今朝、LINEでメールがきた。
内容は、
『母、今朝亡くなりました』
動揺した。
娘が送ってきたのだろうか?
一行だけで、いまいち内容がわからない。
友人の母⁉
それとも本人⁉
変に返信して、間違えたら取り返しがつかない。
取り敢えず、
お悔やみの言葉だけメールした。
これは、状況を確認しないといけません。
お昼過ぎ、がん友のスマホに電話をしたら娘が出た。
本人が出てこなかったってことは、
やはり亡くなったのは、がん友か…‼
涙が溢れてきた。
信じたくなかったが、娘に聞いてみた。
つい最近、地元の病院に入院して、
一週間位前から寝たきりになったそうだ。
そして病状が急変し、今朝亡くなったとのこと。
まだ、若い。
50代中頃だ。
ご冥福をお祈りします。
最近彼女に逢ったのは、いつだっただろうか?
過去の記憶を辿っていった。
恐らく、6月に広島市の某総合病院の診察日だったと思う。
大体彼女は金曜日の診察が多いので、
その日も受付を済ませて辺りを見回したら、
彼女がいた。
早速、近寄ってお互いに近況を話し合った。
彼女は勉強熱心で、乳がんの事をとことん調べあげ、
そして、自分にあった治療法を選択している。
私が、この2月からビタミンC高濃度の点滴を開始したのも、
彼女の影響かもしれない。
既にその病院で、ビタミンC高濃度の点滴や、
NK細胞療法も受けており、
予め、点滴の様子や副作用の事も色々と教えてくれた。
新しい情報として、
マコーレ博士のことも教えてくれた。
彼女の娘にも何度か会っているので、
一緒に勉強している様子。
なのに私ったら、自分の病気に無頓着かも。
そんな意味では、彼女から色々と教わった事が多い。
そうそう、思い出した。
別れ際に彼女が今年の4月に放射線治療で入院し、
その時の診断書が出来ていたので、
取りに行かないといけないと言って、
別れたのが、最後だった。
初めての出逢いを思いだそう。
2006年4月だった。
思い起こせば、約10年以上前に遡る。
乳房再建で、エキスパンダー挿入手術で入院していた時、
彼女も自分の皮下組織を使った乳房再建で、入院していた。
がん友がいなかったので、
何とか友達が欲しかった。
話をしてみたら、何と同級生。
私は、ステージ3だったけど、
多分彼女は、ステージ2だったような気がする。
彼女は、友人が多いみたいで、
しょっちゅう誰かがお見舞いに来ていた。
あれから、10年以上も一緒に闘病してきたことになる。
彼女は、県北に住んでいたので、
しょっちゅう会えなかったけど、
毎年年賀状で近況を伝えたり、
私が再発して、また通院するようになってからは、
以外と会っていたように思う。
彼女は足を痛めていたので、
必ず引率として、友人だったり、
娘とお孫ちゃんだったりと一緒に来ていた。
娘とも何度も話をする機会があった。
彼女の病気に対する知識は相当高かった。
いつも色々と教わっていたので、
自分の知識のなさが情けなかった。
診察までの待ち時間が2時間近くあったときも、
話がつきることなくずっ~と治療法や薬の事を
話してくれた。
そんな彼女は、もうこの世にいない。
唯一病気の事をあれこれと話せる友人だった。
恐らく、病気の進行も似ていたのかな⁉
彼女がいなくなった今、
私は少しでも長く生きて、
治療もしながら、仕事を続けていかないといけない。
彼女の分も頑張って生きて行こうと心に決めました。
先日、
『後悔のない幸せな人生を生きるための12個の方法』
の記事を投稿したけど、
一度きりの人世だ。
友人の訃報により、
本当に悔いのない生き方がどんなものか、
改めて考えるきっかけを与えてくれました。
心残りがない人生を模索しながら、
自分なりに頑張ってみよう🍀
内容は、
『母、今朝亡くなりました』
動揺した。
娘が送ってきたのだろうか?
一行だけで、いまいち内容がわからない。
友人の母⁉
それとも本人⁉
変に返信して、間違えたら取り返しがつかない。
取り敢えず、
お悔やみの言葉だけメールした。
これは、状況を確認しないといけません。
お昼過ぎ、がん友のスマホに電話をしたら娘が出た。
本人が出てこなかったってことは、
やはり亡くなったのは、がん友か…‼
涙が溢れてきた。
信じたくなかったが、娘に聞いてみた。
つい最近、地元の病院に入院して、
一週間位前から寝たきりになったそうだ。
そして病状が急変し、今朝亡くなったとのこと。
まだ、若い。
50代中頃だ。
ご冥福をお祈りします。
最近彼女に逢ったのは、いつだっただろうか?
過去の記憶を辿っていった。
恐らく、6月に広島市の某総合病院の診察日だったと思う。
大体彼女は金曜日の診察が多いので、
その日も受付を済ませて辺りを見回したら、
彼女がいた。
早速、近寄ってお互いに近況を話し合った。
彼女は勉強熱心で、乳がんの事をとことん調べあげ、
そして、自分にあった治療法を選択している。
私が、この2月からビタミンC高濃度の点滴を開始したのも、
彼女の影響かもしれない。
既にその病院で、ビタミンC高濃度の点滴や、
NK細胞療法も受けており、
予め、点滴の様子や副作用の事も色々と教えてくれた。
新しい情報として、
マコーレ博士のことも教えてくれた。
彼女の娘にも何度か会っているので、
一緒に勉強している様子。
なのに私ったら、自分の病気に無頓着かも。
そんな意味では、彼女から色々と教わった事が多い。
そうそう、思い出した。
別れ際に彼女が今年の4月に放射線治療で入院し、
その時の診断書が出来ていたので、
取りに行かないといけないと言って、
別れたのが、最後だった。
初めての出逢いを思いだそう。
2006年4月だった。
思い起こせば、約10年以上前に遡る。
乳房再建で、エキスパンダー挿入手術で入院していた時、
彼女も自分の皮下組織を使った乳房再建で、入院していた。
がん友がいなかったので、
何とか友達が欲しかった。
話をしてみたら、何と同級生。
私は、ステージ3だったけど、
多分彼女は、ステージ2だったような気がする。
彼女は、友人が多いみたいで、
しょっちゅう誰かがお見舞いに来ていた。
あれから、10年以上も一緒に闘病してきたことになる。
彼女は、県北に住んでいたので、
しょっちゅう会えなかったけど、
毎年年賀状で近況を伝えたり、
私が再発して、また通院するようになってからは、
以外と会っていたように思う。
彼女は足を痛めていたので、
必ず引率として、友人だったり、
娘とお孫ちゃんだったりと一緒に来ていた。
娘とも何度も話をする機会があった。
彼女の病気に対する知識は相当高かった。
いつも色々と教わっていたので、
自分の知識のなさが情けなかった。
診察までの待ち時間が2時間近くあったときも、
話がつきることなくずっ~と治療法や薬の事を
話してくれた。
そんな彼女は、もうこの世にいない。
唯一病気の事をあれこれと話せる友人だった。
恐らく、病気の進行も似ていたのかな⁉
彼女がいなくなった今、
私は少しでも長く生きて、
治療もしながら、仕事を続けていかないといけない。
彼女の分も頑張って生きて行こうと心に決めました。
先日、
『後悔のない幸せな人生を生きるための12個の方法』
の記事を投稿したけど、
一度きりの人世だ。
友人の訃報により、
本当に悔いのない生き方がどんなものか、
改めて考えるきっかけを与えてくれました。
心残りがない人生を模索しながら、
自分なりに頑張ってみよう🍀