顔だったのだ。

演じた俳優の美しい声やキレのいい身のこなし、或いは知性、教養、ユーモア、そして復讐を思い詰めている狂気といった役柄上の要素もあって、Vは本当に魅力的な人物になっていた。が、私にとってはあの「顔」の見せる表情抜きには、これほど呆然と彼に見とれることは無かったと思う。

「顔」の語るモノもその語り方も、本当にさまざまなんだ・・・と、改めて感じさせてくれたこの作品をそっと教えてくれた映画の好きな知人に、私も今、心の中で、ソッと感謝している。

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