富士市を中心の郷土史

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富士市今泉の昔話(116)

2014年08月09日 09時41分44秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(116) 今泉周辺の年譜(19)
年次    西暦   事項
明治44 1911  3月9日。島田村津田荒田島婦人会創設。
           (吉原)
           5月15日。第2回耕地整理竣功(30町
           3段歩余)。(吉原、伝法)
           6月。耕地整理事業完成記念碑建設。
           (伝法)
           7月26日。加島村に郵便局開設さる。
           (鈴木長太郎氏の田子の浦史)
           8月3~4日。台風。富士川の備前堤が切れて
           崩れ、激流が雁堤にあたつた。(市)
           8月9日。暴風雨。富士川増水のため、一番出
           し以下の堤がほとんど壊れた。(市)
           8月12日。滝川製紙KK設立。(原田)
           8月19日。雁堤防の決壊を防ぎとめし働きに
           対し感謝状を贈らる。(伝法)
           8月。今泉小学校に於いて戦死者慰霊祭執行。
           (今泉)
           9月1日。吉原活版所開業。(吉原町仁藤称策)
           10月1日。吉原製紐工場創立。(米国への輸
           出用マニラ麻真田紐の製造)(伝法)
           10月10日。艶糸工場設立。(矢部為吉)
           (吉原)
           10月30日。元吉原村基本財産蓄積及び管理
           条例できる。(元吉原)
           11月3日。富士育児院へ内務省より奨励金
           200円下付。(吉原)
           11月。メリヤス製造所設立。(鈴木貞四郎)
7月26日。加島村に郵便局開設さる。
(鈴木長太郎氏の田子の浦史)
           8月3~4日。台風。富士川の備前堤が切れて
崩れ、激流が雁堤にあたつた。(市)
           8月9日。暴風雨。富士川増水のため、一番出
し以下の堤がほとんど壊れた。(市)
            
           雨降り続き冷気甚だしく凶作続く。(今泉)
           校舎移築及び改築なる。分教場を再び神戸に置き
以前鵜無淵小学校に委託せし児童を引き取れり。
(今泉)
           中野巡査駐在所建築。(大淵)
           帝国在郷軍人会原田村分会と改称す。(原田)
           養魚所を始む。(川尻鈴木像作)(須津)
           12月。岳南製紙会社の発展目覚まし。
(工場数10、職工270人、年産5万円)
(今泉)
           12月4日。吉永信用組合設立。(吉永)
           12月22日。須津農業補習学校創設認可あり。
小学校に付設す。(須津)
           12月31日。この年の吉永村の戸数687戸、
男2,339人女2,225人計4,567人。
(吉永)
明治45 1912  1月。大排水機械を設置し、水田浸水の排除に努
め効果を収め良田となる。(85町歩の水田)。
(この事は村長飛奈由三郎が田中与源太、長橋鉄五郎、
森田角太郎らと相謀りて実施せるものなり。)
(元吉原)
          2月5日。県吏出張し来たりて耕地整理基本調査に
着手す。(今泉)
          2月15日。津田郁文社印刷所開業。(吉原町高井常次郎)
          3月。鈴木製紐工場設立。(マニラ麻真田紐製造 )  
( 元吉原)
3月24日。日本赤十字社富士郡南部社員総会開催。
当日出席1,000人。(吉原)
4月1日。高等科3年を併置。(吉原)
4月。高等科を併置す。(今泉)
5月。用水導入の為の土管埋設工事大部分完了。
(明治27年に今泉、一色、神戸の住民の為の用水導入工
事として起工せしものなり。)(今泉)

8月7日立秋の暦の如く、「きつねのかみそり」が地から湧く如く咲き始めた。山の霊気を家に移した感がある。芙蓉も咲き始めた。家の各所の芙蓉がこれから競う。