四条大宮ジャーナル

この度の東北太平洋沖地震にて被災された方々へ
お見舞い申し上げます

河内のオッサン

2012-04-16 10:01:15 | 大阪

近鉄・河内花園駅のホームにあるベンチ。
長い木のベンチは、阪急ばっかり乗ってる私には懐かしい。
それも高架になったら無くなるんやろうな。

土日は大阪で飲んだり過ごしたり。
中学生まで過ごした東大阪市は、近鉄が走ってるが
そのほとんどが通過駅で、下町風情の残ったええ街だ。
子供のころはその不便さ、ガラの悪さが嫌で嫌で仕方なかったが
一歩、駅から降りるとその街の懐かしい空気を感じる。

それでも花園駅は半分高架になっており
駅前も、どこにでもあるようなショッピングモールみたいになって
つまらない。しかーし、昔からの小さい小さい商店街の
アーケード一角にある、チェーン店じゃない一軒の居酒屋がよかった。

先に席取りしてくれてたT氏に、お土産で持ってきた京都の麩を
あげると「あれ?お前も京都なんか??」と話が全くかみ合わない(笑)
聞くと、後で来るヤツと間違えてたらしい、30数年ぶりだから
仕方がないかぁ、中学生まで隣近所で遊んだ仲である。

皆変わらず元気で楽しい酒席であったが、話の中で
「○○が亡くなったらしい」「○○は20代の時やったん違うか」
と、同級生が鬼籍に行った話になる。
50歳近くになると、そういう話題に数名出てくるんやなあ
生きてる確認作業のため、これを機に年一回は飲もな。
たまには京都にもおいで。

翌日は昨秋他界した恩師の家へ線香あげに行く。
体育教師であった恩師からはよく鉄拳制裁を浴び
それに対して理不尽を訴えてさらに大喧嘩することもあったが
後腐れの無い、卒業してからも飲みに言ったりして
嘘の無い、直球勝負の人でした。

当時のアルバムを見ながら、高校時代の思い出話や
先生の息子さんと娘さんからオトンのエピソードも
聞かしていただいた。
熱血体育教師だけに、体育祭を学校行事という捉え方ではなく
「オレの体育祭」という意気込みやったらしい。
当然ながら、時季重なるため子供の体育祭には全く来なかったらしい、わははは。

いろんな話をして、帰り際に交代するように線香あげに来た
方と会ったら、ウチの学校の十期ほど下の後輩やった。
「そうかー、後輩さんか!ワシら先生の悪口言いまくってしもたから
君らは沢山先生をほめていくんやで!」
世代を越えて生徒から慕われてたT先生、お疲れさんでした。

高校まで住んでいた河内は、酸いも甘いも思いがある土地
そこで今も暮らしている友人、知人と会うと
京都で家族や仕事で忙殺される日々を忘れて、一個人として
過ごすことが出来ました、今度は泊まりでブラブラ散歩でも
したいもんです。

また行くね!!