眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

『ルーム』

2017-02-28 17:12:24 | 映画・本

支離滅裂で、しかも長~い「ひとこと感想」その17。(大幅ネタバレになってしまいました)

メモにはタイトルしか残っていない。観てる間も観た後も、さまざまなことを考えさせられた映画で、あまりに「考えて」しまうせいで、感想が書けなくて・・・今も実は困っている。

冒頭、若い母親と小さな男の子の暮らす部屋が、狭く質素ながらもとても温かい「子どもの居る家庭」に見えて、それがノックの瞬間激変することに、一体何が起きているのかと想像をめぐらしたこと。母親が拉致・監禁されているのだということがわかってきてからは、男の子と言ってるけれど、もしかして女の子なんじゃないか、だからこれほど「父親」から遠ざけて守ろうとしているのでは・・・などと疑ったりしたこと。

母親がとても子どもを愛しているのが見て取れて、このくらいの子どもがいたころの自分と比べて、あまりに辛抱強く優しいことに感動したこと。(子どもの生まれた経緯を思うと余計に)

でも・・・男の子は5歳ともなると、こういう狭い空間に閉じ込めてはおけなくなる。少なくともこれまでのようにすくすくと育ってもらうためには、ここではもう無理なんじゃないか・・・と観ながら危惧していたら、子どもの様子からそれと察した母親は、「外」の世界に子どもを出すことを本気で決心する。(私自身は、実はここで一番驚いた。凄いな・・・よく決断・実行できたなあ。私だったら悩むばっかりだったかも)

策を練り、練習を重ね、子どもはなんとか「外」に出る。彼が生まれて初めて「空」を見るシーンは、忘れられない。(演じている男の子の表情は、まさに「初めて見ている」子どもにしか見えなかった)

観察力・想像力に優れた女性警官に出会えたおかげで、辛くも母子は救出され、祖母(母親の母)の住む実家に戻る。ここまででも充分サスペンスフルな展開で、映画として面白いと思うのだけれど、この『ルーム』という映画は、むしろ「その後」の物語に力を入れているように見えた。


当然のことながら、母子はその後マスコミ攻勢に曝され、今は離婚している祖父(母親の父)は男の子を孫とは認められず、やっと家に戻れた母親も両親の前では(拉致された当時の)17歳のように感情をぶつける。彼女にとっては奪われた思春期とでも言うべきもので、自由になったからといって、その後の生活がそう簡単に軌道に乗る筈がないのだ。

それでも、母親から目一杯の愛情を注がれて育ったことは、子どものその後を支えるしっかりとした土台になったと私は思う。子どもが(大人である母親に比べて)たくましくその後の生活を築いていくように見えるのは、「こども」という存在の「成長する力」だけじゃあなかったと。

そばに付き添う祖母の聡明さと優しさ(母親の聡明さはこの人譲りだと思った)。医師や祖母の現在の同居者である男性の「適度な距離を置いた」親切さ。たとえ子どもが認められなくとも、祖父も17歳で行方不明になった娘のことを、本当に愛しているのだということ。(たとえ娘を「自分のもの」のように感じ、それゆえに孫の出生が許せないのだとしても)

そういったさまざまな人たちに支えられて、その後母親と子どもがどういう地点にまで歩んでいったかを、この映画は、おそらくは「願い」を込めて描いているのだと思った。実際にはこの映画のラスト以降、二人の道はさらに困難になっていくのではないか・・・と想像してしまう自分がいるので、余計に「願い」を感じたのかもしれない。


最後にひとつだけ、一瞬呆気にとられ、その後腹が立って仕方なかったことを。

弁護士に説得されて、母親が渋々TV番組のインタビュー取材に応じたときのこと。インタビュアーの女性は、録画?を始める前には、知的な物言いをする人に見えていた。

ところが始まってみると、彼女は母親に「なぜ子どもを”男”に預けて、どこか安全な場所に置いてこさせる・・・といった手段を取ろうとしなかったのか」と、慇懃無礼を絵に描いたような言い方で尋ねる。

私は正直、「このインタビュアーは、なんて馬鹿なんだろう」と思った。「なんて無神経で残酷な質問をするんだろう」とか「マスコミって、結局そういう”視聴者”目線で番組を作るんだな」とかいうのではなくて、はっきり女性の「知性」を疑った。

この母親にとって、「世界で最も信用出来ない人間」というのが、あの”男”なのだ。「神様からの贈り物」である最愛の息子を、そんな人間に託すことなどあり得ない。今「ルーム」が焼け落ちようとしていて、自分は身動きできずに死が間近に迫っている・・・とでもいうような状況ならまだしも、あの”男”に託すことは、そのまま「どこで殺されても不思議でない」道に子どもを追いやることにしか、彼女には見えないだろう・・・と、少なくとも私は思った。

しかし、母親は答えに詰まる。

彼女は、子どもにすがることで自分は生き延びたのだと、深いところで自覚していたのだと思う。それは彼女の聡明さ、豊かな感受性ゆえだと私は感じた。もっと彼女が鈍感なら、例えば私が書いたようなことを、大声で言い募ったかもしれないと。

子どものことより自分を優先したがゆえに子どもを手放せず、インタビュアーのいうような工夫・行動は取れなかったのだ・・・という思いが込み上げてきたかのように、絶句してしまう彼女に、私は胸が詰まった。「そうじゃない!」

「子どもを生きるよすがにして何が悪いの!」「あなたは自分で、子どもを一人で逃がしたじゃないの」「子どもが成長して、”男”を騙せるときが来るのを、辛抱強く待ったからこそ、子どももあなたも助かったんじゃないの」と言ってあげたかった。



思ったことのごく一部を羅列しただけなのにムダに長くて、読んで下さる方に申し訳ないような感想だけれど、それでも書けてなんだかほっとしている。母親役の女優さん(ブリー・ラーソン)は前回のアカデミー主演女優賞を受賞した。彼女ももちろん良かったのだけれど、個人的には男の子(ジェイコブ・トレンブレイ君)に何か賞があげたかった。(でも・・・子どもにソンナモノあげちゃいけないのかな)





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