富士市を中心の郷土史

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富士市今泉の昔話(97)

2014年03月28日 14時45分42秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(97)今泉周辺の年譜(5)

蝋梅、まんさく、が終わり晩春の庭は「さんしゅう」の黄色と
「西洋スモモ」の白花とで賑わっている。




年号    西暦    事項
明治 6 1873  3月。吉原郵便局開局さる。(吉原)
           6月1日。仰成舎を興し、吉原宿他11カ村の
           生徒を修容す。  (吉原)
           7月。太政官布告第272号を以て地租改正条
           例の公布あり。又地租改正施行規則公布さる。
           地租は土地の価格(代価)の3/100の率。
           (伝法)
           8月。岳陽舎始まる。(第2大区二の小区、伝
           法村小字田端の保寿寺の本堂を仮講に充てて開
           設す。(伝法)
           8月1日。江原素六に第14学区取締りを命じ
           らる。(原田)
           9月。今泉村、原田村組合 原泉舎を創設す。
           寺市場の妙延寺を仮校舎に充つ。(今泉、原田)
           鈴川より蒲原に至る県道往還開通す。
           (吉原町、田子の浦鈴木長太郎)

           社寺上地の事行わる。(吉原)
           戸籍調査完結。(吉原)
           柏原学校を西柏原新田の立円寺境内に設く。
          (元吉原)
           湖東社創立。東光寺堂宇を仮校舎として使用す。
          (須津)
明治 7 1874   1月。原泉舎より原田村分離す。(今泉)
            原田村、今泉村と原泉舎を分離し、滝川永明寺本堂を仮
            校舎に充てて開校し、方正舎と称す。(原田)
            6月。今泉村は第二大区第一小区今泉村と称す。(今泉)
            6月。一色村は第二大区第一小区一色村と称せり。そ
            の後東四カと分離して三カ村合併、同上役場を管し後各
            村分離して一色村戸長役場をも設く。(今泉)
            6月。行政組合の制布かる。往古より独立の村なりし伝
            法、弥生、弥生新田、香西、香西新田、瓜島、永田、依
            田原新田等の大字は、当時の伝法村伝法即ち伝法、
            弥生、弥生新田、香西、香西新田、瓜島、永田を以て
            一組合を作る。戸数324戸、人口1687人。(伝法)
            8月。石坂村を合併せり。(今泉)
            9月。光養院の廃寺跡を原田村役場に充つ。(石川平治
            戸長の時)
            同人名義の村費収納帳あり、これによれば三ツ沢村と
            同じ帳面になっている。当時既に村役場を置きしこと察
            知しうるなり。
            (原田)
            9月1日。鈴川郵便局開局す。(鈴木数正現局長談)
            手製の製麺業始らる。(栗田久太郎)(吉原町)
            大小区の制定めらる。(吉原)

学制により上等学校下等小学校各第一学級より第八学級
までとす。(伝法)
            10月。公立香久舎を妙法寺本堂に仮設す。(場所は今
井村字荒砂山、通学区域は鈴川、今井、大野新田の三カ
村で明治17年6月まで続く。)(元吉原)
            区画改正あり。本村は第二大区第一小区に属す。(原田)
            中里村と長沢新田の二つは完全に合併し、中里村となり、
増川の東西組江の尾の東西組も完全に合併す。(須津)
明治 8 1875   2月。各組合の戸長、副戸長の名を改めて全部副戸長に
した。
             (吉原)
            2月。小区長の制廃止さる。廃止されし小区長は大区副区
長と称す。(原田)

3月15日。小学区画を定めらる。原田村は三つ沢村を合
併し二カ村を以て本校設置区域とし、第二大区第14番中
学 区第85番小学方正舎と称す。永明寺を校舎に充る事
旧の如し。
             (原田)

晩春の庭にミニ菜の花畑が出来た。「わらび・こごみ」も見えてきた。