呑み歩きを生き甲斐とする者にとってある意味必然の帰結ではありますが、食べ物の好き嫌いは少ない方と自負しています。ただし正確には、好き嫌いが少ないというより、嫌いなものが少ないといった方がよいかもしれません。というのは、好きでも嫌いでもないものが相当数あるからです。魚類、海藻以外の水産物がまさにそうで、人々が珍重する牡蠣、蟹、海鼠といった高級食材も、自分にとっては大半が猫に小判です。それらについては、出されればもちろん残さずいただくものの、自ら積極的に選ぶことはありません。
そのような中、全生涯を通じ明確な苦手意識を持っている唯一の食材が椎茸です。ある食べ物を苦手とする理由として、最も典型的なのが「臭い」ではないでしょうか。自分が椎茸を苦手とする理由も直接的には臭いにあり、こればかりは理屈を超越した個人の嗜好の問題というしかありません。逆に、臭いさえなければ何の問題もないわけで、昆布とともに佃煮にした椎茸などは、むしろ好きといってもよいほどです。
しかし最近、根本的な理由はむしろ他にあるということを今更ながら自覚するようになってきました。その理由とは「予測できない」「避けられない」ということです。
たとえば、焼椎茸、椎茸の天麩羅といったものは、自ら選ばなければ済むことです。ところがこの椎茸というのは、中華料理を始めとして、玉子とじ、卯の花、汁物、炒め物、茶碗蒸しといった雑多な料理の中に潜んでいます。しかも厄介なのは、それらに椎茸が「必ず入る」というわけではなく、「しばしば入る」といった程度に過ぎないことです。その結果、何気なく選んだつもりが椎茸入りで幻滅するという事態が起こります。「予測できない」とはこのような難点を指します。
次に「避けようがない」というのは、不幸にして椎茸が入った場合、大抵は細かく切られて全体に混ざっており、それだけを取り除けないことを意味します。トマトだけをきれいに残す人物が昔の知り合いにいたものですが、椎茸ではそのような芸当が事実上できません。これさえなければと惜しみつつ、苦手な椎茸を口にせざるを得ないもどかしさを、これまで何度味わってきたことでしょうか。鍋物に丸ごと入った椎茸ならば、一思いに丸飲みすればよい分だけまだましなのですが。
同様の理由により、歳を追えば追うほど苦手になりつつあるのがピーマンです。ピーマンといえば、人参、セロリと並んで子供の嫌う野菜の御三家というべき存在ですが、自身かつては苦手でも何でもありませんでした。しかし、むしろ歳をとるにつれてあの臭いが鼻につくようになってきました。そして最近自覚したのは、様々な料理に潜み、もし使われていても取り除けないという点で、ピーマンと椎茸は共通するということです。
以上のことをたとえるなら、東北の汽車旅のようなものとでもいえばよいでしょうか。701系が来ると分かっていれば絶対乗らないにもかかわらず、予定していた列車が万一運休したり打ち切られたりすると、代走が必然的に701系となり、たちまち奈落の底に落ちるという状況が、「予測できない」「避けられない」の典型というわけです。
以前から苦手に感じていたものが、その理由を自覚することによりますます苦手になるという現象は往々にしてあるものです。食材に関していえば椎茸とピーマンが双璧であり、それ以外では飛行機、直近では中国人観光客の例などもありました。これらを克服することは生涯を通じてなさそうです…
そのような中、全生涯を通じ明確な苦手意識を持っている唯一の食材が椎茸です。ある食べ物を苦手とする理由として、最も典型的なのが「臭い」ではないでしょうか。自分が椎茸を苦手とする理由も直接的には臭いにあり、こればかりは理屈を超越した個人の嗜好の問題というしかありません。逆に、臭いさえなければ何の問題もないわけで、昆布とともに佃煮にした椎茸などは、むしろ好きといってもよいほどです。
しかし最近、根本的な理由はむしろ他にあるということを今更ながら自覚するようになってきました。その理由とは「予測できない」「避けられない」ということです。
たとえば、焼椎茸、椎茸の天麩羅といったものは、自ら選ばなければ済むことです。ところがこの椎茸というのは、中華料理を始めとして、玉子とじ、卯の花、汁物、炒め物、茶碗蒸しといった雑多な料理の中に潜んでいます。しかも厄介なのは、それらに椎茸が「必ず入る」というわけではなく、「しばしば入る」といった程度に過ぎないことです。その結果、何気なく選んだつもりが椎茸入りで幻滅するという事態が起こります。「予測できない」とはこのような難点を指します。
次に「避けようがない」というのは、不幸にして椎茸が入った場合、大抵は細かく切られて全体に混ざっており、それだけを取り除けないことを意味します。トマトだけをきれいに残す人物が昔の知り合いにいたものですが、椎茸ではそのような芸当が事実上できません。これさえなければと惜しみつつ、苦手な椎茸を口にせざるを得ないもどかしさを、これまで何度味わってきたことでしょうか。鍋物に丸ごと入った椎茸ならば、一思いに丸飲みすればよい分だけまだましなのですが。
同様の理由により、歳を追えば追うほど苦手になりつつあるのがピーマンです。ピーマンといえば、人参、セロリと並んで子供の嫌う野菜の御三家というべき存在ですが、自身かつては苦手でも何でもありませんでした。しかし、むしろ歳をとるにつれてあの臭いが鼻につくようになってきました。そして最近自覚したのは、様々な料理に潜み、もし使われていても取り除けないという点で、ピーマンと椎茸は共通するということです。
以上のことをたとえるなら、東北の汽車旅のようなものとでもいえばよいでしょうか。701系が来ると分かっていれば絶対乗らないにもかかわらず、予定していた列車が万一運休したり打ち切られたりすると、代走が必然的に701系となり、たちまち奈落の底に落ちるという状況が、「予測できない」「避けられない」の典型というわけです。
以前から苦手に感じていたものが、その理由を自覚することによりますます苦手になるという現象は往々にしてあるものです。食材に関していえば椎茸とピーマンが双璧であり、それ以外では飛行機、直近では中国人観光客の例などもありました。これらを克服することは生涯を通じてなさそうです…