去年から、10代の友人が貸してくれる小説を読むようになった。所謂「ライト・ノベル」と呼ばれるジャンル?の作品で、最初から文庫くらいの大きさで出版され、表紙以外にも美しいイラストが数ページ、登場人物の紹介を兼ねて?付けられているものが多い(らしい)。
書店ではちょっと奥の棚にずらりと並んでいて、中高生くらいの人たちが立ち読みしていたりする、あの小奇麗な本たち・・・というイメージしか無かったので、「ライト・ノベルってどーゆーモノを指すの?」と、何回か彼に訊いてみた。が、「あれこれ言われてるみたいだけど、要するに出版社とかレーベルとかで決まってしまうんじゃないかなあ・・・」などなど、彼も説明しづらそうで、結局「まあ、1回読んでみますか?」。
実は彼が「ラノベに手を出した」のも、私よりほんのちょっと早いだけなのだという。彼の友人が家に来た時、「これとこれはイイから絶対読め。」とかなんとか、何冊か置いていってくれたのを、それならまあ読んでみようか・・・と手に取ったのが始まりだったらしい。
最初は小遣いで新品の文庫を買い、透明なカバーを掛けたりしていた彼が、少し前の傑作をあちこちの図書館で探して借りてくるようになったので、私のところへ後から回ってくる本が急に増えた。今では私の枕元には、常時その手の本!が数冊積まれて、山のテッペンを形作っている。
以前と違って最近は、私も案外平気で図書館の返却期限を無視する。彼が人に何かを勧める時は、それなりに相手の好みその他を考えての上のことなので、逆にさっさと読み流す、読み捨てることが出来ないような小説が、私の所に集まってくるからだ。(彼自身は、ルールはきちんと守りたい方だけれど、行きがかり上仕方なく?私の期限無視を許容してくれているらしい。)
ライト・ノベルという名前で呼ばれている小説たちは、少なくとも53歳の私にとっては、軽く読んですぐ忘れられるようなものではなかった。私は本当に久しぶりに、「文学」だの、現代(というか、現在ただ今)の若い人たちの「文化」について、思い巡らす機会を与えてもらったと思う。
私は、映画と同じように、読んだ本の簡単なメモを書くこともあるけれど、感想というほどの長さのものは書いたことがないと思う。(そんなところまで回せるエネルギーが無いからという、身もフタも無いような理由からだ。)それでも今回、この「ライトノベル」たちのことだけは、少しでも感想を書いておきたくなった。
若い人たちが見たら、あまりにピントがずれていると思われそうな文章になるかもしれない。なんでもライト・ノベルの主要登場人物たちは、最近では中学生が普通で、読者層もその辺りがメインなのだという。(17歳でギリギリ、18歳だともうダメ?などという世界(らしい)。)
それでも10代の友人が言っていた通り、私のような旧世代から見ても、所謂「小説」(純文学だのエンタテイメントだのの区別は別として)としか言いようのない作品がいくつもあって、それらは文庫で出版された後、もう一度ハード・カバーで新たに本として出されたりしていた。(彼が図書館で借りてくるのは、そういうものが多かった。)
という訳で、取りあえず読んだ順に、ちょっと書いてみることにする。
『ミミズクと夜の王』 ( by 紅玉いづき)
10代の友人は、初めて自分の小遣いで買ったライト・ノベルだと言った後で、「この表紙を見たら、この本が『別扱い』されてるのがすぐわかった。ラノベには普通、こんな表紙はあり得ない。」と付け加えた。今となるとその意味が私にもよく判るくらい、夜の森とその中を行く少女を抽象的に描いたこの本の表紙の絵は、内容を象徴するかのようで、しかもとても美しい。読んだ後も、非常にストレートな「恋」を寓話的に描いた装飾画のような印象が残った。「人の心につけられる傷の深さ」抜きでは作品が成り立たないかのような、いかにも昨今の若い人の世界に属する内容なのだけれど、本人のあとがきにある、この人が小説を書く目的・理想といったものも、どこかに感じさせる作品。私にとっては、これも「特別の恋」の一例かもしれない。幸せな結末を迎えるところが「若い人向き」だとは思ったけれど。(オトナの場合、こうはいかないことが多いような気がして。)
『人類は衰退しました』 ( by 田中 ロミオ)
少女と小さな妖精サンたちの可愛いイラストで、いかにも「ラノベの典型」とでもいった外見なのに、少なくとも私にとってはある種の「文化論」(それも相当挑発的?な)を見せられた気がした作品。最初は旧世代である私にはちょっと抵抗感がある文章だったけれど、その世界に慣れて読み辛さが薄れてからは、シリーズ化されても何冊でも読めそうな気もしてきた。とにかく「人類が衰退した」後に現れた「新人類」(これが妖精サンたちだ)の設定が、なんとも・・・曰く言い難い。「生命を維持するために食べる必要の無い」人類なんて、自分の発想の中には無かったことに初めて気づいた私は、逆に、若い友人たちにとっては、これが不思議でもなんでもないことなのだということにも、遅ればせながら気づかされたのだ。軽い軽~いノリの小説だからこそ、旧世代の私の度肝を抜くようなモノを、ラノベなる小説群は持っているかもしれない・・・と、なんだかドキドキしてきたのを覚えている。
『文学少女と・・・・・』シリーズ ( by 野村美月)
西洋と日本の古典文学の中から数作品を選んで、それぞれを題材にした小説5冊のシリーズになっている。5冊全てを読み終えて、改めてライト・ノベルにおける絵の重要性を実感した。(今となると、この絵でしか私はヒロインの遠子が思い浮かべられない。)古典を題材にしているから余計に思うのだろうけれど、昔も今も日本では、(絵巻物から絵草子、或いは少女マンガに至るまで)絵に文章を付けて、庶民は「文学」を楽しんできたのだ・・・という感慨が湧くほどに。遠子がもしかして人間ではない?のかと疑わせるようなところもあるためか、昔々から存在した「文学少女」たちの系譜(それは当然、平安時代にまで遡る!)を実感させるものがある作品。今時の高校生たちの風俗風景を借りて、昔も今も変わらない人の愛憎、迷い、葛藤、その苦しみを描いているように、私には思えた。(ライト・ノベルの中では、案外旧世代向きかもしれない。)
『クビキリサイクル』 ( by 西尾維新)
初代受賞者が森博嗣さんだったメフィスト賞も、23代目ともなるとこういう作品が選ばれるようになるのか・・・という妙な感慨と共に読んだ。裏表紙の説明にもある通り、ミステリーであると同時に、現代の日本の若い男のコの青春を描いていると言うなら、確かにそういう感じもする。良い悪いは別として、今を生きている若いヒトたちは、これくらい他人の言動にハラハラして、傷つくこと傷つけることを怖れて(しかも当然のように自分は傷ついて)いるのかもしれない・・・とも。だからこそ、自分のことを「僕様ちゃん」と呼ぶ天才PC少女は魅力的なのだろう。(そういえばこの作者は、森さんの文庫の1冊の解説として、「森さんのような小説が書きたいとずっと思っていた」などと書いていた人なのを思い出した。考えてみると森博嗣の作品群も、ライト・ノベルに至る系譜の中にあるような気がしてきて、なんだかさらにシミジミとしてしまった。)
『DDD』 ( by 奈須きのこ)
血生臭さ、気持ちの悪さ(猟奇性?)と、本に使われている字体の特殊性に慣れるのに、少し時間がかかった。時制、視点、空間の移動が細かいのにも、私のような者にはちょっと頭を使わせられる感じだけれど、色々なことに慣れてくると、これはこれで立派な「小説」!としか言いようがない。「その辺のマトモそうな小説より面白いかも。」などと、読んだ直後のメモにもあって、「児童文学で言うなら『ダレンシャン』みたい。」と貸してくれた10代に言ったら、彼も頷いていた。
『神様のメモ帳』 ( by 杉井 光)
文庫で2冊あるけれど、①の方の表紙のアリスが気に入って、読んでいる間ほとんど「脳内アニメ上映状態」だった。(アニメーション映画『秒速5センチメートル』を観た後だったからかもしれない。)このままアニメ化(或いはもしかして実写でも?)出来る気がするくらいだけれど、小説として自分が気に入ったのかどうかは、実はヨクワカラナイ。ただ、私はこれほど徹頭徹尾「ボヤボヤしている」主人公も、あまり見たことがないと思った。そのボヤボヤぶりがあまりに正直でリアル?なので、他のキャラたちのデフォルメぶりの方は、いっそカッコ良く見えてくる・・・となると、これはもうエンタテイメントというものなんじゃないかという気がしたのだ。それに何より、「ひきこもり探偵」の少女アリスが、トンガリっ放しで私には新鮮!だった。
『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』 ( by 桜庭一樹)
虐待を扱っていて、イジメと呼ばれるようなモノも所謂「ひきこもり」も出てくる作品で、しかも誰も責めず、独特の自然さ?で物語は進む。なんだかちょっと変わった、でも良く出来た少女小説(なんて言葉が今もあるんだろーか?)みたいな気もした。終盤、どことはなしに教育臭のようなものも感じられるような展開になって、よくある「良心的な青少年向け作品」になってしまうようで、ちょっと残念な気もしたけれど、中学生くらいの年齢層にも読んでもらいたいのかもしれない・・・と思うと、これはこれで納得がいく。ともあれ、主人公の少女の最後のひとこと(地の文だけれど)が効いていて、「オトナの側から見たのではない」少年少女群像を描いているという意味では1本筋の通ったものを感じさせる作品だった。(早朝、読み終えて朝刊を取りに行ったら、1面にこの作家の直木賞受賞(もちろん他の作品)が出ていて驚いた。この本の内容から想像していた通り、30代半ばの女性だった。)
『塩の街』 ( by 有川浩)
正に(気恥ずかしくなるくらいの)ラブ・ストーリー。目で見ただけで伝染するのではないか・・・と疑われる、人の身体が塩と化してしまう奇病が、なぜ流行り始めたのか、といったトンデモナイようなSFの体裁を取ってはいるけれど、「その実、昔々から人々に読まれてきたエンタテイメントの王道を行っているような気もする」と10代が言った意味も分かる気がした。作者は「自衛隊マニア」を自称している女性作家とか。この小説でも自衛隊の基地や隊員たちが登場し、自分の土俵で終始勝負しているような安定感を感じさせる。「図書館でもこの人の本は大抵貸し出し中で、なかなか借りられない。」という噂も本当だった。(『空の中』を借りようとしても、どこの図書館も「貸し出し中」。)
この半年に薦められて読んだのはこのくらいだったと思う。
考えてみると、私が若い人に薦められて小説を読んだのは、今から10年ほど前、『ブギーポップは笑わない』( by 上遠野浩平)が最初だった。その頃はまだ、彼らも「ヤングアダルト向けの小説」といった言い方をしていて、ライト・ノベルという言葉は使っていなかったと思う。『ブギーポップ』シリーズは面白く、私はその後も何冊か読んだ記憶がある。その他にも『キノの旅』のように独特のストーリー展開と中間色がとても美しいイラストで、印象に残っている作品もある。
また一方では、今回感想を書こうとした中に、偶々50代の知り合いから「この人の作品の中では、ボクはこれが一番面白かった。ライト・ノベルだから、あっという間に読めるよ。」と言われて貸してもらった『復活の地』( by 小川一水)があった。ところが若い人たちに「これもライト・ノベルなの?」と訊くと、彼らは笑い出して「・・・ムズカシイとこだな~」「意見が分かれると思うよ」などと言う。ライト・ノベルにはSFが多いのだけれど、「ライト・ノベル」扱い出来ない作品もその分多いらしい。(それが寧ろ賞め言葉なのも「微妙~」?だけれど。)
『復活の地』はあっという間に文庫3冊が読めてしまうくらい、知人の言葉通りの面白い本だった。私はこの知人のお陰で、これまでにも色々なSFを読んだけれど、「国家が滅亡しかけるほどの大災害に際して、『公僕』!はどうあるべきか・・・」などということを大きなテーマにしている小説は、この本が初めてだと思う。南海大地震が秒読みに入っている高知に住む者としては、他人事とは思えないという事情もあって、ドキドキしながら読んだ。(終盤、ほとんど映像で見ているかのような美しいラブ・シーンがあり、『007 カジノ・ロワイヤル』のシャワー室でのシーンと同じくらい、忘れ難い印象を残す。)
といった具合で、書き出したら止まらなくなりそうだ。これ以外にも、『赤城山卓球場に歌声は響く』( by 野村美月)と『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』( by 滝本竜彦)は、私にとってちょっと特別な感慨があった作品なので、別の記事で改めて書くことにする。
これでもまだ、寝室の枕元には『バッカーノ!』シリーズ数冊、『みずたまぱにっく』、『NHKにようこそ!』、『人類は衰退しました②』(本当にシリーズ化した!)『文学少女』の最新刊(特別編)が、他の本の上に積み上げられている。(下積みに耐えている本たちのところに光が当たるのはいつのコトやら。)
書店ではちょっと奥の棚にずらりと並んでいて、中高生くらいの人たちが立ち読みしていたりする、あの小奇麗な本たち・・・というイメージしか無かったので、「ライト・ノベルってどーゆーモノを指すの?」と、何回か彼に訊いてみた。が、「あれこれ言われてるみたいだけど、要するに出版社とかレーベルとかで決まってしまうんじゃないかなあ・・・」などなど、彼も説明しづらそうで、結局「まあ、1回読んでみますか?」。
実は彼が「ラノベに手を出した」のも、私よりほんのちょっと早いだけなのだという。彼の友人が家に来た時、「これとこれはイイから絶対読め。」とかなんとか、何冊か置いていってくれたのを、それならまあ読んでみようか・・・と手に取ったのが始まりだったらしい。
最初は小遣いで新品の文庫を買い、透明なカバーを掛けたりしていた彼が、少し前の傑作をあちこちの図書館で探して借りてくるようになったので、私のところへ後から回ってくる本が急に増えた。今では私の枕元には、常時その手の本!が数冊積まれて、山のテッペンを形作っている。
以前と違って最近は、私も案外平気で図書館の返却期限を無視する。彼が人に何かを勧める時は、それなりに相手の好みその他を考えての上のことなので、逆にさっさと読み流す、読み捨てることが出来ないような小説が、私の所に集まってくるからだ。(彼自身は、ルールはきちんと守りたい方だけれど、行きがかり上仕方なく?私の期限無視を許容してくれているらしい。)
ライト・ノベルという名前で呼ばれている小説たちは、少なくとも53歳の私にとっては、軽く読んですぐ忘れられるようなものではなかった。私は本当に久しぶりに、「文学」だの、現代(というか、現在ただ今)の若い人たちの「文化」について、思い巡らす機会を与えてもらったと思う。
私は、映画と同じように、読んだ本の簡単なメモを書くこともあるけれど、感想というほどの長さのものは書いたことがないと思う。(そんなところまで回せるエネルギーが無いからという、身もフタも無いような理由からだ。)それでも今回、この「ライトノベル」たちのことだけは、少しでも感想を書いておきたくなった。
若い人たちが見たら、あまりにピントがずれていると思われそうな文章になるかもしれない。なんでもライト・ノベルの主要登場人物たちは、最近では中学生が普通で、読者層もその辺りがメインなのだという。(17歳でギリギリ、18歳だともうダメ?などという世界(らしい)。)
それでも10代の友人が言っていた通り、私のような旧世代から見ても、所謂「小説」(純文学だのエンタテイメントだのの区別は別として)としか言いようのない作品がいくつもあって、それらは文庫で出版された後、もう一度ハード・カバーで新たに本として出されたりしていた。(彼が図書館で借りてくるのは、そういうものが多かった。)
という訳で、取りあえず読んだ順に、ちょっと書いてみることにする。
『ミミズクと夜の王』 ( by 紅玉いづき)
10代の友人は、初めて自分の小遣いで買ったライト・ノベルだと言った後で、「この表紙を見たら、この本が『別扱い』されてるのがすぐわかった。ラノベには普通、こんな表紙はあり得ない。」と付け加えた。今となるとその意味が私にもよく判るくらい、夜の森とその中を行く少女を抽象的に描いたこの本の表紙の絵は、内容を象徴するかのようで、しかもとても美しい。読んだ後も、非常にストレートな「恋」を寓話的に描いた装飾画のような印象が残った。「人の心につけられる傷の深さ」抜きでは作品が成り立たないかのような、いかにも昨今の若い人の世界に属する内容なのだけれど、本人のあとがきにある、この人が小説を書く目的・理想といったものも、どこかに感じさせる作品。私にとっては、これも「特別の恋」の一例かもしれない。幸せな結末を迎えるところが「若い人向き」だとは思ったけれど。(オトナの場合、こうはいかないことが多いような気がして。)
『人類は衰退しました』 ( by 田中 ロミオ)
少女と小さな妖精サンたちの可愛いイラストで、いかにも「ラノベの典型」とでもいった外見なのに、少なくとも私にとってはある種の「文化論」(それも相当挑発的?な)を見せられた気がした作品。最初は旧世代である私にはちょっと抵抗感がある文章だったけれど、その世界に慣れて読み辛さが薄れてからは、シリーズ化されても何冊でも読めそうな気もしてきた。とにかく「人類が衰退した」後に現れた「新人類」(これが妖精サンたちだ)の設定が、なんとも・・・曰く言い難い。「生命を維持するために食べる必要の無い」人類なんて、自分の発想の中には無かったことに初めて気づいた私は、逆に、若い友人たちにとっては、これが不思議でもなんでもないことなのだということにも、遅ればせながら気づかされたのだ。軽い軽~いノリの小説だからこそ、旧世代の私の度肝を抜くようなモノを、ラノベなる小説群は持っているかもしれない・・・と、なんだかドキドキしてきたのを覚えている。
『文学少女と・・・・・』シリーズ ( by 野村美月)
西洋と日本の古典文学の中から数作品を選んで、それぞれを題材にした小説5冊のシリーズになっている。5冊全てを読み終えて、改めてライト・ノベルにおける絵の重要性を実感した。(今となると、この絵でしか私はヒロインの遠子が思い浮かべられない。)古典を題材にしているから余計に思うのだろうけれど、昔も今も日本では、(絵巻物から絵草子、或いは少女マンガに至るまで)絵に文章を付けて、庶民は「文学」を楽しんできたのだ・・・という感慨が湧くほどに。遠子がもしかして人間ではない?のかと疑わせるようなところもあるためか、昔々から存在した「文学少女」たちの系譜(それは当然、平安時代にまで遡る!)を実感させるものがある作品。今時の高校生たちの風俗風景を借りて、昔も今も変わらない人の愛憎、迷い、葛藤、その苦しみを描いているように、私には思えた。(ライト・ノベルの中では、案外旧世代向きかもしれない。)
『クビキリサイクル』 ( by 西尾維新)
初代受賞者が森博嗣さんだったメフィスト賞も、23代目ともなるとこういう作品が選ばれるようになるのか・・・という妙な感慨と共に読んだ。裏表紙の説明にもある通り、ミステリーであると同時に、現代の日本の若い男のコの青春を描いていると言うなら、確かにそういう感じもする。良い悪いは別として、今を生きている若いヒトたちは、これくらい他人の言動にハラハラして、傷つくこと傷つけることを怖れて(しかも当然のように自分は傷ついて)いるのかもしれない・・・とも。だからこそ、自分のことを「僕様ちゃん」と呼ぶ天才PC少女は魅力的なのだろう。(そういえばこの作者は、森さんの文庫の1冊の解説として、「森さんのような小説が書きたいとずっと思っていた」などと書いていた人なのを思い出した。考えてみると森博嗣の作品群も、ライト・ノベルに至る系譜の中にあるような気がしてきて、なんだかさらにシミジミとしてしまった。)
『DDD』 ( by 奈須きのこ)
血生臭さ、気持ちの悪さ(猟奇性?)と、本に使われている字体の特殊性に慣れるのに、少し時間がかかった。時制、視点、空間の移動が細かいのにも、私のような者にはちょっと頭を使わせられる感じだけれど、色々なことに慣れてくると、これはこれで立派な「小説」!としか言いようがない。「その辺のマトモそうな小説より面白いかも。」などと、読んだ直後のメモにもあって、「児童文学で言うなら『ダレンシャン』みたい。」と貸してくれた10代に言ったら、彼も頷いていた。
『神様のメモ帳』 ( by 杉井 光)
文庫で2冊あるけれど、①の方の表紙のアリスが気に入って、読んでいる間ほとんど「脳内アニメ上映状態」だった。(アニメーション映画『秒速5センチメートル』を観た後だったからかもしれない。)このままアニメ化(或いはもしかして実写でも?)出来る気がするくらいだけれど、小説として自分が気に入ったのかどうかは、実はヨクワカラナイ。ただ、私はこれほど徹頭徹尾「ボヤボヤしている」主人公も、あまり見たことがないと思った。そのボヤボヤぶりがあまりに正直でリアル?なので、他のキャラたちのデフォルメぶりの方は、いっそカッコ良く見えてくる・・・となると、これはもうエンタテイメントというものなんじゃないかという気がしたのだ。それに何より、「ひきこもり探偵」の少女アリスが、トンガリっ放しで私には新鮮!だった。
『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』 ( by 桜庭一樹)
虐待を扱っていて、イジメと呼ばれるようなモノも所謂「ひきこもり」も出てくる作品で、しかも誰も責めず、独特の自然さ?で物語は進む。なんだかちょっと変わった、でも良く出来た少女小説(なんて言葉が今もあるんだろーか?)みたいな気もした。終盤、どことはなしに教育臭のようなものも感じられるような展開になって、よくある「良心的な青少年向け作品」になってしまうようで、ちょっと残念な気もしたけれど、中学生くらいの年齢層にも読んでもらいたいのかもしれない・・・と思うと、これはこれで納得がいく。ともあれ、主人公の少女の最後のひとこと(地の文だけれど)が効いていて、「オトナの側から見たのではない」少年少女群像を描いているという意味では1本筋の通ったものを感じさせる作品だった。(早朝、読み終えて朝刊を取りに行ったら、1面にこの作家の直木賞受賞(もちろん他の作品)が出ていて驚いた。この本の内容から想像していた通り、30代半ばの女性だった。)
『塩の街』 ( by 有川浩)
正に(気恥ずかしくなるくらいの)ラブ・ストーリー。目で見ただけで伝染するのではないか・・・と疑われる、人の身体が塩と化してしまう奇病が、なぜ流行り始めたのか、といったトンデモナイようなSFの体裁を取ってはいるけれど、「その実、昔々から人々に読まれてきたエンタテイメントの王道を行っているような気もする」と10代が言った意味も分かる気がした。作者は「自衛隊マニア」を自称している女性作家とか。この小説でも自衛隊の基地や隊員たちが登場し、自分の土俵で終始勝負しているような安定感を感じさせる。「図書館でもこの人の本は大抵貸し出し中で、なかなか借りられない。」という噂も本当だった。(『空の中』を借りようとしても、どこの図書館も「貸し出し中」。)
この半年に薦められて読んだのはこのくらいだったと思う。
考えてみると、私が若い人に薦められて小説を読んだのは、今から10年ほど前、『ブギーポップは笑わない』( by 上遠野浩平)が最初だった。その頃はまだ、彼らも「ヤングアダルト向けの小説」といった言い方をしていて、ライト・ノベルという言葉は使っていなかったと思う。『ブギーポップ』シリーズは面白く、私はその後も何冊か読んだ記憶がある。その他にも『キノの旅』のように独特のストーリー展開と中間色がとても美しいイラストで、印象に残っている作品もある。
また一方では、今回感想を書こうとした中に、偶々50代の知り合いから「この人の作品の中では、ボクはこれが一番面白かった。ライト・ノベルだから、あっという間に読めるよ。」と言われて貸してもらった『復活の地』( by 小川一水)があった。ところが若い人たちに「これもライト・ノベルなの?」と訊くと、彼らは笑い出して「・・・ムズカシイとこだな~」「意見が分かれると思うよ」などと言う。ライト・ノベルにはSFが多いのだけれど、「ライト・ノベル」扱い出来ない作品もその分多いらしい。(それが寧ろ賞め言葉なのも「微妙~」?だけれど。)
『復活の地』はあっという間に文庫3冊が読めてしまうくらい、知人の言葉通りの面白い本だった。私はこの知人のお陰で、これまでにも色々なSFを読んだけれど、「国家が滅亡しかけるほどの大災害に際して、『公僕』!はどうあるべきか・・・」などということを大きなテーマにしている小説は、この本が初めてだと思う。南海大地震が秒読みに入っている高知に住む者としては、他人事とは思えないという事情もあって、ドキドキしながら読んだ。(終盤、ほとんど映像で見ているかのような美しいラブ・シーンがあり、『007 カジノ・ロワイヤル』のシャワー室でのシーンと同じくらい、忘れ難い印象を残す。)
といった具合で、書き出したら止まらなくなりそうだ。これ以外にも、『赤城山卓球場に歌声は響く』( by 野村美月)と『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』( by 滝本竜彦)は、私にとってちょっと特別な感慨があった作品なので、別の記事で改めて書くことにする。
これでもまだ、寝室の枕元には『バッカーノ!』シリーズ数冊、『みずたまぱにっく』、『NHKにようこそ!』、『人類は衰退しました②』(本当にシリーズ化した!)『文学少女』の最新刊(特別編)が、他の本の上に積み上げられている。(下積みに耐えている本たちのところに光が当たるのはいつのコトやら。)
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