富士市今泉の昔話(94)今泉周辺の年譜(2)
幕末の頃、大飢饉 ・大地震の連続に驚く。物心動乱の時期、昔が
偲ばれる。
(12)
年号 西暦 事項
文政12 1829 村内諸事倹約の事と取り決めを行えり。
(須津)
天保 3 1832 地頭戸田鍋 郎の許可を得、石坂に7丈余の
井戸を掘る。(今泉)
4 1833 石坂に大洪水在り。(今泉)
飢饉。5穀実らず。飢民餓死甚だ多し。越え
て7,8年と引き続き飢饉に見舞われる。命
令により、貯穀を放出して難民を救う。
(吉原)
天保の飢饉。冷害・洪水による1833,
1836,1838年の大凶作の為、翌年の
春夏にかけて大飢饉となり東北地方を中心に
餓死者を多く出した。(市)
5 1834 村の名寄せ帳は、原田村滝川、同斎藤、同中
島、同宇東川、同越石の5冊となる。(原田)
4月8日。富士山焼砂流失。富士山の南面
より、大量の焼砂が潤井川を流れ用水路を埋
めた。(市)
6 1835 2,8.富士山噴火。(富士郡誌)(市)
7 1836 不作に付き倹約取極めの事。天保の大飢饉。
(須津)
石坂に大洪水在り。(今泉)
秋。暴風雨。檜新田、大野新田、田中新田の
稲作に被害をもたらし、石坂では洪水が起
こった。(市)
9 1838 百姓町人に対し、金銀製の品の使用を停止す
との命令ださる。
(須津)7月。
10 1839 8月若者一同の名(伊助外48名)を以て誓
約書を提出す。その内容は、バクチを打たぬ
こと。遠出せぬこと。観光地へ行きたる際、
旅先にてケンカせぬこと。芝居、角力、参
詣、見世物等も集団見物せぬこと等なり。
(須津)
9月組合村村若者取締規定できる。(須津)
12 1842 7月。大雨。用水堀が切れて崩れ、岩本村の
田畑に被害をもたらした。(市)
弘化 元 1844 熊野神社再建さる。(今泉)
2 1845 米艦渡来。(吉原)
4 1847 7月13日。暴風雨・高波。吉原湊がふさ
がり、稲作に被害をもたらした。(市)
嘉永 1 1848 干ばつ。(市)
3 1850 8月9日。大雨、洪水が起こり、家や畑に
被害をもたらした。
高橋勇吉、三新田を水害から守るため、
天文堀を造った。(市)
嘉永 4 1851 吉原大火。東本町より出火、吉原町及び寺
町殆ど全部焼失す。
(吉原)
5 1852 天神社にて菅公950年祭執行。前代未聞
の盛儀と言われる。
2月11日。 (吉原)
6 1853 天然痘流行。今井村の名主影島多右衛門は、
韮山代官所の命によって 予防接種を受け
るよう村人たちに進めたが、人々は恐れて
一人も受けようとしなかった。しかたなく、
多右衛門は自分の子のうち、二人に予防接
種を受けさせた。是が静岡県における天然
痘予防接種の第一号だと言はれている。(市)
7 1854 6月4日。潤井川洪水。(市)
6月19日。富士川・潤井川洪水。松岡・
森嶋など8カ村が押し流された。(市)
11月4日。安政の大地震。震動は百数十
回に及び、家屋の大半が倒れ、一部火災が
起きて焼失した。死者数名。(市)
ロシヤ軍艦デイアナ号遭難。(市)
安政 元 1854 11月大地震あり。数日間屋外に記居す。
人畜家屋の被害軽微なり。今泉、一色、神
戸の用水の溝渠填塞し一時廃絶す。(今泉)
11月4日富士山小噴火あり。(駿遠豆歴
史物語)
大地震起る。震動百数十回。家屋の倒壊す
る物多く、死者数人を出す。世にこれを安
政の大地震と言う。この地震実は嘉永6年
の事なり。嘉永年号は同6年12月4日に
至りて安政と改元さる。一説に安政元年
12月4日より安政2年1月18日まで地
震ありと述る書物或いはまた嘉永6年12
月4日より安政元年1月18日まで地震あ
りとする記セル記録等あり。(吉原町誌)
その他、安政元年11月4日(三島市誌)
とするもの。安政元年11月6日(沼津市
誌)とするもの。安政元年11月(焼津市
誌)とする物等あり。
12月23日。地震・津波(市)
2 1855 富士川洪水。水神下堤防300間決壊。浸
水11カ村に及べり。以後数カ月間富士川
の本流被災地を流れ、大損害を与えたりと
言う。(f)
5月30日。富士川洪水、水神下堤防が切
れて崩れ、松岡村を始め被害。(市)
諸国洪水の記録あり。富士川の流路の変化
せしも此の頃ならん。
(伝法)
6月4日。富士川洪水、安政の地震により富
士川川原の東岸が沈下した。その結果、大
雨によって富士川の左岸が切れて崩れ、大
きな被害をもたらした。(市)
7月25日。富士川洪水、宮島・五貫島の
家や田畑を押し流した。
富士川新田村は流されて廃村になった。(市)
10月2日。安政の大地震。江戸を中心にM
6,9の地震が起こった。(市
比奈堤防増築工事竣工。(原田) 名主は
野村一郎?
朱膳田における河道屈曲是正工事。(原田)
3 1856 8月。大暴風来襲。被害甚大。(吉原)
5月13日。富士川洪水。水神下の堤防が切
れて崩れ、松岡村をはじめ、9カ村に大きな
被害をもたらした。(市)
8月25日。暴風雨・大津波。吉原湊の防
潮堤が切れて崩れ、大きな被害をもたらした。(市)
4 1857 伝法村、本郷丹後守の領有となる。(伝法)
依田橋村、本郷丹後守の領有となる。(今泉)
7月23日、29日、8月2日の暴風雨に
より富士川・潤井川の堤防が切れて崩れ、
17カ村に大きな被害をもたらした。(市)
駿河に大地震が起こった。(市)
椿が満開となった。工事の為半分を処分止むを得なかったが、尚春
の訪れは止め得ない。
紅唐子(日光)の落花が見事に地を覆つている。
幕末の頃、大飢饉 ・大地震の連続に驚く。物心動乱の時期、昔が
偲ばれる。
(12)
年号 西暦 事項
文政12 1829 村内諸事倹約の事と取り決めを行えり。
(須津)
天保 3 1832 地頭戸田鍋 郎の許可を得、石坂に7丈余の
井戸を掘る。(今泉)
4 1833 石坂に大洪水在り。(今泉)
飢饉。5穀実らず。飢民餓死甚だ多し。越え
て7,8年と引き続き飢饉に見舞われる。命
令により、貯穀を放出して難民を救う。
(吉原)
天保の飢饉。冷害・洪水による1833,
1836,1838年の大凶作の為、翌年の
春夏にかけて大飢饉となり東北地方を中心に
餓死者を多く出した。(市)
5 1834 村の名寄せ帳は、原田村滝川、同斎藤、同中
島、同宇東川、同越石の5冊となる。(原田)
4月8日。富士山焼砂流失。富士山の南面
より、大量の焼砂が潤井川を流れ用水路を埋
めた。(市)
6 1835 2,8.富士山噴火。(富士郡誌)(市)
7 1836 不作に付き倹約取極めの事。天保の大飢饉。
(須津)
石坂に大洪水在り。(今泉)
秋。暴風雨。檜新田、大野新田、田中新田の
稲作に被害をもたらし、石坂では洪水が起
こった。(市)
9 1838 百姓町人に対し、金銀製の品の使用を停止す
との命令ださる。
(須津)7月。
10 1839 8月若者一同の名(伊助外48名)を以て誓
約書を提出す。その内容は、バクチを打たぬ
こと。遠出せぬこと。観光地へ行きたる際、
旅先にてケンカせぬこと。芝居、角力、参
詣、見世物等も集団見物せぬこと等なり。
(須津)
9月組合村村若者取締規定できる。(須津)
12 1842 7月。大雨。用水堀が切れて崩れ、岩本村の
田畑に被害をもたらした。(市)
弘化 元 1844 熊野神社再建さる。(今泉)
2 1845 米艦渡来。(吉原)
4 1847 7月13日。暴風雨・高波。吉原湊がふさ
がり、稲作に被害をもたらした。(市)
嘉永 1 1848 干ばつ。(市)
3 1850 8月9日。大雨、洪水が起こり、家や畑に
被害をもたらした。
高橋勇吉、三新田を水害から守るため、
天文堀を造った。(市)
嘉永 4 1851 吉原大火。東本町より出火、吉原町及び寺
町殆ど全部焼失す。
(吉原)
5 1852 天神社にて菅公950年祭執行。前代未聞
の盛儀と言われる。
2月11日。 (吉原)
6 1853 天然痘流行。今井村の名主影島多右衛門は、
韮山代官所の命によって 予防接種を受け
るよう村人たちに進めたが、人々は恐れて
一人も受けようとしなかった。しかたなく、
多右衛門は自分の子のうち、二人に予防接
種を受けさせた。是が静岡県における天然
痘予防接種の第一号だと言はれている。(市)
7 1854 6月4日。潤井川洪水。(市)
6月19日。富士川・潤井川洪水。松岡・
森嶋など8カ村が押し流された。(市)
11月4日。安政の大地震。震動は百数十
回に及び、家屋の大半が倒れ、一部火災が
起きて焼失した。死者数名。(市)
ロシヤ軍艦デイアナ号遭難。(市)
安政 元 1854 11月大地震あり。数日間屋外に記居す。
人畜家屋の被害軽微なり。今泉、一色、神
戸の用水の溝渠填塞し一時廃絶す。(今泉)
11月4日富士山小噴火あり。(駿遠豆歴
史物語)
大地震起る。震動百数十回。家屋の倒壊す
る物多く、死者数人を出す。世にこれを安
政の大地震と言う。この地震実は嘉永6年
の事なり。嘉永年号は同6年12月4日に
至りて安政と改元さる。一説に安政元年
12月4日より安政2年1月18日まで地
震ありと述る書物或いはまた嘉永6年12
月4日より安政元年1月18日まで地震あ
りとする記セル記録等あり。(吉原町誌)
その他、安政元年11月4日(三島市誌)
とするもの。安政元年11月6日(沼津市
誌)とするもの。安政元年11月(焼津市
誌)とする物等あり。
12月23日。地震・津波(市)
2 1855 富士川洪水。水神下堤防300間決壊。浸
水11カ村に及べり。以後数カ月間富士川
の本流被災地を流れ、大損害を与えたりと
言う。(f)
5月30日。富士川洪水、水神下堤防が切
れて崩れ、松岡村を始め被害。(市)
諸国洪水の記録あり。富士川の流路の変化
せしも此の頃ならん。
(伝法)
6月4日。富士川洪水、安政の地震により富
士川川原の東岸が沈下した。その結果、大
雨によって富士川の左岸が切れて崩れ、大
きな被害をもたらした。(市)
7月25日。富士川洪水、宮島・五貫島の
家や田畑を押し流した。
富士川新田村は流されて廃村になった。(市)
10月2日。安政の大地震。江戸を中心にM
6,9の地震が起こった。(市
比奈堤防増築工事竣工。(原田) 名主は
野村一郎?
朱膳田における河道屈曲是正工事。(原田)
3 1856 8月。大暴風来襲。被害甚大。(吉原)
5月13日。富士川洪水。水神下の堤防が切
れて崩れ、松岡村をはじめ、9カ村に大きな
被害をもたらした。(市)
8月25日。暴風雨・大津波。吉原湊の防
潮堤が切れて崩れ、大きな被害をもたらした。(市)
4 1857 伝法村、本郷丹後守の領有となる。(伝法)
依田橋村、本郷丹後守の領有となる。(今泉)
7月23日、29日、8月2日の暴風雨に
より富士川・潤井川の堤防が切れて崩れ、
17カ村に大きな被害をもたらした。(市)
駿河に大地震が起こった。(市)
椿が満開となった。工事の為半分を処分止むを得なかったが、尚春
の訪れは止め得ない。
紅唐子(日光)の落花が見事に地を覆つている。