1969年10月10日、後楽園の中日戦、金田正一が400勝を記録。
1970年4月2日、金田の古巣・ヤクルト(金田がいた当時は国鉄)とのオープン戦が引退試合となった。
『巨人の星』では開幕第1戦の巨人×中日戦は4月10日の予定が雨で延びたことになっている。
「実際の歴史」では1970年4月12日(つまり4月10日から2日後)に後楽園で巨人と中日の試合があった。結果は中日の勝ち。
そしてこのシーズンの最初の巨人×阪神戦は1週間後の4月12日であった。場所は漫画での描写と同じく甲子園。
ここで星飛雄馬が花形に大リーグボール2号を打たれたとすると、7月18日の神宮球場(漫画では後楽園)での「屈辱の“夢の球宴”」まで、原作で飛雄馬が登板していなかったことになる。アニメでは飛雄馬は葉書で川上に1週間の休暇を願い出て、港で貨物運びのアルバイトをしていたが、実際の空白期間は3箇月もあったわけだ。
原作で飛雄馬が京子に語ったところでは、札幌遠征ではベンチ入りだけはしていたようで、それは7月7日、8日、9日のヤクルト戦に該当する。すると札幌遠征直前に飛雄馬が球団に戻ったとして2箇月半は試合に出なかったことになる。
関連語句
星飛雄馬 1970 [1] [2]
1970年4月2日、金田の古巣・ヤクルト(金田がいた当時は国鉄)とのオープン戦が引退試合となった。
『巨人の星』では開幕第1戦の巨人×中日戦は4月10日の予定が雨で延びたことになっている。
「実際の歴史」では1970年4月12日(つまり4月10日から2日後)に後楽園で巨人と中日の試合があった。結果は中日の勝ち。
そしてこのシーズンの最初の巨人×阪神戦は1週間後の4月12日であった。場所は漫画での描写と同じく甲子園。
ここで星飛雄馬が花形に大リーグボール2号を打たれたとすると、7月18日の神宮球場(漫画では後楽園)での「屈辱の“夢の球宴”」まで、原作で飛雄馬が登板していなかったことになる。アニメでは飛雄馬は葉書で川上に1週間の休暇を願い出て、港で貨物運びのアルバイトをしていたが、実際の空白期間は3箇月もあったわけだ。
原作で飛雄馬が京子に語ったところでは、札幌遠征ではベンチ入りだけはしていたようで、それは7月7日、8日、9日のヤクルト戦に該当する。すると札幌遠征直前に飛雄馬が球団に戻ったとして2箇月半は試合に出なかったことになる。
関連語句
星飛雄馬 1970 [1] [2]