goo blog サービス終了のお知らせ 

gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

1970年前半戦における星飛雄馬の記録と試合日程

2011-06-30 03:45:00 | 1970年代
1969年10月10日、後楽園の中日戦、金田正一が400勝を記録。
1970年4月2日、金田の古巣・ヤクルト(金田がいた当時は国鉄)とのオープン戦が引退試合となった。

『巨人の星』では開幕第1戦の巨人×中日戦は4月10日の予定が雨で延びたことになっている。
「実際の歴史」では1970年4月12日(つまり4月10日から2日後)に後楽園で巨人と中日の試合があった。結果は中日の勝ち。

そしてこのシーズンの最初の巨人×阪神戦は1週間後の4月12日であった。場所は漫画での描写と同じく甲子園。
ここで星飛雄馬が花形に大リーグボール2号を打たれたとすると、7月18日の神宮球場(漫画では後楽園)での「屈辱の“夢の球宴”」まで、原作で飛雄馬が登板していなかったことになる。アニメでは飛雄馬は葉書で川上に1週間の休暇を願い出て、港で貨物運びのアルバイトをしていたが、実際の空白期間は3箇月もあったわけだ。

原作で飛雄馬が京子に語ったところでは、札幌遠征ではベンチ入りだけはしていたようで、それは7月7日、8日、9日のヤクルト戦に該当する。すると札幌遠征直前に飛雄馬が球団に戻ったとして2箇月半は試合に出なかったことになる。

関連語句
星飛雄馬 1970 [1] [2]

包拯(包公、包青天)

2011-06-29 05:15:00 | 奈良~平安
包拯(Bao Zheng、999~1062)は北宋の政治家。
日本では平安時代に相当する。
清少納言紫式部と同時代の人であろう。


包青天奇案 中国版・大岡越前の物語』(有坂正三、文芸社、2006年)という本が出ている。

『大岡越前』の「しばられ地蔵」はこの包公の「石碑」という故事がもとになっているらしい。
布が盗まれ、それが市場で賣られてしまった。訴えを受けた包公は石碑を犯人のように扱って、集まった見物人から布を集め、そこから盗品を見つけ、どこで賣られたかを突き止めたというもの。

もし「しばられ地蔵」が北宋時代の話とすると、アニメの『一休さん』で一休宗純(1394~1481)が地蔵を縛るアイデアを実行し、大岡忠相(1677~1751)がそれを応用したとしても不思議はない。

また、包公がキバノロ)と鹿の夢を見て、張禄という人物がいるに違いないと思った話がある。
これは、この本によると「」と「張」が Zhang1で同音、「鹿」と「禄」が lu4でやはり同音であることによるらしい。
ただ、日本語の音読みで考えても「」は「章」を音符とすると考えれば「シャウ」、「張」は「チャウ」で音が似ており、「鹿」と「禄」はともに「ロク」であるから、日本語音読みで考えてもわかる。
」の字は「のろ」の訓で変換したら出た。

藤堂明保の『学研漢和大字典』で北宋時代の音を調べると、「」「章」「張」は t∫ɪaŋ だったらしい。
「鹿」と「禄」は隋・唐代で luk、宋・元・明から lu になった。

なお、『西遊記』の猪八戒(Zhu Bajie)が「朱八戒」とも呼ばれるのは「猪」と「朱」が同音だからである。
また、ハリウッド版『ドラゴンボール』で孫悟空(Sun Wukong)が
「武昆」Wukun になったらしいが、これも「悟空」と「武昆」の音の類似によるものだろう。
『西遊記』で「五爻」wuyao と「無肴」wuyao を掛けているものがあるようだが、これは『西遊記』が明代に完成された小説だからであろう。
玄奘が生きていた唐代のシナ語では「五」の声母の舌根音と「無」の声母の唇音は残っていたはずである。

元禄~正徳の時代に日本で出版された『本朝藤陰比事』に「詮議動かぬ石佛の番」(『大岡越前逸話集』では「~石仏~」表記)で出ているらしい。ここでは被害者が木綿賣りの河内屋羽右衛門、最初に捕縛されたのが地蔵になっている。
板倉勝重(1545~1624)と板倉重宗(1586または1587~1656/陽暦1657)の京都所司代在職時の逸話を集めた『板倉政要』では、被害者が届け出たところ、地蔵以外に怪しい者はいなかったとして訴えを却下、犯人が油断して盗品を賣りに出したので逮捕されたことになっている。

しばられ地蔵|南蔵院 公式ホームページ|大岡裁きで有名なおじぞうさまです|

寅さん、両さん、翼くんも葛飾と縁があるのか。葛飾の名物は団子だけじゃなく、どら焼きもある。
満願どら焼き
tweet

葛飾には「しばられ地蔵」があるらしい。
これは「大岡越前」で有名だが、もとは包公の「石碑」という故事がもとになっているらしい。
包拯(包公、包青天)T-CupBlog
tweet

T-CupBlog
しばられ地蔵

Y!Blog
包拯(包公、包青天)【人物】
『江戸の名奉行 大岡越前逸話集』(別冊歴史読本特別増刊、新人物往来社、1994)

参考になるHP
『鬼平犯科帳』Who's Who

関連語句
大岡越前 世界史 地蔵

『必殺仕事人V』第25話は壇ノ浦の合戦から600年?

2011-06-28 19:08:00 | 享保~寛政の改革、エカテリーナIIとアントワネット
『必殺仕事人中村主水の秘密』170ページによると『仕事人V』第25話で、中村家の先祖が平清盛との説が出た。奉行所では壇ノ浦の合戦から600年を記念して奉行所の役人に金一封が出ていたらしい。それは将軍家が源氏の末裔だからということだが、松平・徳川家は足利家とともに源氏の末裔だったか。
しかし平家・北条家は桓武天皇の子孫で、源氏は清和天皇の子孫なので、源平の戦いは親戚同士の内輪もめであったわけだ。
Y!Japan 徳川家 源氏

結果として天下を獲った蘇我氏は武内宿禰の子孫で、平家も源氏も北条も足利も徳川家も天皇の子孫。そうなると武田、上杉、織田、豊臣は天皇家の子孫ではなかったのか。幕府を作った源、足利、徳川が天皇の子孫というのも奇妙な偶然だ。まるで『北斗の拳』で北斗神拳の傳承者が北斗宗家の血を引く者だったのと似ている。予定調和という感じもする。

さて、壇ノ浦の合戦は1185年なので600年後は1785年である。
『仕事人V』の事実上の第1話である『仕事人意外伝』は1843年から1844年までの話で、60年近くも開きがある。
1844年は壇ノ浦の合戦から660年近く経過した時代だ。
また、映画『ブラウン館の怪物たち』の時代設定は慶喜が将軍になった時代で1866年末か1867年初めとすると、壇ノ浦の合戦から680年余り経過しており、もはや700年に近い。
壇ノ浦から700年後は1885年で、秩父事件の翌年である。
『仕事人V』の時代設定が1845年すると壇ノ浦から660年後、1865年とすると壇ノ浦から680年後である。

ここで壇ノ浦から600年以降の時代と必殺シリーズの関係を考えてみる。

壇ノ浦から600年後:1785年
壇ノ浦から602年後:1787年、長谷川平蔵が火付盗賊改方長官に
├→この間、主水が長谷川平蔵と出会う?(『三日殺し軍団』)
壇ノ浦から610年後:1795年、長谷川平蔵没
壇ノ浦から620年後:1805年
壇ノ浦から630年後:1815年
壇の浦から634年後:1819年、主水が蘭商館から表彰される(『旋』)
壇ノ浦から635年後:1820年、『裏か表か』『仕事人2007』の主水が活動
壇ノ浦から640年後:1825年、徳川家定誕生の翌年
壇ノ浦から643年後:1828年、シーボルト事件(~1829)
壇ノ浦から644年後:1829年┐
壇ノ浦から645年後:1830年├『主水死す』における「20年前」
壇ノ浦から646年後:1831年┘
壇ノ浦から650年後:1835年、ハレー彗星接近、『激闘編』の時代か
壇ノ浦から655年後:1840年
壇ノ浦から656年後:1841年、家斉没(『風竜』)、鳥居が南町奉行に
壇ノ浦から657年後:1842年、アヘン戦争終結(『アヘン戦争』)
壇ノ浦から658年後:1843年、『意外伝』の舞台(~1844年)
壇ノ浦から659年後:1844年、鳥居奉行失脚(『江戸警察』)
壇ノ浦から660年後:1845年、鳥居が丸亀藩に送られる
壇ノ浦から664年後:1849年、葛飾北斎没(『主水死す』)
壇ノ浦から665年後:1850年、『主水死す』で描かれた時代
壇ノ浦から666年後:1851年、水野忠邦没(『主水死す』)
壇ノ浦から668年後:1853年、黒船来航(『仕留人』)
壇ノ浦から669年後:1854年、再び黒船来航(『仕留人』)
壇ノ浦から670年後:1855年、京都御所修復
壇ノ浦から675年後:1860年、桜田門外の変(『大老殺し』)
壇ノ浦から678年後:1863年、清河八郎が浪士隊を結成(『横浜異人屋敷』)
壇ノ浦から680年後:1865年
壇ノ浦から681年後:1866年、年末に慶喜が将軍に(『ブラウン館』)
壇ノ浦から682年後:1867年
壇ノ浦から683年後:1868年、鳥羽・伏見の戦い

Yahoo!Blog
6月30日の午前、深夜から早朝までYahoo!のメンテナンスでメールやブログが使えなくなるらしい。

『葵 徳川三代』第17回「千姫婚礼」では家康が豊臣の亜孫を名乗っていたのが、系図を書き替えて源氏の子孫を名乗ったことになっている。淀は家康を「内府殿」と呼んでいる。
『葵 徳川三代』では片桐且元を小林稔侍が演じたが、『江~姫たちの戦国~』では三田村邦彦が演じている。テレ朝で家光を演じた三田村邦彦が今回は豊臣の家臣を演じている。

中村主水の年齢(演じた当時の藤田まことの年齢と同じか5歳下)

2011-06-15 03:23:00 | 天保~幕末前夜
Y!Blog
文政の中村主水年齢変遷(演じた当時の藤田まことと同い年か5歳年下)
天保~嘉永の中村主水年齢変遷(演じた当時の藤田まことと同い年か5歳年下)

参考のために、文政の中村主水が活動していたと思われる『仕置人』の推定年齢の推移と並べてみた。
『仕置人』の時代設定が1818年と假定し、中村主水の劇中の年齢が40歳か35歳とした。35歳の場合、この主水は1780年代生まれになり、他の必殺シリーズの天保の主水(1780年代~1790年代生まれ)とほぼ同世代になる。
この表では一番下の数字になる主水の年齢の上限は劇中の主水の推定年齢である。
1991年放送の『香港・マカオ』に関しては劇中で江戸時代を150年前としているので、単純に1991年から150年前の1841年にした。劇中で秀がマカオの歴史について語った台詞があり、そこで西暦何年以降か類推できるかも知れないが、これは記憶にない。いずれDVDで確認したい。

「マカオ自由港宣言」の成立の宣言は1845年当時なので、1845年の主水の推定年齢も表記した。

Y!Blog
仕事人・秀の年齢(『香港・マカオ』6種類想定)

Y!Japan マカオ 1845

劇中の主水の年齢が、藤田まことの出演当時の年齢と一致すると假定した場合、最も「年上」になるのは『仕事人2007』の主水で、1820年で74歳とすると1746年または1747年生まれで、家重の時代に生まれたことになる。この場合、長谷川平蔵が火盗改の長官だった時期に主水は40代だったことになり、『三日殺し軍団』の設定に合う。

続き
Y!Blog
幕末
幕末の中村主水年齢変遷(演じた当時の藤田まことと同い年か5歳年下)

江戸時代綜合
中村主水年齢変遷(演じた当時の藤田まことと同い年か5歳年下)

別の基準
Y!Blog
中村主水年齢変遷(文政、天保、幕末3基準、江戸時代後期のみ)
中村主水年齢変遷(1820年、1840年、1860年で満40歳の場合、数え年と併記)

この「文化・文政、天保~嘉永、幕末」の3基準では、『仕置人』(文化・文政年間の場合)の主水と『仕事人2007』の主水は「同一人物」になるが、「主水を演じた当時の藤田まことの年齢と同い年か5歳年下」という基準では親子ほども年齢が違ってくる。
同様に「文化・文政、天保~嘉永、幕末」の3基準では『仕置屋』(天保の改革の時代の場合)の主水と『オール江戸警察』または『主水死す』の主水は「同一人物」になるが、藤田まことの年齢を基準にすると、『仕置屋』の主水と『主水死す』の主水は干支の一回り以上、年齢が離れていたことになる。同様に『仕置屋』の主水と『江戸警察』の主水は15歳年が離れているので、『仕置屋』の主水が南町奉行所に異動したときに『江戸警察』の主水が南町奉行所で20年以上(主水いわく「23年」)の最古参だったことも納得できる。
なお、『江戸警察』は1990年の作品で、主水が北町から南町奉行所に移った『必殺仕置屋稼業』は1975年の作品なので、現実の社会では15年経過していた。

T-CupBlog
中村主水年齢変遷(文化・文政、天保~嘉永、幕末3基準)

T-Cup掲示板
中村主水年齢変遷(元禄から幕末まで20年間隔で40歳基準9種類)
天明~寛政前後の中村主水推定年齢変遷(演じた当時の藤田まことと同い年か5歳年下)
文政の中村主水年齢変遷(演じた当時の藤田まことと同い年か5歳年下)
天保~嘉永の中村主水年齢変遷(演じた当時の藤田まことと同い年か5歳年下)
幕末の中村主水年齢変遷(演じた当時の藤田まことと同い年か5歳年下)

関連語句
仕事人2007 中村主水 中村主水年齢 

キャンディーズのCD

2011-06-08 18:24:00 | 21世紀~未来
価格2000圓の『GOLDEN☆BEST キャンディーズ コンプリート・シングルコレクション』が出る日なので地元のレコード屋(CDも音の記録だからレコードの一種である)に行った。新譜の棚にはなくて、店の人に「今日、キャンディーズのベスト盤が出ているはずですが」と訊くと店の人は歌謡曲の棚から2002年に出たベスト盤を見せてくれた。これは3000圓弱。2000圓なら買えるが、3000圓だと苦しい。
この日は買わずに帰ったが、いずれ新作ベスト盤を購入するつもり。
このレコ屋の主人はキャンディーズのベスト盤新規發賣の情報を仕入れていたのかどうか疑問だ。