富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(152)根方街道(1)

2015年04月11日 15時43分28秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(152)根方街道(1)



富士市今泉は富士山の南麓に位置し、東西の道は富士山の影響を受けつつ変化している。

平安古道と呼ばれる道が薩垂峠に在る。浜に沿い富士川の木島で富士川を渡り日吉に至る
古道を私見する。日吉よりは十里木街道として北上したのではないだろうか?昔は十里木
街道は神戸より東に向き、間門に達し、日本武尊の伝説の在る夷城を経て北上、富士山と
愛鷹山の間の谷筋を経て十里木に達していたのではないだろうか?これから先は竹之下
より足柄古道として矢倉沢を越えていた平安古道と思はれる。

803年の富士山の大噴火により平安古道が利用困難となり、箱根の「湯坂道」が開設さ
れ箱根越えが変化している。箱根に至る道として2経路があり、一つは愛鷹山の南麓を通
る「根方街道」であり、もう一つは「浜通り」であるが十里木道も残っていた形跡がある。
三島よりの鎌倉古道に2道があり、北側の古道が十里木道に通ずる気がする。
「浜通り」は「田子の古道」に通じ別に詳記がある。

此処では「根方街道」の変遷を見て見たい。



根方街道は昔の富士川の河畔「日吉」に始まると考える。「日吉」は佳き名であり、こと
の始めの意があり、日吉神社・日枝神社が祀られている。東泉院が修験道の拠点であった
頃地域の主要道が此処を通ていたと考えられる。
日吉で和田川を渡り、北上して東泉院に達する。



古道の東泉院に出た場所であり、右手が東泉院で善得寺城が出来た時は出丸として古道を扼している。左手は虎口と共に本城となっている。



古道は現在は細道として残る程度であるが、更に北上して鎌倉古道に達している。



残されている鎌倉古道で点線の道は既に無い。右が北上の古道である。





十里木道は此処より更に北上するが、この交差点の東に古道を扼して和田義盛の砦があり、此の辺が本丸と伝承されている。



以上が善得寺城時代の根方街道であり、鎌倉古道・甲州街道と合致し家康の今泉往還の出来るまで続いたと考える。

庭に期待の「翁草」「サクラソウ」が花をつけた。大事にしたい。