富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(4)

2012年06月22日 14時30分04秒 | 昔話
4吹上周辺のその昔(4)
寺市場より更に一之宮の高みへの導水はサィフオンの原理に依るしかないが、今川の時代に同様の設備が在ったとすると素晴らしい。
信玄が諏訪を領地する拠点とした諏訪湖の東に上原城がある。信玄の頃既にサィフオンの原理を使った証拠がある。この城は後ろの永明寺山より揚げ水し、大空壕の底を通る木管に依り城内の高みに導水している。今も水が溢れている。木管は現在は土管となりその由 緒が看板に書かれている。

タンクは既に廃墟化しているが、導水路と共に大事にしたい。溢流の水を無駄にせず原田公園の流水に活用を提言したが活用されそうもない。残念である。

タンクの西の高みに「かまば」がある。窯場と書けると思はれるが善得寺に関係している。善得寺が廃寺になる時清岩寺に譲られ現在に及んでいる。現在は檜山であるが、昔は雑木山で、子供の頃甲虫等を採る良い遊び場であった。頂に僅かの空地があり、その西端に石を積んだ基壇があり、その中心に地蔵大士の碑が建っていた。現在は清岩寺に移され「米とぎ石」と呼ばれているが由緒は知らない。又南側には数基の墓が建っていた。これ等より此処は臨済宗の火葬場があったと考える。碑の後ろの「米とぎ」の窪みは地蔵大士の梵字の略号であり、火葬場によく建てられる。

此処の小川で蚯蚓を使って沢蟹をよく釣ったころが懐かしい。
この地区の昔を記する時、当時の写真も語る一役と考え古い写真を探した。昭和30年頃亡母が撮ったスライドが多数あるので、記の時々に入れて見たい。既に故人となられた方の写真も又思い出と思はれる。





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