日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

活動十年史 - 前編

2015-02-18 22:24:21 | 旅日記
一昨日は編集方針、昨日は文章表現について語りました。いずれもこのblogに関するものです。しかし、変遷しているのはそれだけではなく、肝心の活動内容も時代に応じ移り変わっています。
活動を振り返るというと、一回の活動を終えて帰着したとき、その活動について振り返るのがほとんどです。一定期間の活動を振り返ったのは、桜を追って東日本を縦断した五年前だけではないでしょうか。ましてや数年単位の活動を振り返ったことはありません。このblogの変遷を回顧したついでに、自身の活動遍歴を振り返り、併せて今後の展望についても考えてみます。

一人旅が生活の中心を占めるようになった時期は、長かったニート時代に区切りをつけ、多少なりとも稼ぎを得るようになった11年前とほぼ一致しています。それ以降の活動は、レンタカー時代、マイカー時代、現代の三つに大別することができます。それらのうち、このblogに記録されているのはマイカー時代の初期から現代までです。今夜はマイカー時代までを振り返ります。

・レンタカー時代
旅中心の暮らしが始まった時期とは、30にして車の運転免許を取得し、汽車旅一辺倒だった活動の幅が大きく広がった時期と一致しています。すなわち、車という移動手段を獲得したことにより、温泉、湧水、花見など公共交通機関だけでは難しい活動ができるようになり、撮影の対象も列車だけではなく風景、町並みといった様々なものに広がりました。
レンタカーを使った散発的な活動を一年ほど続けた後、次なる転機が訪れたのは、今はなきマツダレンタカーの「週末レンタカー」に出会ったときでした。金曜の晩から月曜の朝まで借りて一万円弱という大安売りを活用し、北は秋田から西は和歌山まで、全国各地をレンタカーで行き来するという活動を、三年弱にわたって続けたのです。

「いかに安く済ませるか」を重視していたのもこの頃の特徴です。安直な手段に頼ろうとすればするほど、感動もその分薄れてしまうという事実を、その頃はまだ明確には理解していなかったということでしょう。当時は先立つものが今以上に乏しかったという事情もあります。北海道にも沖縄にも空路で移動し、現地でレンタカーを借りるなど、今となっては考えられない行動をとっていた時代があったのです。宿代を惜しんだ結果、レンタカーに寝袋を積み込んでの車中泊は日常茶飯事でした。

・マイカー時代
四年弱にわたるレンタカー時代を経て、生涯初めてマイカーを持ったのが八年前の秋であり、そのとき以来乗り続けているのが現在の相棒です。経済性を考えればレンタカーが断然有利にもかかわらず、たまたま手にした数十万円ばかりの臨時収入につられ、勢い余ってマイカー購入に至ったというのがそもそもの発端ではありました。
それ以来、なけなしの収入からどれだけの維持費を車に注ぎ込んできたのでしょうか。もちろん家一軒は建たないにしても、頭金程度にはなったでしょう。しかし、かけた金に未練はないと言い切れるほど、マイカーという移動手段は活動の幅をさらに広げてくれました。桜を追って列島を北上する旅も、長距離フェリーを利用しての遠征も、マイカーがなければ実現どころか発想すらしなかったでしょう。レンタカーに乗り続けていたならできなかった劇的な旅をいくつも経験できたという点で、マイカーの導入は我が生涯における一大変革といっても過言ではありません。

このblogを開設したのは、マイカー導入から半年足らずの頃です。中国地方への遠征など、レンタカーでは無理だった車による長旅を何度も繰り返し、早くも一万kmを走っていた時期でした。車での活動がこれほど活発化したのは、マイカーを駆っての遠征という新境地が広がったのもさることながら、夜行列車の退潮傾向、割引制度の度重なる縮減などで年々つまらなくなる汽車旅に愛想を尽かしたという事情にも起因しています。その年以降、汽車旅の頻度はますます低くなり、翌年に至っては往復20万円以上も注ぎ込んで沖縄にマイカーを航送して、一年間で全都道府県を走破するという道楽の極みに走ったのでした。
もっとも、このような散財が当然ながら長続きするはずもありません。それに加え、勤め人の身分では時間を捻出するにも限度があり、全都道府県を走破したとはいっても、その中にはごく短時間立ち寄ってお茶を濁しただけというところが相当数ありました。「立ち寄った」という既成事実を作るがために無理矢理立ち寄るという、本末転倒としか言いようのない状況に陥っていたのが実態です。

また、旅先で呑むという習慣が生まれたのはこの頃です。それ以前は、居酒屋で呑むという習慣はあっても、旅の途中に一人で呑み屋に入ることはまずありませんでした。夜に飲食店へ入るとしても、過去に仲間と行った店か、仙台の牛タン、広島のお好み焼き、博多の屋台といった「ご当地もの」、あるいはMOSへ行くのがせいぜいだったのです。しかし、このblogを開設した年に刊行された、教祖の主著「居酒屋味酒覧」の第二版が一つの転機となりました。本書を初版とともに押さえたのを始めとして、教祖による著作を次から次へと読み漁り、自らも行く先々の呑み屋街を歩くうちに、酒場めぐりが旅の主たる目的の一つとして確立されることになります。
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