3箇月と11日遅れたが、2013年5月5日で『ドカベン』の山田太郎が何歳になったかまとめてみる。
1958年生まれ→1974年16歳→2013年55歳
原作で山田太郎が明訓高校に入った当時、山田世代は1974年度で高校1年だった。
この時、山田太郎は1974年5月5日で16歳、逆算すると1958年5月5日生まれで、2013年の誕生日で55歳。
原辰徳(はらたつのり、1958年7月22日~)は2箇月半年下。
初登場時の土井垣は1974年当時18歳とすると1956年生まれ。
1959年生まれ→1975年16歳→2013年54歳
高1夏の甲子園が終わった時、山田太郎は野村克也がプロ22年目だと言っていたのでこの時点で時代は1975年に移っており、山田太郎は1959年生まれで、2013年で54歳。ここから山田世代とのび太世代が重なる。
1960年生まれ→1976年16歳→2013年53歳
高1秋の神奈川大会の時は1976年になっており、山田太郎は1976年当時
16歳、1960年生まれで、2013年で53歳。
1961年生まれ→1977年16歳→1978年17歳→2013年52歳
高1秋の関東大会の時に時代が1977年に移っており、山田太郎は当時16歳で、1961年生まれで、2013年には52歳になっている。
この1961年生まれの山田太郎の活躍は高2春センバツまで描かれた。
1961年度生まれの元野球選手では
香川伸行(かがわのぶゆき、1961年12月19日~)がいる。
山田高1秋の時、3年生の土井垣が日ハムから指名され、土佐丸高校の犬養小次郎が南海ホークスから指名された。両者は1977年当時18歳とすると1959年生まれ。徳川明訓編後期の山田太郎と「同い年」になっていた。
高2春のセンバツの途中から夏の予選の途中まで時代が1978年になっており、山田太郎は1978年5月5日で17歳になったとすると、やはり1961年生まれで、2013年では52歳。
1962年生まれ→1979年17歳→2013年51歳
高2夏の神奈川予選では途中から1979年になっており、山田太郎は1979年当時17歳であるから1962年生まれ。2013年で51歳。
これは高2夏の甲子園で弁慶高校に敗れるまで続く。
1963年生まれ→1980年17歳→2013年50歳
弁慶高校に敗れ、土井垣が19歳(1960年生まれ)で日ハムに入り、太平監督体制になった時は1980年。山田太郎は1980年当時17歳で1963年生まれ。2013年で50歳。この山田は『ドカベン』無印の終盤、1981年の春センバツで高3になり、同年5月5日に18歳になった。
『大甲子園』の場合、山田太郎が18歳になったのは1982年から1987年まで幅がある。
1964年生まれ→1982年18歳→2013年49歳
1965年生まれ→1983年18歳→2013年48歳
中西球道の奪三振記録(『大甲子園』)参照。
山田太郎が1965年生まれの場合、古田敦也とタメ年。
1966年生まれ→1984年18歳→2013年47歳
『大甲子園』――明訓×室戸の前後参照。
1967年生まれ→1985年18歳→2013年46歳
清原和博とタメ年。桑田真澄は1968年4月1日生まれで同学年。山田太郎が1967年5月5日生まれだと岩鬼正美は1968年4月1日生まれで桑田真澄と同い年。
1985年――『大甲子園』『クライマーズ・ハイ』『ドラえもん』参照。
1968年生まれ→1986年18歳→2013年45歳
1969年生まれ→1987年18歳→2013年44歳
『大甲子園』単行本初刊の時期参照。
1973年生まれ→1991年18歳→2013年40歳
『ドカベン(番外編)新潟明訓対神奈川明訓』の山田太郎は1991年当時18歳で1973年生まれ。
2013年5月5日で40歳になった。
同学年の小林幹英は1974年の早生まれで、岩鬼と同い年。
1973年生まれのイチローが同学年。
1990年~93年――『ドカベン(番外編)新潟明訓×神奈川明訓』『よみがえれ侍』参照。
1976年生まれ→1994年18歳→2013年37歳
一番「年下」なのは『ドカベン プロ野球編』以降の山田太郎で昭和51年(西暦1976年)生まれの37歳である。岩鬼正美は昭和52年4月1日生まれなので36歳である。
城島健司が同世代。
土井垣は1974年生まれなので、松井秀喜と同い年で、無印で土井垣が初登場した時に『プロ編』の土井垣が生まれたことになる。
岩田鉄五郎は1923年生まれなので2013年で90歳。
藤村甲子園は1954年5月5日生まれなので2013年で59歳、2014年で還暦。
2013年5月5日、山田太郎は何歳になったか - teacup.ブログ“AutoPage”
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「ドカベン」の初期の原作の山田太郎は1974年に明訓高校に入ったので
2013年5月5日で55歳。「ドカベン プロ野球編」以降の山田太郎は18歳若返って1976年5月5日生まれになり、2013年5月5日で37歳。
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水島新司は梶原一騎の「巨人の星」に対抗して「現実的」な野球漫画を描こうとして「ドカベン」を始めたらしいが、時代設定や登場人物の年齢などに関しては梶原漫画より水島漫画の方が滅茶苦茶であり、荒唐無稽さでは水島漫画は梶原漫画を超えたとも言える。
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関連語句
山田世代年表(Y!Blog)
参照
星飛雄馬、花形満、山田太郎、土井垣将の年齢推移
『ドカベン』単行本初刊年データ
山田太郎年齢変遷
Y!Blog
山田太郎年齢変遷II(各基準別)
『ドカベン』明訓編、単行本初刊の時期について追加
『大甲子園』単行本初刊の時期
中西球道の奪三振記録(『大甲子園』)
2010年5月5日、藤村甲子園と山田太郎は何歳か
2011年、星飛雄馬と山田太郎は何歳か