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元号のイニシャル


 
このような配慮は昭和後期、ローマ字表記が普及した後のことだろう。

ここで排除されるのは「今、生きている人の生まれた元号」である。
 
 
平成」を決める際にも「修文(しうぶん)」と「正化(せいくわ)」が「昭和(せうわ)」と同じくSで始まるという理由で排除されたようだ。

明治の前の元号は「慶応(けいおう)」だが、Kで始まる元号は排除されない。

これは明治元年が150年前で「慶応生まれ」は存在しないと思われるからだ。
 

大正→昭和のとき、「光文(くわうぶん)」が事前に報道された結果、没になったという説がある。

当時、ローマ字表記の頭文字の重複を避けることは考慮されなかっただろうが、結果として「光文」の排除は当時はよかった。昭和元年当時は「慶応生まれ」が生き残っていた可能性がある。

昭和の始まりは西暦1926年であり、これは慶応2年(1866年)から60年後であった。

一方、「昭和」のようにSで始まる元号の前例を探すと、西暦1711年に始まった「正徳」までさかのぼる。正徳が終わったのは1716年であり、昭和元年はそれから210年後であるから、重複の心配はなかった。
 

もっとも「明治」「大正」の決定において「ローマ字表記の頭文字の重複を避ける」などという配慮は皆無であった。

「大正」はTで始まる元号で1912年に始まった。その前の元号で、Tで始まったのは「天保」で、事実上、最終年は西暦1844年だから、天保最終年から大正元年まで68年。

「明治」はMで始まる元号で1868年に始まった。その7年前に「万延(1860~61)」があったので、幕末には元号の初めの音の重複などあって当たり前だったのだろう。

「慶応」のKは「嘉永」でも使われており、「嘉永」の最終年は1854年、「慶応」は1865年に始まったので、「嘉永」から「慶応」まで10年も経っていない。しかも「嘉永」の前は「弘化(こうくわ)」であり、Kで始まる元号が連続していた。

「天保」の前に「文化」「文政」があって、Bが連続しており、その前は「寛政」「享和」だからKが連続していた。
 
「令和」は日本語のローマ字ではReiwaなのでRで始まる。
シナ語であればLingheだからLで始まる。

日本の歴史上、ラ行で始まる元号には
奈良時代の「霊亀」(715-717)、
鎌倉時代の「暦仁」(1238-1239)、
南北朝時代の「暦応」(1338-1342、北朝)があるようだ。

「文化」「文政」「文久」の「文」の音読みには「もん」Monと「ぶん」Bunがある。
「万延」の「万」の音読みには「まん」Manと「ばん」Banがある。
「明治」MeijiのMと重複するかどうかは「文」や「万」の読み方によって決まる。

天保15年(西暦1844年)から大正元年(1912年)まで68年。天保13年(1842年)から大正元年まで70年。アヘン戦争(1840~1842)から辛亥革命(1911)までおよそ70年。
20:30 - 2019年4月5日

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