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眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

2006年に観た映画(劇場での外国映画編)

2007-02-08 12:32:35 | 映画1年分の「ひとこと感想」2006~
今はもう、映画館と言っても、私が行けそうなのはシネコン一つと昔からの小さな映画館が一つだけ。街中の繁華街には全く無くなってしまったのが寂しい。

郊外に出来たシネコンは、映画を「観る」ためだけならとても快適なのだけれど、観終わって外に出た途端、ざわざわしたショッピング環境だの、はたまたコンクリートの塊だの、どこにでもあるような大量生産の風景が待っているので、一気に現実に引き戻される。平気な時もあるし、「そうだ、○○買うんだった」などと便利に思うこともあるけれど、たまにそれが寒々と感じられることもある。

私が自主上映を観に行くのが好きなのは、それらの会場が街の中にあったり、逆に周囲には何も無くて、川縁の道を自転車で風に吹かれて帰ってくる時間を大切に出来たりする・・・ということも、理由の一つなのかもしれない。(ちょっと遠くても、そちらを心地よく思う時もあるのだ。私の場合、エネルギー切れになると行けなくなるのは、どちらも同じことだから。)

ともあれ、去年はオフシアター映画を観に行くのに忙しく、映画館に行く機会が相対的に少なくなった。といっても、こちらも数年前の倍くらいは観たことになるので、贅沢な1年間を過ごしたことに変わりは無いのだけれど。

以下は、もっと個人的な「思い出話」になる。

20数年前、やはり100本ほど映画が観られた年があった。子どももまだ居らず、しかも私が少しは元気になっていたのだろう。外に出て出来ることが他に思いつかなかったこともあって、純然たるポルノ?とホラー以外、次々と観に行っていたらそれくらいの本数になったのだ。当時も偶然高知に住んでいたのだけれど、その頃には封切館もずいぶんたくさんあり、一方では名画座も健在だった。自転車であちこちするような体力は毛頭無く、バス停まで歩くのも嫌なくらいだったけれど、それでも「どんな映画でも、最後まで観ていられる」ようになったのが嬉しくて、せっせと1人で通った。

「映画を観る」ということは、(娯楽作でもそれ以外でも)相当なエネルギーを要することなのだということを、私はそれまでに痛感していた。人に連れられて車で出かけても、20分も坐って観ていられなくて、仕方なく自分だけ先に出る・・・といったこともあった。そんな頃は本も読めなくなっているので、「眼で文字を追うことが出来ない」から「読んでも頭に入らない」を経て、「マンガが読める」ようになり、やがて「読書」に復帰出来たときは、(嬉しい以前に)何だか信じられないような気持ちになった。映画は、もっと直接的に身体にコタエるところがあり、「楽しめる」レベルまで戻るのには何年か掛かった記憶がある。

その頃をふと思い出すと、街の風景も、映画事情も、そして何より自分自身に「隔世の感」がある。11年前にまた高知に戻ってきた時にも、予想も出来なかったような生活を、この2年間させてもらった・・・と思うと、家族にも、映画にまつわる人たちにも、(そして、きっとドコカにいる神サマにも?)感謝の気持ちが湧いてくる。こうして書きながらも、自分のものとは思えないほど殊勝な?言葉だけれど、不思議なくらい、本心からそう思う。

   

【2006年映画館で観た外国映画】

『ロード・オブ・ウォー』  私の2006年はこの映画で始まったようなものだった。イラク戦争のみならず、このところの世界情勢(なんて私が言うのもナンだけど)の裏側にはこういった人たち、こういう事情もあるんだろうな~と常々思っていたところへ、ズバリそのものみたいな話が「娯楽作」として現れた訳で、オープニングの「一発の銃弾」は強烈なモノがあった。ただ、私にとっては「戦争」をめぐる話というよりも、「業」と裏表ともいうべき特殊な「才能」に恵まれた人間の物語のようにも見えた。究極の営業マン、それもよりにもよって「武器」を売ることに長けた男の人生は、そのこと抜きでは成り立ち得なくなっていく・・・とでもいうような。彼が借りていた倉庫の中はまるで彼自身の内部のようで、彼だけは買ってはならない筈の妻の描いた絵以外は、数々の武器が壁に掛かっているだけ。最後、「私は、自分のしていることの意味を解っているつもりです。」という彼の言葉は重く、N・ケイジという俳優さんの底力を感じた。

『ロード・オブ・ザ・リング(三部作)』  もうすぐ閉館という映画館での「店仕舞いセール」?のような企画で、『旅の仲間』『二つの塔』『王の帰還』を、1日のうちに続けて観た。1本毎に30分くらい休憩があり、朝10時半から夜9時頃まで。観客は10人足らず?でも、ほぼ全員が3本とも観るつもりの人たちだったと思う。私は1本も(ビデオですら満足には)観てないヒトだったので、この企画を知った時には狂喜!して、下の息子と出かけた。真冬の「低エネルギー」状態もナンノソノ、脚がだるくなって、休憩時間には意識して映画館の外に出て歩いたりもしたのに、最初から最後まで、ずっと続けて「指輪物語」の世界を登場人物たちと一緒に旅したような記憶が残った。(その後、昔途中で挫折した原作を一気に読了。「旅をした」という想いはもっと強くなり、なんだか一生にそう何度も無いような経験をさせてもらった気がしてきた。)原作はもっとファンタジーの要素が強く、テンポもゆるやか。映画の方は「戦闘」シーンが中心になっているような印象で、別物と言えば別物なのだけれど、それでも「こういう映像化が、やっと出来るようになったんだ・・・」という感慨があった。私が(友人の本棚で)原作に初めて出会ってからでも、既に30余年。漸くあの時の「指輪物語」が私のところにやって来てくれたようで、それも嬉しかった。

『キングコング』  数日前に観た『ロード・オブ・ザ・リング』と同じ監督と聞いて納得。N・ワッツの演技力(と美しさ)、J・ブラックのトンデモナさ、一方コングの人間味?にSFX(っていうのかな)の威力!などなど、ギューギューに詰め込まれた大変な映画。ただ、3時間がちょっと長く感じるのは不思議。おまけに、最後になって「キングコングって最期が可哀想」だったのを思い出した。(「カワイソウ」が苦手なのに、不注意だったと反省。)

『スタンド・アップ』  1989年という設定だったと思うけれど、とにかく、炭鉱で男性に混じって働き始めた、シングル・マザーに対する嫌がらせの数々が、「物凄い!!」 その主人公ジョージーが特別な女性ではなく、女友達と飲みにも行けば、男性に誘われて一緒に踊りもする「普通の女性」だからこそ、子どもに出生時の事情を語る場面での彼女の真摯さに胸を打たれた。シャーリーズ・セロンという俳優さんを、実は私はこの映画で初めて見たのだけれど、本当に適役だったと思う。素顔がジョージーに重なって見える、その力量に驚かされた。

『ジャーヘッド』  砂漠で、黒煙の空の下、現れる馬が話題になった。確かに、黙示録を思わせるその場面は記憶に残る。けれど私にとっては、この映画を観たある知人の言った、「戦争って結局あんなもの。世界一リッチで戦争にも慣れている?筈の米軍でさえ、そう。(地上をわざわざ歩兵に歩かせて行く必要なんて、無いようにも見えるけど)占領しようとすると、地面を歩かなきゃいけないわけ。マァ、国境で引き返した、この(湾岸戦争)時のパパ・ブッシュは賢かったのかも。」という言葉が、記憶に残る。監督がアメリカ人じゃないからこそ、こういうある種無機的な描き方で、「現代の戦争」をそのまま?表現することが出来たのかもしれないとは、私も思った。ただ・・・あまりに「戦争は、オトナがコドモをダマクラカシテ、殺し合いをさせること」という、私の戦争についてのイメージ通りの作品で、観た後索漠とした気持ちになったのも本当。

『PROMISE / プロミス』  ヒロインの女優さんに「異形性を感じさせるほどの絶世の美女」という雰囲気が足りないためか、奪い合う男たちは皆、彼女より自分自身に夢中に見えた。(中で、唯一彼女を「恋する」者の眼差しで見る奴隷は、それだけでも印象に残ったと思う。)ともあれ、これほどメチャクチャなストーリーを、大真面目に迫真の演技?をする俳優を揃えて、安っぽいのか大迫力なのかワカラナイという大胆な映像?で撮った映画を、長い間観たことが無かった気がした。40年以上も昔、小学生の姉と一緒に、日本の古代史を題材に「三種の神器」の争奪戦を描く、シリーズ物のファンタジー映画を観たのを、ふと思い出した。コウトウムケイな極彩色(と子ども心に思った!)の世界を、文字通り「飛び回った」記憶・・・あれを思うと、オトナになるってちょっとツマンナイ。(それにしても、チェン・カイコーって何者!?とも。)

『単騎千里を走る』  ストーリーのメチャクチャさ加減は、(私の目には)『プロミス』といい勝負。ストイックでない分『プロミス』の方が、今の場合は私の好みに合っているかも。ただ、高倉健が旗を掲げるシーンは忘れられないと思う。(漢字という「表意文字」の圧倒的な力!!) 

『シリアナ』  話が込み入っていて解りにくいという前評判だったので、登場人物の顔と肩書き、その時々の地理などに気をつけて「一生懸命」観ていたら、2時間ちょっとでクタクタになった。ごくごく僅かながらも石油関係の予備知識を仕入れてから行ったのも正解で、とても面白かったのだけれど、面白さも疲れ方も『トラフィック』を観た時と同じなのがなんだか可笑しい。

『パッチギ』  タイトルの意味が「突き破る」、「頭突き」などと知って納得。タイトル通りの作品というか、とにかく喧嘩のシーンが物凄い! でも、高校の日本史(現代国語かな?)の参考教材になりそうなくらい、「在日」と呼ばれる人たち(それも朝鮮籍)の立場を解り易く説明してくれたりもしている。昔『ガキ帝国』を観た時には、まだ私も元気じゃなかったせいか、最後まで観ていられたのが奇跡!とでもいうような印象が残っているけれど、今回はずっと親切になった感じがした。(ただ、映画はお話なので、ああして終わっているけれど、本当の問題は実はそこから始まる・・・という気がして、カップルたちのその後が気に掛かる。)

『ミュンヘン』  あまりに早くから話題になったため、前評判が(避けているつもりでも)ドンドン入ってきてしまって、新鮮な気持ちで観られなかったのが残念。それでも、3時間近い長さも気にならず、私などは名前もあまり知らないような俳優さんたちの演技力と、スピルバーグ監督の観客に対する親切さ(『シリアナ』とある種対照的な?)が印象に残った。(その後、基になった『標的は11人』を読んだ際、映画がそれを全く「裏切っていなかった」ことにも、なぜかちょっと驚いた。何が意外だったのか、自分でもよくわからないのだけれど。)

『ブロークバック・マウンテン』  観た後、ずいぶん長い間「抱えて」暮らした作品。(何か書けるかもしれないと思いながら、結局書かないままになっている。)私は、相手が生きている間は「永遠に自分だけのもの」にはならない、というのは「恋」の本質的な部分なのかもしれないと思うことがある。この映画では、二人は偶々男性で、舞台が街(という現実)を離れた「山」であるため、特殊な話のように見えているけれど、実は「恋」と「永遠」との関係という、一筋縄ではいかない、しかし普遍的なテーマを私には感じさせた。実際は、物語は「永遠」などとは無縁の現実そのもの、例えば同性愛に対する当時の凄まじい差別や、二人がそれぞれ持った家庭、家族との関係、経済事情といったものが絡み合って進行する。二人が「山」で感じた「永遠」は、終盤、亡くなった相手の育った家を訪れる辺りから、漸く再び姿を現すのだけれど・・・。(私はこういう「特別の恋」を、経験したことは無いと思う。それでも、この「風が過ぎていくだけ」のような気持ちが、どこかで解るような気もしたのだと思う。それをなんとか文字にしたかったけれど、やっぱりまだ「時が至って」はいないらしい。)

『クラッシュ』  最初の何分か、登場人物たちが皆、ただただ相手に当り散らしたり怒鳴り合っていたり(それも人種その他に関することで)の連続で、本気で席を立とうかと思った。その後はストーリーの複雑さ、とんでもないような意外性に、ほとんど時を忘れて観ていたけれど。数日前に観た『ある子ども』が吹っ飛んでしまうくらい、今のアメリカはタフさ、エネルギーが必要な社会であることを痛感。善悪と運不運が同義語に感じられるくらいに。(私など、間違っても住めない気がする。)

『SPIRIT』  日本人が非常に好意的に描かれていることに感動した。現在の日中関係は、経済的に密な分余計に「国民感情」としては微妙だ、などという噂が耳に入る度、私は悲しい気持ちになる。そこを、この映画では相手側からわざわざ歩み寄って来てくれているのを、強く感じた。ジェット・リー(当時はそういう名前ではなかったけれど)を初めて『少林寺』で見た時の記憶は、今も鮮やかだ。17歳で全国大会に優勝したばかりという、真っ直ぐな視線とおそろしくキレの良い動きをする若い僧侶のようだった彼が、ハリウッドにまで行く俳優になり、こうして自分の思う映画を作るようになるなんて、私は考えもしなかった。今回の作品を、そういう彼の20数年後をそのまま見ているような、不思議な感慨を持って私は観た。辺境の山村で、山から風がさやさや吹いてくると、野良仕事の手を止め、背筋を伸ばしてそれを身に受ける村人たちの風景が、とても良かった。

『タイフーン』  見終わって、明るくなった劇場内で映画の好きな知人に出会った。その人から、この映画が『友へ / チング』と同じ監督の作品と聞いて、何となく納得がいった。  http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/758fed5a51498f0e704b3f6b3ed54888

『Vフォー・ヴェンデッタ』  黄金週間に、若い観客でほぼ満員の中で観たという、私としては非常に珍しい?作品。ナタリー・ポートマンのスキンヘッドも美しく、彼女の演技力共々記憶に残るけれど、主人公Vの魅力はもちろん、最後押し寄せる群衆ひとりひとりの顔を見ているうちに、映画のテーマが見えてきた気がしたことを、今も覚えている。  http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/bf95dd6503973938259106db86861bda

『ニュー・ワールド』  私が、テレンス・マリックの世界に初めて触れたと思った作品。(『天国の日々』の頃には、なぜか、まだ気づいていなかった。)  http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/2d23f3f8f1c2524e3d7a1a8e22a26c4c

『ナイロビの蜂』  ル・カレの原作はもっと複雑な話なのだろうけど、情熱的で、無鉄砲と言っていいほどの行動力を持った若い妻と、穏和な性格で育ちの良さそうな外交官の夫の「夫婦」の物語としてだけでも、考えさせられるものが多かった。原題の『 THE CONSTANT GARDENER 』そのものだった夫が、妻の死の謎を探るうちに見えてきたものと、その結果彼がどういう道を選んだか・・・。「知る」ということの意味を、予想外に深く考えさせるものがあり、レイフ・ファインズという俳優さんを、初めていいと思った。

『トランスポーター2』  ただただ主人公が魅力的!!!(『Vフォー・ヴェンデッタ』の主人公と双璧?などと思った。)『1』の方も是非観たい。

『M:i:Ⅲ』  息子と『カーズ』を観に行く途中、突然の雨。二人して自転車ごとずぶ濡れに。なんとかたどり着き、真夏だったので取りあえずTシャツを買って着替えたものの、それでも冷房に震えながら観たという記念すべき?映画。「トム・クルーズがジャッキー・チェンに見えてくる」という噂通りで、しかもそれが褒め言葉にもなっているような作品だった。その昔、彼がまだ若い頃、ふと「ハリウッドに最も相応しい俳優になるかもしれない人」と思ったことがある。なんだか今、それが120%実現したのを見せてもらっている気がする。アクション・シーンの「徹底」ぶりも、どこか真面目な倫理観のようなものも、何より「常に向上を目指す」という、彼の映画に対する姿勢そのものを、それもあっけらかんと明るいままで。

『カーズ』  面白かった!! 高知では吹き替え版しか上映されなかったけれど、靴屋(タイヤ販売店)のルイジの吹き替えが個人的にヒジョーに気に入ったので、P・ニューマンの声が聞けないのも良しとすることにした。  http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/62624090a2b6d461bb52c87c30a1cff8

『ユナイテッド93』  「事実の再現」ということに焦点を絞って、エネルギーの大半がそこにつぎ込まれているのを感じた。テロの被害に遭った側の国の人々がそういう姿勢で製作するということ自体が、既にこの作品のテーマに繋がっているのだろうと。実際、「9・11に亡くなったすべての人に捧げる」という言葉が、テロ実行犯の人たちをも含んでいるように受け取れる作りになっていたと思う。「9・11に関する作品の中で、これが最初に封切られたことに感謝したい」といった意味の言葉をどこかで見たけれど、私もそのとき本当に同じことを思った。

『マイアミ・バイス』  コリン・ファレルはずいぶん無理をしている感じで、ジェイミー・フォックスは素敵。コン・リーが今でも繊細な美しさを感じさせるのと、フロリダ(米国)とキューバのあまりの近さに驚いた。そう、昼夜共に「ボート」シーンはカッコ良かった。などなど。

『レディー・イン・ザ・ウォーター』  ポスターがとても美しかった。(映画については、何を書いたらいいのかワカラナイ。面白くないわけじゃあなかったんだけど、『シックス・センス』を観た時の驚きを、つい思い出してしまうのがいけないのかも。)

『ブラック・ダリア』  要するに「家の呪い」とでも言うべき話なので、「上出来」と思えなかったくらいで丁度良かったのかも、なんて当時のメモに書いてある。(「呪い」は現実だけで沢山だと、その頃思っていたらしい。)ミス・キャストかな?と思う人もいて、むしろオーディション風景の中にしか登場しないミア・カーシュナーという女優さんや(終盤の)富豪夫人が印象に残った。「雰囲気」が上手く出来上がっているのに「人間」が上手くいってないと、「人間」を眼で追ってしまう私としてはなんだか淋しい。

『16ブロック』  冒頭P・ニューマンの『評決』を思い出して、なんだかシミジミしてしまった。映画自体も、とても面白かった。こういう「ちゃんと手を掛けて作られてる娯楽作品」が、もっとあってもいいのにと思う。疲れていたり、ショックなことがあったり、そもそもエネルギーが足りなかったりする時には、よく出来たコメディーやこういう作品こそ観たいと思うのに・・・なんて。

『トンマッコルへようこそ』  『ノーマンズ・ランド』を、朝鮮戦争を舞台に(ゲームの)「どせいさん」の村で描いたような、一種不思議なファンタジー。登場人物の1人が口にする「なんでこんなに複雑なことになったんだろ・・・」という朝鮮半島の事情を、あくまで韓国流?の迫力で映画に仕立て上げていて、しかも結局のところ「誰をも責めていない」。(最後の「大花火」のシーンを見ながら、私もスミスのように泣きたかった。)

『12人の怒れる男』  なぜかシネコンで、短期間だけ安く上映されたもの。今時の大きなスクリーンで観ると、テレビ画面で観ていたのとはちょっと印象が違ったけれど、とにかく観に行った息子二人が(各人各様の理由で)「あれは名作!」と断言したのが印象に残る。

『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』  私の父親が、昔何かの折にふと、「イオウジマを知っているかい?」と訊いてきたことがあった。突然だったので、私は何気なく「イオウジマ・・・イオウトウ(硫黄島のつもり)のこと?」と聞き返すと、「あれはイオウジマって読むんだ。」とだけ言って、父は話を打ち切ってしまった。父の死後、20年が経とうとしている。「戦争が終わってからの人生は余生だった。」と、長い間折に触れては口にした父が今も生きていたら、こういう映画を観てなんて言うだろう。娘の私と21歳(父の「余生」が始まったのと似たような年頃だ)になった孫との、観てからの会話をどう思って聞くだろう・・・などと、考えずにはいられなかった。この2作、特に『星条旗』の方は、ここで感想を書く気にはなれない。観た当時、私の日常の方があまりに「(精神的に)手一杯」な状態だったので、(何か書くどころか)考えることさえ出来ないままになっているけれど、もう少し時間が経って頭の方が回復してきてからでも、自分なりに考えてみたいと思っている。(でも、この頃では、そんなことを言ってるうちに「霧の彼方」になりそうで、ちょっと心配・・・)




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