お待ちかねの函館山にやってきました。標高が上がるにつれて気温は9度に下がり、大型連休以来となる上着を羽織って展望台に立ちます。
実は、自分が函館山に登ったことはただの一度、正確には二度しかありません。十三年前の秋、北海道を一周した汽車旅の最後で函館に立ち寄り、明るいうちに函館山を訪ねた後、暗くなるのを待ってもう一度登ったという顛末でした。そのときの記憶は、とにかく見事な眺めだったということと、とにかく見物客が多かったということの二点に集約されます。特に夜間は、花見の最盛期に千鳥ヶ淵のお立ち台から夜桜を眺めるようなもので、今の自分があの人混みに耐えられるかどうかは分かりません。
そして今回、宿願を果たして再訪すると、遅い時間ということもあるのか、まだ肌寒い五月ということもあるのか、身構えていたほどの人出はありませんでした。たとえるならば、ライトアップの明かりを落とした公園で、地元の若い連中だけが何人か花見に興じているといった雰囲気に似ており、適度な賑わいと表現するのが合っています。
そして、当然ながら夜景は見事の一言に尽きます。絵葉書などで何度も何度も目にした光景とはいえ、街の明かりのまたたきだけは、現地に足を運ばなければ体感できません。しかも、函館に来ればいつでも見られるというものではなく、山頂が晴れなければ成り立たないわけです。花見の後に自走で上れる状況で、なおかつ山頂も晴れているという条件が整った以上、これを活かさない手はないでしょう。呑み屋を一晩飛ばした分を補って余りある、実に見事な夜景です。
実は、自分が函館山に登ったことはただの一度、正確には二度しかありません。十三年前の秋、北海道を一周した汽車旅の最後で函館に立ち寄り、明るいうちに函館山を訪ねた後、暗くなるのを待ってもう一度登ったという顛末でした。そのときの記憶は、とにかく見事な眺めだったということと、とにかく見物客が多かったということの二点に集約されます。特に夜間は、花見の最盛期に千鳥ヶ淵のお立ち台から夜桜を眺めるようなもので、今の自分があの人混みに耐えられるかどうかは分かりません。
そして今回、宿願を果たして再訪すると、遅い時間ということもあるのか、まだ肌寒い五月ということもあるのか、身構えていたほどの人出はありませんでした。たとえるならば、ライトアップの明かりを落とした公園で、地元の若い連中だけが何人か花見に興じているといった雰囲気に似ており、適度な賑わいと表現するのが合っています。
そして、当然ながら夜景は見事の一言に尽きます。絵葉書などで何度も何度も目にした光景とはいえ、街の明かりのまたたきだけは、現地に足を運ばなければ体感できません。しかも、函館に来ればいつでも見られるというものではなく、山頂が晴れなければ成り立たないわけです。花見の後に自走で上れる状況で、なおかつ山頂も晴れているという条件が整った以上、これを活かさない手はないでしょう。呑み屋を一晩飛ばした分を補って余りある、実に見事な夜景です。