富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(94)

2014年03月07日 19時01分27秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(94)今泉周辺の年譜(2)
幕末の頃、大飢饉 ・大地震の連続に驚く。物心動乱の時期、昔が
偲ばれる。
                           (12)
年号  西暦    事項
文政12 1829 村内諸事倹約の事と取り決めを行えり。
         (須津)
天保 3 1832 地頭戸田鍋 郎の許可を得、石坂に7丈余の
          井戸を掘る。(今泉)
   4 1833 石坂に大洪水在り。(今泉)
          飢饉。5穀実らず。飢民餓死甚だ多し。越え
          て7,8年と引き続き飢饉に見舞われる。命
          令により、貯穀を放出して難民を救う。
          (吉原)
          天保の飢饉。冷害・洪水による1833,
          1836,1838年の大凶作の為、翌年の
          春夏にかけて大飢饉となり東北地方を中心に
          餓死者を多く出した。(市)
                           
   5 1834 村の名寄せ帳は、原田村滝川、同斎藤、同中
          島、同宇東川、同越石の5冊となる。(原田)
          4月8日。富士山焼砂流失。富士山の南面
          より、大量の焼砂が潤井川を流れ用水路を埋
          めた。(市)
   6 1835 2,8.富士山噴火。(富士郡誌)(市)
   7 1836 不作に付き倹約取極めの事。天保の大飢饉。
          (須津)
          石坂に大洪水在り。(今泉)
          秋。暴風雨。檜新田、大野新田、田中新田の
          稲作に被害をもたらし、石坂では洪水が起
          こった。(市)
   9 1838 百姓町人に対し、金銀製の品の使用を停止す
          との命令ださる。
          (須津)7月。
  10 1839 8月若者一同の名(伊助外48名)を以て誓
          約書を提出す。その内容は、バクチを打たぬ
          こと。遠出せぬこと。観光地へ行きたる際、
          旅先にてケンカせぬこと。芝居、角力、参
          詣、見世物等も集団見物せぬこと等なり。
         (須津)
          9月組合村村若者取締規定できる。(須津)
  12 1842 7月。大雨。用水堀が切れて崩れ、岩本村の
          田畑に被害をもたらした。(市)

弘化 元 1844  熊野神社再建さる。(今泉)
   2 1845  米艦渡来。(吉原) 
   4 1847  7月13日。暴風雨・高波。吉原湊がふさ
           がり、稲作に被害をもたらした。(市)
嘉永 1 1848  干ばつ。(市)
   3 1850  8月9日。大雨、洪水が起こり、家や畑に
           被害をもたらした。
           高橋勇吉、三新田を水害から守るため、
           天文堀を造った。(市)
嘉永 4 1851  吉原大火。東本町より出火、吉原町及び寺
           町殆ど全部焼失す。
           (吉原)
   5 1852  天神社にて菅公950年祭執行。前代未聞
           の盛儀と言われる。
           2月11日。 (吉原)
   6 1853  天然痘流行。今井村の名主影島多右衛門は、
           韮山代官所の命によって 予防接種を受け
           るよう村人たちに進めたが、人々は恐れて
           一人も受けようとしなかった。しかたなく、
           多右衛門は自分の子のうち、二人に予防接
           種を受けさせた。是が静岡県における天然
           痘予防接種の第一号だと言はれている。(市)
   7 1854  6月4日。潤井川洪水。(市)
           6月19日。富士川・潤井川洪水。松岡・
           森嶋など8カ村が押し流された。(市)
           11月4日。安政の大地震。震動は百数十
           回に及び、家屋の大半が倒れ、一部火災が
           起きて焼失した。死者数名。(市)

           ロシヤ軍艦デイアナ号遭難。(市)
安政 元 1854  11月大地震あり。数日間屋外に記居す。
           人畜家屋の被害軽微なり。今泉、一色、神
           戸の用水の溝渠填塞し一時廃絶す。(今泉)
           11月4日富士山小噴火あり。(駿遠豆歴
           史物語)
           大地震起る。震動百数十回。家屋の倒壊す
           る物多く、死者数人を出す。世にこれを安
           政の大地震と言う。この地震実は嘉永6年
           の事なり。嘉永年号は同6年12月4日に
           至りて安政と改元さる。一説に安政元年
           12月4日より安政2年1月18日まで地
           震ありと述る書物或いはまた嘉永6年12
           月4日より安政元年1月18日まで地震あ
           りとする記セル記録等あり。(吉原町誌)
           その他、安政元年11月4日(三島市誌)
           とするもの。安政元年11月6日(沼津市
           誌)とするもの。安政元年11月(焼津市
           誌)とする物等あり。
           12月23日。地震・津波(市)

     2 1855 富士川洪水。水神下堤防300間決壊。浸
           水11カ村に及べり。以後数カ月間富士川
           の本流被災地を流れ、大損害を与えたりと
           言う。(f)
           5月30日。富士川洪水、水神下堤防が切
           れて崩れ、松岡村を始め被害。(市)
           諸国洪水の記録あり。富士川の流路の変化
           せしも此の頃ならん。
           (伝法)
           6月4日。富士川洪水、安政の地震により富
           士川川原の東岸が沈下した。その結果、大
           雨によって富士川の左岸が切れて崩れ、大
           きな被害をもたらした。(市)
           7月25日。富士川洪水、宮島・五貫島の
           家や田畑を押し流した。
           富士川新田村は流されて廃村になった。(市)
           10月2日。安政の大地震。江戸を中心にM
           6,9の地震が起こった。(市
           比奈堤防増築工事竣工。(原田) 名主は
           野村一郎?
           朱膳田における河道屈曲是正工事。(原田)
    3 1856 8月。大暴風来襲。被害甚大。(吉原)
           5月13日。富士川洪水。水神下の堤防が切
           れて崩れ、松岡村をはじめ、9カ村に大きな
           被害をもたらした。(市)
           8月25日。暴風雨・大津波。吉原湊の防
           潮堤が切れて崩れ、大きな被害をもたらした。(市)

    4 1857 伝法村、本郷丹後守の領有となる。(伝法)
           依田橋村、本郷丹後守の領有となる。(今泉)
           7月23日、29日、8月2日の暴風雨に
           より富士川・潤井川の堤防が切れて崩れ、
           17カ村に大きな被害をもたらした。(市)
           駿河に大地震が起こった。(市)

椿が満開となった。工事の為半分を処分止むを得なかったが、尚春
の訪れは止め得ない。
紅唐子(日光)の落花が見事に地を覆つている。