四条大宮ジャーナル

この度の東北太平洋沖地震にて被災された方々へ
お見舞い申し上げます

姜尚中講演会

2011-12-18 17:39:06 | 人間
昨日は京都・西本願寺での姜尚中講演会に出席。
流石メディアの露出が多い方だけに、400人くらいの会場は満杯
入れない方々のためにモニター室を急遽こしらえていた。

テーマは「受け入れる心」
今年は東日本大震災の話から外す訳には行かない。
プロテスタントに洗礼を受けた姜氏が浄土真宗の門徒の前で
講演会をする訳ですが、という注釈を入れながらも
とつとつと、言葉を選んで話す氏は熱くなりっぱなしの
パネリストの中で冷静に話をする「朝まで~」等
TVの語り口と同じ。

3・11の日に仙台へ居た作家・伊集院静氏と話した時のこと。
前日も、当日も晩はきらめく星空やったらしい。
恐らく当日、海へ流された方々も多かっただろう
生きてる人もその時間には居たかもしれない。
その時、星空を見て彼らは何と思っただろう
助かった人は、そう思っては生きている罪悪にも
さい悩まされているらしい。

その話で、20数年前北アルプスで遭難した人のニュースを
思い出した。10月後半の頃か、秋山登山で入山したものの
初雪がゲリラ豪雪になってしまい、3~4人が倒れた。
翌日発見された、その時の空は雲ひとつない晴天やった。

阪神淡路大震災の時も、地震は何時間も揺れ続けて倒壊するのでなく
5時46分の一回で倒れた。
東北の津波も何日も続くものでもなく、ほんの1時間程度で
その土地で暮らしてきた形を流し、飲み込んだ。
自然は恐ろしく巨大だ。

また氏は、死者行方不明者20000人についても語った。
20000人という数字は統計学になるが、1人の死は
その人の人生を語ると文学である、と。
だから20000人(講演会では5000人と言ってたが)が
20001人だとしたら、これはただ1人増えたのではなく
大変大きなことだと。亡くなった1人の家族友人を思えば
何十人という悲しみがそこにはある。
新聞マスコミで数字だけ見てると
マヒしがちなことは、阪神のときでも経験したが
あの時は、近くで起こったことと神戸にも入ったので実感もあったが
今回は東北の地で、未だ実感として感じられないのが
一関西人の率直な思いだ。

現地での話では、放射能汚染危険区域では土葬も許されず
2歳くらいのまだ赤ちゃんのような遺骸がカラスに
ついばまれる光景も見たという。この21世紀の時代に
まるで天保の大飢饉のような惨状ではないか。

こんな最期を迎えて人は星空にどう思う。
神も仏もないやないかと罵詈雑言を浴びせるのか
それとも、最期の時に菩薩様がお迎えに来たのか
信仰とは、そう信じることで天に召されることが出来る
古来から人は苦しみを甘受出来たのは、信仰の心が
あったことには間違いない、無神論者の私でも
子供が倒れたなら無事を祈るしか手立てはないだろう。

生きることの大変な時代、死をも受け入れなければ
ならなかった人々へは鎮魂の思いと成仏を
東北の現場で助かった人は念じただろう。

姜尚中氏には結局、最初から最後まで笑みが無かった
それは冷徹というより真摯な姿勢に見えた。
学者である以前に清冽な一個人としてこれからも
発言していただきたい人です。

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2 コメント

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Unknown ()
2011-12-18 22:23:51
プロテスタントが浄土真宗の本丸に入り込んでもええのか?ええのか?理解できん(-"-;)
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Unknown (大河内)
2011-12-19 20:27:43
「バラバラでもいっしょ」が浄土真宗のコンセプト。
八百万の神(仏)がおわせられる日本らしいやないですか。

金正日死んで年末まだひと山ありそうやな…
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