旧制四高校門、この周りの樹木は私が住んでいた頃は
まだ背が低かったが、すっかり大きくなったのにはびっくりした。
たまりにたまった、得意先回りをええ加減にせなあかんので
金沢へ年一回の出張へ。
今はメールや電話FAXで営業が出来るが、それでも顔出して
挨拶もしなければ疎遠になるというもの。
実際7~8年ぶりに会う人も居て、懐かしがってくれるのは
嬉しいことだが話題が「~~さん亡くなったよ」といった
お悔やみごとの多いこと。
そりゃそうやろう、私が金沢居たのが昭和の頃やもん。
今回は、なるべく沢山の人と会おうとスケジュールを
びっちり詰めた。
顧客はもとより、大学の先輩、友人、世話なった知人
後になって何でウチに寄らんかったと言わさないように。
久々に会った知人の奥さんが怪訝な顔をして
「どなた?」といった感じだったので、70代という
お歳を考慮して(高齢者独特の症状が出られたのか)心配したが
そっちじゃなくて、私がすっかり変わって判らんかったらしい(笑)。
そらそうやなぁ、金沢居た時50kgぐらいの体重が
今は80kgやもん。
学生時代の下宿は更地になってるやろなぁと、覚悟して
見に行ったらまだあった!
もう100年にはなるこのウチの二階に私は住んでいた。
大雪の日は脚立に上って雪かきをし、酒飲み過ぎて
夜中に帰って来た時は閉め出し喰らったりして(笑)
関西の喧騒を離れて縁もゆかりも無い金沢で
棲んだ6畳6千円の下宿、ここが我が城だったのだ。
風呂は無いからいつも坂の階段を上り下りして
銭湯まで通った。
時間が止まったような日々を過ごした下宿時代。
この下宿は小立野という、谷と谷の間の丘陵地みたいなとこに
あったので、下宿のまん前は坂の階段
土砂崩れでもあったら大変な場所でもある。
カネは無いけど暇もない、今あの時代に戻れと言われたら
絶対戻りたくないけど、確かにここで私は住んでいたのだ。
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