口は災いの"素"

音楽テクニカルライター布施雄一郎のポジティブなネガティブ語録/独り言編

雲は湧き光溢れて

2007-08-13 04:17:01 | ホークス/野球

久々にビールを飲んで、4時30分就寝。
今日は昼まで寝るつもりが、不思議と9時30分過ぎに目が覚める。

しばらく布団の上でダラダラし、ふと携帯に目をやると、
メールの着信を知らせるランプが点滅。

携帯を手に取りメールを見ると、九州の友達からでした。
しかも、甲子園から。


   お?


すぐに意識がハッキリし、メールを読むと、
第三試合に出場する大分代表・楊志館高校の応援に来ているとのこと。

どうやら、この楊志館のキャッチャーが、
友達の息子さんが入っている少年野球チームのOBだそうで、
チームのみんなで応援に来たんだそうです。

そうかぁ~。甲子園かぁ~。いいなぁ~。
熱中症に気をつけてね。

そう思いながらメールに返信して、テレビを点けたら、
甲子園は、


   土砂降りの雨( ̄◇ ̄;)へ?


早朝の第一試合から、
強い陽射しが降りそそぐわ、通り雨が降るわ、延長戦に入るわで、
甲子園は、大騒ぎだったようです ^^;)


自宅で、お気楽にテレビ観戦している僕からすれば、
第一試合の常総学院×京都外大西の追いつ追われつの延長戦なんか、
最高の試合だったよなぁ~と思うんですが、

大分から遠路はるばる応援に行っている友達にしてみれば、
あまり試合進行が遅くなると、帰りのフェリーの出発時間の都合で、
目的の第三試合を最後まで見れない可能性が出きたようで、


   友『打てるんなら、初回から打たんかい』


なんて言う、悲鳴のメールが来ました( ̄w ̄)ぷ

高校球児には申し訳ないですが、
これにはちょっと噴出しちゃいました(ToT)げらげら


   *****


そんなこんなで、この夏、
初めて甲子園をテレビ観戦しました。


   そして、第三試合。


友達が応援していたキャッチャーの大活躍もあり、
終盤に相手チームに追い上げられながらも突き放し、
楊志館が甲子園初出場・初勝利! おめでと~!(^◇^)

ぶっちゃけ、九州出身者ながらこの高校はまったく知らなかったけれど、
ちょっと今年は、大分代表応援モードに突入してしまいました ^^;)

結局、そんなこんなで今日は一日、
第一試合の途中から第四試合まで、甲子園ほぼ完パケ状態。


   それにしても、高校野球をじっくり見たのは久しぶりだなぁ~。


青春モノにやたら弱い僕としては、
甲子園なんか、一度見始めたらハマってしまうことが自分で分かっているので、
毎年、あえて積極的に見ないようにしてたんですよ~ ^^;)

なのに今日は、『熱闘甲子園』まで
たっぷり見ちゃいました( ̄w ̄)ぷぷぷ


   *****


そんな甲子園には、ふたつの強烈な想い出があります。

まずひとつは、31年前の春。
僕が小学2年生から3年生になる直前のことです。
まだ『野球』というものを明確に理解できていなかった1976年。

新聞を見た母が、


  母『あ!日田林工!?日田?あの林工!?』


などと騒ぎ出したのです。
そう、母の出身地で、祖父母が住んでいる大分県日田市の日田林工高校が、
春の選抜高校野球に初出場していたんです。

僕は北海道生まれて北海道育っていたので(実は道産子)、
母の出身地が大分県で、祖父母が日田市に住んでいる、なんてことも
分かっちゃいなかったんですが、母が異常に盛り上がっていたのだけは
ハッキリと覚えてます。


しかも、祖父が地元の『日田バス』に勤めていたので、
大応援団を引き連れて、甲子園まで応援に行っていたんですよね。

今みたいに、気軽に連絡を取ったり電話できる時代じゃなかったので、
それこそテレビに噛り付いて、日田林工の試合を見ていました。

しかも、その時のエース、君投手だっけ?
母が彼(もしくは、彼の家族)を知っている、とか言っていたんですよ。

真相はよく覚えてませんが、
どんな場面でもまったく表情を変えないそのエースのことは、
今でもハッキリと覚えてます。

そして、アレよアレよと言う間に、準決勝へ進出。
残念ながらベスト4で敗れ去ってしまたのですが、
これが僕が最初に『野球』というものを意識した瞬間でした。


先ほど、改めてネットでいろいろ調べてみたんですが、
僕の記憶に残っている最古のプロ野球の記憶は、
長嶋さんが、広島市民球場で胴上げされている瞬間の映像(76年)。

ですから、日田林工の春の甲子園旋風は、
それよりも前になるんですよね。

僕の、野球好き原点は、やっぱり甲子園だったようです。


   *****


次の想い出は、
一気に歳を取った1992年の夏。


   僕『甲子園に出て、巨人に入って、契約金で家を建ててやる』


と豪語していた僕も(ちなみに、桑田・清原世代・笑)、
中一の時点で、


   僕『あ、やっぱヤツらは違うわ』


と感づき、すぐに方針転換して、
高校からは吹奏楽部に入ってしまったわけすが、
やっぱり甲子園は一度は行ってみたい聖地だったわけです。

そこで大学院1年の夏休み、
大阪にTHE BEATNIKのライブを見に大阪に行ったついでに、
ぶらり関西ひとり旅を敢行。


当時は、確かJRの関西周遊券なるキップがあって、
大阪を基点に京都、神戸あたりまで、一週間くらい乗り放題だったんですよ。
しかも学割なので、とことんやすい。

道中ひとりだからホテルなんかも取らないで、行き当たりバッタリで。
最悪でも、都会にはカプセルホテルがあるしね( ̄w ̄)ぷ

そんなこんなで、当初は3日くらいで福岡に帰る予定だったんですが、
別にひとりだし、ってことで滞在延長の繰り返し。

しかも、その期間中に台風が関西を直撃したりしたこともあって、
結局、一週間くらい関西に滞在していたんです。


で、その台風の翌日、どこにも行く予定がなかった僕は、
『そうだ!』と思い付き、甲子園へ。


   台風一過の超晴天。


甲子園に来たことがあまりにも嬉しくて、
第一試合から外野スタンドで観戦し、午後からはビールを飲んで昼寝。
気付いたら夕方になっていて。


   死ぬほど日焼けしました( ̄◇ ̄;)


どのくらいかと言うと、


   ほぼ全身ヤケド状態( ̄□ ̄;)短パンだったし


もうその翌日の段階で、
腕や足に風が当たるだけで激痛が走るほどの日焼けで、
結局、福岡に戻った後、


   全身水ぶくれ


になりました(=_=)

もう、皮がむけるなんて生易しいものではなくて、
まるでズボンやTシャツを脱ぐように


   脱皮( ̄w ̄)ぷ


いやぁ、若気の至り(若くなかったけど)。
懐かしい想い出です。


もう一回、甲子園(阪神戦もいいけど、高校野球)、行きたいなぁ。


友達が送ってくれた第一試合の写真。この1時間ほど後には、もう超満員に。