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必殺SP『横浜異人屋敷』で主水は南町奉行所勤務22年

2011-09-30 23:09:00 | 幕末

必殺SP『横浜異人屋敷』で中村主水(演:藤田まこと)は南町奉行所勤務22年。

時代設定は1863年、清河八郎(演:滝田栄)が浪士隊を結成した年。
この年は主水が北町から南町奉行所に移動してから21~22年後。
すると主水が南町奉行所に異動したのは1841年または1842年。
『必殺仕置屋稼業』で主水が北町から南町に異動したのが鳥居耀蔵の南町奉行就任前後とすると、『仕置屋』の主水と『横浜異人屋敷』の主水は「同一人物」である。

なお、放送時期で言うと『横浜異人屋敷』は1990年放送。22年前は1968年。
『必殺仕掛人』は1972年、『必殺仕置人』は1973年放送だから1968年当時はまだ始まっていない。

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必殺SP『横浜異人屋敷』で中村主水は南町奉行所勤続22年

『水戸黄門』関連書籍

2011-09-30 02:05:00 | 書籍&網頁資料
バラエティ番組に苛立つよりは「水戸黄門」のシュールさを笑う方が健康にも良いのだが - ドーナツの真ん中 - Yahoo!ブログ

この記事にある「シュール」は「超現実的」という意味であろう。
1964年の東京五輪当時に30分番組の『水戸黄門』があったようだが、それは月形龍之介が主演のドラマであろう。

この記事にこういうコメントがある。ハンドルネームは「小京都」氏 のようだ。

よく「副将軍なんて役職はなかった」とか「水戸光門(原文ママ)は全国を旅なんかしちゃいない」とか「水戸光國(原文ママ)は悪人だった」とかネタばらしみたいなミニ知識が本に載っていますが、今時、こんな活劇を信じてる人間なんているはずもありませんから、視聴者はそんな嘘は百も承知で印籠を出すシーンを待ち続けていたと思います。
最近は大河ドラマくらいしか時代劇は見ませんが、打ち切りとなると勿体ないような、そして淋しい気になります。
2011/9/8(木) 午前 2:58 [ 小京都 ]


ここで小京都氏が言う本は例えばこういう物であろう。

歴史への招待・水戸黄門漫遊せず
トリビアの泉~へぇの本~VI』(2004年3月24日第1刷)
歴史の意外な真相』(アントレックス、2009年)
知らないほうが幸せな話』(雑学活脳研究会、アントレックス、2010年)
歴史ドラマの大ウソ

それから『水戸黄門は “悪人”だった』という本もあるようだ。

なお、小京都氏が「光門」「光國」と書いているのは原文のまま。
藤堂明保の『学研漢和大字典』によると「光」guangは「黄」huangと同系のようで、「圀」は「國(>国)」の異体字である。

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「水戸黄門の旅、最大の遠出は鎌倉」(『トリビアの泉』より)
『歴史ドラマの大ウソ』で言及されている光圀と光貞の年齢

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徳川綱吉の時代、綱吉から吉宗へ(『水戸黄門』『忠臣蔵』『ガリバー旅行記』)

『江~姫たちの戦国~』における茶々(淀)

2011-09-29 21:11:00 | 江戸時代初期、家康~秀忠~家光~家綱
小説『江』では家康が秀忠に将軍の座を譲ったとき、淀は激怒し、「われらに甘さがあったのやもしれぬ。やはり、武力でもって天下人の座を奪い返すほどの気構えでおらねばならなかったのじゃ」「お江……そなたに手立てはなかったものか……」と嘆いた。

しかし、淀が豊臣の妻として生きていたように、江も徳川の妻として生きていたわけで、江が関ヶ原や大坂夏の陣を防げなかったように、淀も朝鮮出兵や秀次への処分をふせぐことはできていない。
市ですら、信長が浅井に送りこんだスパイのような立場だったが、よく言われる「小豆の袋」すらも市は送っていない。嫁いだ先の家のために戦うのが戦国の姫であった。
戦国時代の女がいくら「戦は嫌」と言っても戦は起きたのだし、淀に至っては戦をしてでも天下を奪還しようとして自滅した。

小説『江』で淀は自害の際、「母上、申し訳ありませぬ、私は浅井の血脈を遺すことができませんでした、されどあとは必ずや、江が……」と心の中で市に詫びた。
では、淀は浅井の血脈を残すにはどうすればよかったのか。

何もしなければよかったのである。
家康が征夷大将軍になろうが、豊臣の石高が減ろうが、秀忠が第2代将軍になろうが、何も気にせず、秀頼や千姫と生活していればよかったのである。
そうすればいずれ秀頼と千姫の間に子供が生まれ、織田と豊臣と徳川という三傑の家の血が混ざりあい、豊臣家は江戸時代264年を外様大名として存続、あるいは紀伊徳川家との縁組もできて、現代まで豊臣と浅井の血は存続したはずである。

もともと豊臣の天下というのは、羽柴秀吉が織田家から暫定的に預かっていた政権を横取りした結果である。本能寺の変のあとの清洲会議で、秀吉は後継者として信長の孫・三法師を担ぎあげた。家康が秀頼の後見役を名乗りながら政権を奪ったのはその繰り返しである。
秀吉の失態は秀次と秀勝を死に追いやったことで、もし両名が生きていれば秀頼の後見人となって、淀にとっては家康より信頼できたはずだ。
浅井三姉妹は織田家の血も受け継いでいる。
もし淀と秀頼が徳川政権を承認して生き続けていれば、織田家の血を受け継いだ豊臣家が江戸の幕政に参加することも可能だったはずだ。

皮肉なことに明智光秀の明智家と織田信長の織田家、そして徳川家は今も存続している。
淀は結果として豊臣の存続でなく滅亡を選んだわけだが、それは結局、茶々が秀吉を親の仇として憎んでいたことに起因するのだろう。『江』第2話で秀吉との出会いの際に茶々が秀吉を「父・浅井長政の仇」と見なしたことから淀と秀吉の悲劇は始まっていた。

江が徳川の妻として浅井の血を残してくれることがわかった時点で、淀は(というよち茶々は)大坂城で豊臣家と心中することで浅井長政の仇を討ってしまったことになる。

なお、浅井の血脈は江の息女・豊臣完子の子孫・貞明皇后(大正天皇の皇后)を通じて今の皇室に受け継がれている。
江と徳川秀忠の血は家光から家継までで途絶え、江の子孫は前夫・秀勝との間に生まれた完によって受け継がれたというのも皮肉ではある。

完の父・秀勝は秀吉の姉の子なので、秀吉の直系ではないが、秀吉を生んだ木下家の血を受け継いでいる。江の子孫も信長の直系でないが信長の妹の血を受け継いでいる。今の皇室は織田と豊臣の血を継承しているわけだ。
近代になって徳川家と皇室の間で縁組があったかどうかわからないが、もしあれば三傑の血が混ざっている可能性がある。

家康と秀忠が秀頼と淀に挨拶したとき、淀が秀忠に「あの子(江)は気が強いように見えて傷つきやすいので、よろしく頼む」と言っていた。姉というより母親のような言い方になっていた。
千姫婚礼での3姉妹再会は、寸前までは豊臣、京極、徳川の立場での再会を前にした緊張があったが、3人が会ってみると、身重で走る江に淀が「走ってはならぬ」と注意するなど、互いに気を使う昔どおりの浅井3姉妹に戻っていた。

もし、関ヶ原のあと、秀頼と高台院と豊臣家臣が組んで淀を追放、監禁し、徳川の要求を受け入れていれば、夏の陣で豊臣が滅ぶこともなかった。『おんな太閤記』で豊臣が劣勢となったとき、淀は「みな北政所のせいじゃ。家康と組んで政所は豊臣を潰すおつもりか」と怒っていたが、結果として豊臣を滅ぼしたのは淀である。
豊臣と徳川はもともと織田の家臣同士である。秀頼は徳川の要求に応じる姿勢をたびたび見せたが淀が妨害し、豊臣を滅ぼすこととなった。豊臣家が淀を早いうちから「他者」として排除していれば豊臣も外様大名として明治維新まで存続できただろう。

一方の春日局も問題だ。江に向かって「徳川が豊臣を滅ぼしてくれることを信じている」と言っていた。しかし淀も江も秀吉を親の仇として憎んでいて、その後、豊臣の時代に嫌々ながら適応していった身である。江は秀吉の最期まで秀吉を恨む台詞を本人に言っていた。やたらおしゃべりな江がそれをお福に言わなかったのはまことに不可解だが、秀吉没後、江にとっての豊臣が姉・淀と甥・秀吉とむすめ・千のいる家になったこともあるだろう。それを考えずに平気で豊臣への恨み事を言うお福はさすがに江より年下の「子供」だが、上野樹里より17歳年上の富田靖子が演じているので、いっそう嫌味な女に見えた。

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江~姫たちの戦国~ 淀

『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』の時代設定

2011-09-29 06:40:00 | 延宝~貞享~元禄~宝永~正徳、綱吉前後
水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』は佐野浅夫主演の『水戸黄門』のスピンオフ作品。

リアルタイムで観ていたときは時代設定がよくわからなかった。
ネットで調べると大和郡山藩の藩主が本多忠常である。
本多忠常は1661年生まれだから光圀が水戸藩主になった年に生まれたことになる。
本多忠常が郡山藩藩主になったのは1695年で、没年は綱吉と同じ1709年。

すると『水戸黄門外伝』の時代設定は1695年から1700年までであろう。
1695年とすると、放送当時から300年前である、
もしお銀が由美かおるより300歳年上であれば1650年生まれで、本多忠常より10歳近く年上になる。
Google 水戸黄門 佐野浅夫 時代設定

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佐野浅夫版『水戸黄門』再放送(2009年6月24日)
『水戸黄門』放送期間42年と光圀隠居10年(東野版、西村~佐野版、石坂~里見版1、里見版2で4分割)
『水戸黄門』におけるお銀、お娟推定年齢変遷・その2
『水戸黄門』における弥七、八兵衛、お銀、お娟等の変遷

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必殺シリーズの出演者が徳川家の武士を演じた例

2011-09-29 03:27:00 | 江戸時代初期、家康~秀忠~家光~家綱
緒形拳は足利貞氏、豊臣秀吉を演じた。

必殺シリーズの主演者が江戸時代の徳川家の将軍または藩主などを演じた例を挙げる。


○山村聰
●音羽屋半右衛門役(『必殺仕掛人』)…必殺シリーズ
保科正之(『服部半蔵 影の軍団』)…家光の弟

○藤田まこと
●中村主水(『必殺仕置人』)…必殺シリーズ
徳川家康(『大奥 第一章』)
徳川光圀(『徳川風雲録 八代将軍吉宗』)

○三田村邦彦
●かざり職の秀(『必殺仕事人』)…必殺シリーズ
徳川家光(『将軍家光忍び旅』)
徳川治貞(『殿さま風来坊隠れ旅』)
徳川慶喜(NHK大河『翔ぶが如く』)

○中条きよし
●三味線屋・勇次(『新必殺仕事人』)…必殺シリーズ
都築安房守兼次(『将軍家光忍び旅』)…家光の兄の設定

○中村雅俊
●惣太(『必殺渡し人』)…必殺シリーズ
徳川吉宗(『徳川風雲録 八代将軍吉宗』)

○京本政樹
●組紐屋の竜(『必殺仕事人V』)…必殺シリーズ
徳川家光(『将軍家家光の乱心・激突!』)

○津川雅彦
●柳次(『必殺橋掛人』)…必殺シリーズ
徳川家康(NHK大河『独眼竜政宗』『葵 徳川三代』)

○西岡徳馬
●太田玄蕃頭(『必殺!5黄金の血』)…必殺シリーズ
徳川宗睦(『殿さま風来坊隠れ旅』)
徳川宗春(『暴れん坊将軍』第9部最終回)

○目黒祐樹
●同心・成川(『必殺仕事人・激突!』)…必殺シリーズ
松平聖二郎(『必殺仕事人』第6話)…将軍の弟

○滝田栄
●山田朝右衛門(『必殺仕事人・激突!』)…必殺シリーズ
徳川家康(NHK大河『徳川家康』)

○細川ふみえ
●徳川家定(『必殺!主水死す』)…必殺シリーズ


藤田まことが演じた家康は三河武士ながら尾張名古屋の方言を話していた。
『水戸黄門』第43部第11話でも三河の知立の人が名古屋風の方言を話していた。
『1リットルの涙』を見ると木藤亜也氏(1962~1988)の育った愛知県東部の豊橋では三河方言が使われ、本人は知立の病院に入院したことがあるようだが、江戸時代には知立ではすでに名古屋方言の影響を受けていたのだろうか。
東野英治郎は必殺シリーズの『春日野局』で葛飾北斎を演じたことがある。
必殺シリーズでは『必殺仕事人』第6話「主水は葵の紋を斬れるか?」で将軍の弟が、『必殺仕事人V旋風編』第6話 「主水バースになる」で名称不明の将軍が、『風雲竜虎編』第2話「将軍の初恋騒動!」で大御所・家斉が登場する。
『必殺!主水死す』では細川ふみえが家定を演じている。
『葵 徳川三代』では山田五十鈴が於大を演じたようだ(草笛光子は秀吉の正室・高台院を演じている)。
中条きよしは『将軍家光忍び旅』で家光の兄を演じた。家光の兄には長丸がいて、夭折したとされるが、中条きよしが演じた家光の兄がその長丸の「実は生きていた姿」なのか、別人なのかは不明。

藤田まことと津川雅彦が共に家康を、三田村邦彦と京本政樹が共に家光を演じている。
村上弘明はNHKの時代劇で柳生十兵衛を演じている。
山村聰が『影の軍団II』で演じた平賀源内は、『殿さま風来坊隠れ旅』では火野正平が演じた役になっている。

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