『宇宙戦艦ヤマト』に登場したイスカンダル星の放射能除去装置、コスモクリーナーDは今の日本、いや、世界に必要であろう。
スターシャは地球に放射能除去装置を与えるために、その装置を取りに来ることができる宇宙船の波動エンジンの設計図を地球人に授けようと考え、妹のサーシャが命と引き換えにそれを実行した(西暦2199年の話だから「実行する予定」と書くべきか)。
ただ、それなら放射能除去装置の設計図を直接地球に届ければいい話である。
これは『西遊記』についても言える。
「史実」では玄奘三蔵は佛教の学習のために長安から天竺に向かった。
しかし、『西遊記』では天竺の釋迦(人間としては紀元前に入滅しているので、劇中では佛である)は人間界の荒廃を嘆いて、三蔵真経を取りに来る僧侶を探すため、観世音菩薩を派遣した。しかし、それなら菩薩に三蔵の経を持たせて、菩薩が経を長安に届ければよかったはずである。
『西遊記』では、せっかく天竺から長安にやってきた菩薩が「手ぶら(三蔵の経を持っていなかった)」ため、玄奘三蔵法師が天竺に向かうこととなり、長安からついてきた從者2名(日テレ夏目雅子版の場合)は早くも殉職し、馬も竜に食われてしまい、玄奘は長安から同行した仲間がいない状態で、悟空、玉竜、八戒、悟浄と旅をする羽目になってしまった。
『西遊記』では釋迦の判断のせいで人間2名と普通の馬1匹が犠牲になってしまった。
放射能除去装置については柳田理科雄が『空想非科学大全』で検証している。
参考になるHP
宇宙戦艦ヤマト、放射能除去装置を取りに宇宙の果てに行くなら地球上で ...
Google 宇宙戦艦ヤマト 西遊記 問題
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『宇宙戦艦ヤマト』(作品解説I)
スターシャは地球に放射能除去装置を与えるために、その装置を取りに来ることができる宇宙船の波動エンジンの設計図を地球人に授けようと考え、妹のサーシャが命と引き換えにそれを実行した(西暦2199年の話だから「実行する予定」と書くべきか)。
ただ、それなら放射能除去装置の設計図を直接地球に届ければいい話である。
これは『西遊記』についても言える。
「史実」では玄奘三蔵は佛教の学習のために長安から天竺に向かった。
しかし、『西遊記』では天竺の釋迦(人間としては紀元前に入滅しているので、劇中では佛である)は人間界の荒廃を嘆いて、三蔵真経を取りに来る僧侶を探すため、観世音菩薩を派遣した。しかし、それなら菩薩に三蔵の経を持たせて、菩薩が経を長安に届ければよかったはずである。
『西遊記』では、せっかく天竺から長安にやってきた菩薩が「手ぶら(三蔵の経を持っていなかった)」ため、玄奘三蔵法師が天竺に向かうこととなり、長安からついてきた從者2名(日テレ夏目雅子版の場合)は早くも殉職し、馬も竜に食われてしまい、玄奘は長安から同行した仲間がいない状態で、悟空、玉竜、八戒、悟浄と旅をする羽目になってしまった。
『西遊記』では釋迦の判断のせいで人間2名と普通の馬1匹が犠牲になってしまった。
放射能除去装置については柳田理科雄が『空想非科学大全』で検証している。
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2036_46_45_44_43_42_41_40_39_38_37
2037_47_46_45_44_43_42_41_40_39_38
2038_48_47_46_45_44_43_42_41_40_39
2039_49_48_47_46_45_44_43_42_41_40
2040_50_49_48_47_46_45_44_43_42_41
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2008/7/21
2011/7
Y!Blog
野比のび太年齢変遷(1990年代生まれの場合)
関連語句
のび太が毎年 [1] [2]
1.光圀の全国行脚(講談から1960年代前後の映画まで)
実際の光圀は関東からほとんど出ていない。日本各地の問題を水戸の長老が解決するというのは、地方自治を否定している。確かに会社では内部の人間ではできない改革をするため、外部から幹部を呼ぶことがあるが、それを日本の藩でやるなら藩主を他の藩からスカウトすればいい話だ。光圀はどこでも短期に滞在するだけで、すぐその場を去ってしまう。地元では不正を防ぐ努力がおこなわれておらず、光圀一行が去ると同じ問題が起きる。世直し旅が何度もおこなわれているということは、何度やっても効果がないということである。
2.印籠のパターン化(テレビ『水戸黄門』東野英治郎主演時代の脚色)
視聴者が印籠を毎回見たがるようになり、徳川の権威で事件を解決する前近代的かつ権威主義的な演出が毎度繰り返されることとなった。中央の権力者が地方政治に介入し、徳川家の家紋の以降で相手を平伏させる手段は民主的ではない。民衆が何もせず強い権力者が何とかしてくれるのを待つだけという心理が国民の間に育ってしまった可能性もある。
「水戸黄門症候群」「水戸黄門待望論」または「水戸黄門幻想」である。
また、視聴者の多くが高齢であることが仇となって前後編ができなくなり、毎週1時間ごとに話が独立して、光圀一行が各地を訪問→事件→印籠→次の宿場へ移動というベルトコンベア式のパターンが繰り返された。スタッフは数話に渡る長いエピソードを作れなくなってしまった。忍び旅の一行が毎回印籠をひけらかしていては忍びの意味がない。実際に光圀の偽物が出る話では、光圀が町人姿で旅をしているという情報が光圀の訪問先に知られていた。
本来、あのような視察の旅は特定の個人が一度だけやれば充分である。あとは使者が将軍に各地の状況を報告し、あとは各地で不正を防ぐ構造改革をすればよかった話だ。事件が起きるたびに長老を派遣し、それが40回以上も続くという異様なシリーズとなった。これでは世直し旅にはむしろ効果がないことがはっきりしている。何度世直しをしても同じ問題が各地で起きるからだ。
『遠山の金さん』も同様で、遠山金四郎が桜の彫り物で事件を解決する手法は一度だけで充分である。警察署長が自ら街を歩いて捜査、聞き込みをするなど、よほどろくな人材が警察にいなかったということを示しているし、裁判官が目撃者を兼ねるなどというのは、通常の司法制度が破綻した場合の非常手段である。それを一週間に一度の番組で毎回繰り返すと、事件のたびに奉行が町人に化けて捜査することになり、これでは江戸じゅうに「遊び人の金さん」の正体が知れ渡ってしまう。これが映画であれば、金四郎が彫り物を人に見せるのは辞職を覚悟した一生に一度の大博打ということで納得できるのである。
3.由美かおるのお風呂ばかりが話題になる低俗化
テレビの性質上、視聴率が重要になり、1時間番組(実質50分)を通して観るのでなく、目当ての場面だけ観る人が増え、「印籠」や「女優の入浴」などの特定のシーンで視聴率がアップしたらしい。視聴者はテレビの前で脚本を理解せず、思考停止状態となり、変わらないパターンを求めるだけとなった。これなら同じ動画を何回も再生して観ているのと同じ。
「視聴率低下は由美かおるの入浴シーンがなくなったせい」という意見があるが、視聴率低下の原因をあれこれ推察しても何も事態は変わらない。由美かおるは1950年生まれで、『巨人の星』の高校野球編の星飛雄馬(1966年で16歳)と同い年で、2010年で還暦を迎えた。60歳の誕生日直前で『水戸黄門』から「卒業」したわけで妥当な判断である。
『水戸黄門』視聴率低下の原因が「入浴シーン」のなくなったことであるなら、それは単なる原因の分析である。ではどうすべきか。「入浴シーンを復活させて視聴率を上げる」のであればもし、『ハンチョウ』などの現代ドラマを作っている側が「『水戸黄門』を打ち切って自分たちのドラマを放映したほうがましだ」と考えるだろう。『水戸黄門』を観ている人が全員「女優の入浴」を目当てにしているのなら、脚本家のメッセージは一切傳わらない。現代ドラマのほうがましだ。
実際には『水戸黄門』スタッフは由美かおるの変わりに雛形あきこを起用し、棒術で光圀を護衛する役目とし、入浴シーンは原則なしとした。それで視聴率が10%のままでもスタッフはお風呂シーン復活でなくシリーズ打ち切りを宣言した。
健全な形に戻して惜しまれつつ終わらせる道をスタッフは選んだわけだ。その意味ではスタッフは視聴者に迎合でず、世のためになる番組にこだわったのだろう。
その意味では『水戸黄門』スタッフの判断は賞讃に価する。印籠の定番化からして、スタッフの意図に反した視聴者への迎合であった。『水戸黄門』のスタッフは反権力を目指しながら印籠という権威主義の象徴が定番になってしまった。これ以上、視聴者のせいで番組が汚されるなら、打ち切ったほうがいいという判断は納得できる。
なお、『水戸黄門』の視聴率が最高の40数%だったのは1979年であり、由美かおるが1986年にレギュラーになったときより7年前のことであった。
一方、『水戸黄門』の視聴率が初の一桁になったのは2008年で、由美かおる降板は2010年だから、やはりその前である。
1969年 TBSナショナル劇場で『水戸黄門』開始
1975年 第6部第2話で由美かおるが初のゲスト出演
1979年 第9部最終回で最高視聴率
___ (女性レギュラーは山口いづみ)
1986年 ┓由美かおるが「かげろうお銀」としてレギュラー参加
2001年 ┃由美かおるの役が「疾風のお娟」に変更
2008年 ┃視聴率が初めて一桁まで下落
___ ┣由美かおるがレギュラー出演
2010年 ┛由美かおるが降板
2011年 『水戸黄門』第43部を最後にシリーズ終了決定
由美かおるがレギュラーでなかった時期に最高視聴率を記録し、由美かおるがレギュラーだった時期に視聴率が一桁に落ちたのだから、視聴率低下は「由美かおる降板」とは関係ない。また『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』もシリーズ化されていない。むしろ由美かおるが参加しても視聴率低下には歯止めがかからなかったと見るべきだろう。
『水戸黄門』の視聴率が最高を記録したのは1978~79年の第9部で最高視聴率43.7%は第9部の最終回、1979年2月5日放送。
第9部では山口いづみ扮する志乃がレギュラーで、最終回のゲストは五大路子、伊吹吾朗。
4.スポンサーの影響力
民放にとってスポンサーが客であり、スポンサーにとって視聴者が客である。視聴率が下がるとスポンサーが手を引く。スタッフは内容より数字をあげることだけ考える。
『水戸黄門』の場合、古いファンが去って新しいファンが入れば視聴率増価の可能性もあったが、そうなる前にスポンサーが手を引いたようだ。パナソニックは家電メーカーで、10年後、20年後も新製品を買ってくれる人たちが大事な顧客である。先端家電メーカーにとって視聴者の多くが老人である番組は、よほど視聴率が高く限り、収益を保証してくれる作品にはならない。
「印籠シーン」や「女優の入浴シーン」といった個別のシーンだけが注目されるようでは、もはや「紙芝居」にもならない。早い話がただの写真と同じである。
スポンサーは『水戸黄門』を見ようとする視聴者に自社のCMを観てもらうために予算をテレビ局に提供し、テレビ局は制作意図とは別に「数字」を取れる場面を定番にする。テレビ時代劇の限界がそこにあった。
提供スポンサーにとって「印籠」や「入浴」シーンだけで視聴率が上がっても、CMで視聴率が上がらなければ意味がない。「印籠」のシーンでパナソニックの廣告を画面の端に出せば廣告効果もあるだろう。それができなければスポンサーが番組の打ち切りを望むのは当然であろう。
5.批判する人も観ないよりはましか
シリーズが長く続くと、俳優の年齢や仕事の都合で、キャスティングが変わり、「全国行脚」「老人光圀」「毎回印籠」という基本パターンは継承された。もともと『水戸黄門』全体を否定的に見る人は、キャスティングに関係なく、設定や脚本の変わらぬ基本パターンを理由にまだ批判するだろうし、基本パターンの支持者であったはずの旧来の『水戸黄門』ファンの多くは東野英治郎・西村晃の時代の過去の主演者のイメージを基準にするので、その後の配役の変更に馴染めない。それでいずれの場合であっても、今のを観なくなっている人が多くなっているのだろう。昔のキャスティングで『水戸黄門』をやるなら、東野英治郎と西村晃はすでに故人なので、過去の作品を再放送をする以外にない。新作を放送するなら基本パターンも破壊して、史実に近い『徳川光圀伝』(假)のような作品にする以外にない。
これは『暴れん坊将軍』に対する『八代将軍吉宗』のように主人公が同じだけの別の時代劇と解釋されるだろう。それなら『水戸黄門』とは別の時代劇を作って若い層をつかむのと同じだし、時代劇でなくても現代劇を放送して視聴率が上がればそれでいいことになる。
石坂浩二の水戸黄門は史実に近づける意図で作られたそうだが、『水戸黄門』全体を否定的に観る人からは、相変わらずの全国行脚の設定で、何も変わっておらず、また全国行脚の『水戸黄門』のファンは石坂浩二の光圀の細かい変化に拒絶反応を起こした可能性がある。
大野敏明氏は東野英治郎の時代からの『水戸黄門』の時代考証を批判しているが、番組としては批判しながらもしっかり見てくれる人のほうが有難い(感謝に値する)ことになる。
6.民主主義と地方自治を否定する番組
日本各地で不正、問題、事件が起きた場合、それは地元で解決し、地元の為政者と住民が10年、20年かけて不正を防ぐ努力をすることが必要だ。『水戸黄門』で光圀がやっている「世直し旅」は各地の問題を地元の人間が解決せず、外から来た旅行者が短期間に滞在しただけで悪事の首謀者たちを暴きだし、徳川の家紋を出してその首謀者たちを平伏させ、説教をして去っていく。ただ本当の悪事の首謀者が裁かれたかわからない。前水戸藩主である光圀のが他藩の内政へ干渉するのは越権行為であり、だから多くの場合、劇中の光圀は「藩侯にも仕上げるゆえ、厳しき沙汰があるものと覚悟いたせ」と言っている、要するに悪事を藩主に報告するだけである。これなら弥七やお銀のような隠密を各地に常駐させておく方が効率的である。
劇中では日本各地のどこでも何度も不正が繰り返され、そのたびに水戸老公がやってきて対症療法のような後始末をする結果となる。ただ、何度、旅が繰り返されても各地で不正は絶えない。地元では不正を防ぐ努力はなされず、何が起きても民衆はただ嘆くだけ。このようなドラマが人気だったのは、結局、現代人が主権者の自覚に欠けており、他力本願の精神を持っているからであろう。
『水戸黄門』は「権力の腐敗を民衆が正さず、もっと強い権力に頼る」「地域の問題を地元の人間が正さず、外部からの権力者に頼る」という話である。日本では毎年のように総理大臣がコロコロ変わっているが世の中がよくなっているようには見えない。これを地方自治に置きかえると知事や地方政治の幹部がコロコロ変わっても地域の問題が解決されないことと同じだ。『水戸黄門』の手法は地域の問題の根をもとから断つのでなく、表に出た不正の首謀者を罰することの繰り返し。それをやっているのは短期に滞在するだけの旅人である。
個別の地域では何度も不正が生じるが、地元では解決できず、不正が起きるたびに水戸黄門または江戸から水戸黄門に来てもらうだけである。
本来、地域の問題は地元に長く住んでいる住民と地元の為政者が10年、20年かけて解決すべきである。事件や騒動が起きるたびによそから助っ人を頼むという当事者能力の欠けた解決方法の繰り返しが時代劇の『水戸黄門』であった。
これが世間に受け入れられなくなったとしたら、日本人が現実を見るようになったということだろう。
8.映像が鮮明すぎる
なお、今の時代劇は映像が綺麗すぎて「俳優がカツラをかぶって和服を着て、それをカメラで撮影した」というのが見え見えであり、江戸時代や戦国時代を観ている気になれない。これは『水戸黄門』だけでなく他の時代劇にも言える問題で、時代劇全体が減っている理由にはなる。これは『水戸黄門』という番組だけの問題ではない。夜のシーンなど人物がまるで見えず、声しか聞こえない場合がある。その意味では『必殺仕事人2007』『~2009』は、いつもながら、光と影の使い方がよくできていた。
9.視聴率が理由でないならなぜシリーズ開始後に終了を決定したのか
TBSは『水戸黄門』を第43部で終わらせる決定を下したことについて、「視聴率が理由ではない」と言っていたが、それなら第43部が始まる直前にでも里見浩太朗や他の出演者に「今回が最終シリーズになる」と知らせればよかった。シリーズが始まってから決定というのでは、初めの第1話と第2話の視聴率の「低さ」(10%前後が「低い」かどうかは見方によるが)からスポンサーとテレビ局が中止を決定したと思われても仕方がないだろう。
里見浩太朗は『水戸黄門』『江戸を斬る』に出演し、『大岡越前』の最終回スペシャルにも出演したナショナル劇場の功労者である。スタッフはせめて第43部開始前に里見浩太朗に「場合によってはこれが最終シリーズになるかも知れない」と言っておくべきではなかったか。
10.第42部と第43部について
個人的には第41部まで出ていた原田・合田コンビが降板した段階で落胆した。それでもこれを楽しみにする視聴者もいるだろうし、重要なのは内容だと思って第42部を観たが、お娟の卒業が格之進の参加と同時期という時間軸のメチャクチャな設定に驚いた。これでは打ち切りになったほうがましである。
参考になるHP
「この紋所が」は浮世離れじゃ...日刊スポーツ (ブログ) - 2011年7月21日
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2011年7/20前後 7/25 7/27前後
関連語句検索:水戸黄門
実際の光圀は関東からほとんど出ていない。日本各地の問題を水戸の長老が解決するというのは、地方自治を否定している。確かに会社では内部の人間ではできない改革をするため、外部から幹部を呼ぶことがあるが、それを日本の藩でやるなら藩主を他の藩からスカウトすればいい話だ。光圀はどこでも短期に滞在するだけで、すぐその場を去ってしまう。地元では不正を防ぐ努力がおこなわれておらず、光圀一行が去ると同じ問題が起きる。世直し旅が何度もおこなわれているということは、何度やっても効果がないということである。
2.印籠のパターン化(テレビ『水戸黄門』東野英治郎主演時代の脚色)
視聴者が印籠を毎回見たがるようになり、徳川の権威で事件を解決する前近代的かつ権威主義的な演出が毎度繰り返されることとなった。中央の権力者が地方政治に介入し、徳川家の家紋の以降で相手を平伏させる手段は民主的ではない。民衆が何もせず強い権力者が何とかしてくれるのを待つだけという心理が国民の間に育ってしまった可能性もある。
「水戸黄門症候群」「水戸黄門待望論」または「水戸黄門幻想」である。
また、視聴者の多くが高齢であることが仇となって前後編ができなくなり、毎週1時間ごとに話が独立して、光圀一行が各地を訪問→事件→印籠→次の宿場へ移動というベルトコンベア式のパターンが繰り返された。スタッフは数話に渡る長いエピソードを作れなくなってしまった。忍び旅の一行が毎回印籠をひけらかしていては忍びの意味がない。実際に光圀の偽物が出る話では、光圀が町人姿で旅をしているという情報が光圀の訪問先に知られていた。
本来、あのような視察の旅は特定の個人が一度だけやれば充分である。あとは使者が将軍に各地の状況を報告し、あとは各地で不正を防ぐ構造改革をすればよかった話だ。事件が起きるたびに長老を派遣し、それが40回以上も続くという異様なシリーズとなった。これでは世直し旅にはむしろ効果がないことがはっきりしている。何度世直しをしても同じ問題が各地で起きるからだ。
『遠山の金さん』も同様で、遠山金四郎が桜の彫り物で事件を解決する手法は一度だけで充分である。警察署長が自ら街を歩いて捜査、聞き込みをするなど、よほどろくな人材が警察にいなかったということを示しているし、裁判官が目撃者を兼ねるなどというのは、通常の司法制度が破綻した場合の非常手段である。それを一週間に一度の番組で毎回繰り返すと、事件のたびに奉行が町人に化けて捜査することになり、これでは江戸じゅうに「遊び人の金さん」の正体が知れ渡ってしまう。これが映画であれば、金四郎が彫り物を人に見せるのは辞職を覚悟した一生に一度の大博打ということで納得できるのである。
3.由美かおるのお風呂ばかりが話題になる低俗化
テレビの性質上、視聴率が重要になり、1時間番組(実質50分)を通して観るのでなく、目当ての場面だけ観る人が増え、「印籠」や「女優の入浴」などの特定のシーンで視聴率がアップしたらしい。視聴者はテレビの前で脚本を理解せず、思考停止状態となり、変わらないパターンを求めるだけとなった。これなら同じ動画を何回も再生して観ているのと同じ。
「視聴率低下は由美かおるの入浴シーンがなくなったせい」という意見があるが、視聴率低下の原因をあれこれ推察しても何も事態は変わらない。由美かおるは1950年生まれで、『巨人の星』の高校野球編の星飛雄馬(1966年で16歳)と同い年で、2010年で還暦を迎えた。60歳の誕生日直前で『水戸黄門』から「卒業」したわけで妥当な判断である。
『水戸黄門』視聴率低下の原因が「入浴シーン」のなくなったことであるなら、それは単なる原因の分析である。ではどうすべきか。「入浴シーンを復活させて視聴率を上げる」のであればもし、『ハンチョウ』などの現代ドラマを作っている側が「『水戸黄門』を打ち切って自分たちのドラマを放映したほうがましだ」と考えるだろう。『水戸黄門』を観ている人が全員「女優の入浴」を目当てにしているのなら、脚本家のメッセージは一切傳わらない。現代ドラマのほうがましだ。
実際には『水戸黄門』スタッフは由美かおるの変わりに雛形あきこを起用し、棒術で光圀を護衛する役目とし、入浴シーンは原則なしとした。それで視聴率が10%のままでもスタッフはお風呂シーン復活でなくシリーズ打ち切りを宣言した。
健全な形に戻して惜しまれつつ終わらせる道をスタッフは選んだわけだ。その意味ではスタッフは視聴者に迎合でず、世のためになる番組にこだわったのだろう。
その意味では『水戸黄門』スタッフの判断は賞讃に価する。印籠の定番化からして、スタッフの意図に反した視聴者への迎合であった。『水戸黄門』のスタッフは反権力を目指しながら印籠という権威主義の象徴が定番になってしまった。これ以上、視聴者のせいで番組が汚されるなら、打ち切ったほうがいいという判断は納得できる。
なお、『水戸黄門』の視聴率が最高の40数%だったのは1979年であり、由美かおるが1986年にレギュラーになったときより7年前のことであった。
一方、『水戸黄門』の視聴率が初の一桁になったのは2008年で、由美かおる降板は2010年だから、やはりその前である。
1969年 TBSナショナル劇場で『水戸黄門』開始
1975年 第6部第2話で由美かおるが初のゲスト出演
1979年 第9部最終回で最高視聴率
___ (女性レギュラーは山口いづみ)
1986年 ┓由美かおるが「かげろうお銀」としてレギュラー参加
2001年 ┃由美かおるの役が「疾風のお娟」に変更
2008年 ┃視聴率が初めて一桁まで下落
___ ┣由美かおるがレギュラー出演
2010年 ┛由美かおるが降板
2011年 『水戸黄門』第43部を最後にシリーズ終了決定
由美かおるがレギュラーでなかった時期に最高視聴率を記録し、由美かおるがレギュラーだった時期に視聴率が一桁に落ちたのだから、視聴率低下は「由美かおる降板」とは関係ない。また『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』もシリーズ化されていない。むしろ由美かおるが参加しても視聴率低下には歯止めがかからなかったと見るべきだろう。
『水戸黄門』の視聴率が最高を記録したのは1978~79年の第9部で最高視聴率43.7%は第9部の最終回、1979年2月5日放送。
第9部では山口いづみ扮する志乃がレギュラーで、最終回のゲストは五大路子、伊吹吾朗。
4.スポンサーの影響力
民放にとってスポンサーが客であり、スポンサーにとって視聴者が客である。視聴率が下がるとスポンサーが手を引く。スタッフは内容より数字をあげることだけ考える。
『水戸黄門』の場合、古いファンが去って新しいファンが入れば視聴率増価の可能性もあったが、そうなる前にスポンサーが手を引いたようだ。パナソニックは家電メーカーで、10年後、20年後も新製品を買ってくれる人たちが大事な顧客である。先端家電メーカーにとって視聴者の多くが老人である番組は、よほど視聴率が高く限り、収益を保証してくれる作品にはならない。
「印籠シーン」や「女優の入浴シーン」といった個別のシーンだけが注目されるようでは、もはや「紙芝居」にもならない。早い話がただの写真と同じである。
スポンサーは『水戸黄門』を見ようとする視聴者に自社のCMを観てもらうために予算をテレビ局に提供し、テレビ局は制作意図とは別に「数字」を取れる場面を定番にする。テレビ時代劇の限界がそこにあった。
提供スポンサーにとって「印籠」や「入浴」シーンだけで視聴率が上がっても、CMで視聴率が上がらなければ意味がない。「印籠」のシーンでパナソニックの廣告を画面の端に出せば廣告効果もあるだろう。それができなければスポンサーが番組の打ち切りを望むのは当然であろう。
5.批判する人も観ないよりはましか
シリーズが長く続くと、俳優の年齢や仕事の都合で、キャスティングが変わり、「全国行脚」「老人光圀」「毎回印籠」という基本パターンは継承された。もともと『水戸黄門』全体を否定的に見る人は、キャスティングに関係なく、設定や脚本の変わらぬ基本パターンを理由にまだ批判するだろうし、基本パターンの支持者であったはずの旧来の『水戸黄門』ファンの多くは東野英治郎・西村晃の時代の過去の主演者のイメージを基準にするので、その後の配役の変更に馴染めない。それでいずれの場合であっても、今のを観なくなっている人が多くなっているのだろう。昔のキャスティングで『水戸黄門』をやるなら、東野英治郎と西村晃はすでに故人なので、過去の作品を再放送をする以外にない。新作を放送するなら基本パターンも破壊して、史実に近い『徳川光圀伝』(假)のような作品にする以外にない。
これは『暴れん坊将軍』に対する『八代将軍吉宗』のように主人公が同じだけの別の時代劇と解釋されるだろう。それなら『水戸黄門』とは別の時代劇を作って若い層をつかむのと同じだし、時代劇でなくても現代劇を放送して視聴率が上がればそれでいいことになる。
石坂浩二の水戸黄門は史実に近づける意図で作られたそうだが、『水戸黄門』全体を否定的に観る人からは、相変わらずの全国行脚の設定で、何も変わっておらず、また全国行脚の『水戸黄門』のファンは石坂浩二の光圀の細かい変化に拒絶反応を起こした可能性がある。
大野敏明氏は東野英治郎の時代からの『水戸黄門』の時代考証を批判しているが、番組としては批判しながらもしっかり見てくれる人のほうが有難い(感謝に値する)ことになる。
6.民主主義と地方自治を否定する番組
日本各地で不正、問題、事件が起きた場合、それは地元で解決し、地元の為政者と住民が10年、20年かけて不正を防ぐ努力をすることが必要だ。『水戸黄門』で光圀がやっている「世直し旅」は各地の問題を地元の人間が解決せず、外から来た旅行者が短期間に滞在しただけで悪事の首謀者たちを暴きだし、徳川の家紋を出してその首謀者たちを平伏させ、説教をして去っていく。ただ本当の悪事の首謀者が裁かれたかわからない。前水戸藩主である光圀のが他藩の内政へ干渉するのは越権行為であり、だから多くの場合、劇中の光圀は「藩侯にも仕上げるゆえ、厳しき沙汰があるものと覚悟いたせ」と言っている、要するに悪事を藩主に報告するだけである。これなら弥七やお銀のような隠密を各地に常駐させておく方が効率的である。
劇中では日本各地のどこでも何度も不正が繰り返され、そのたびに水戸老公がやってきて対症療法のような後始末をする結果となる。ただ、何度、旅が繰り返されても各地で不正は絶えない。地元では不正を防ぐ努力はなされず、何が起きても民衆はただ嘆くだけ。このようなドラマが人気だったのは、結局、現代人が主権者の自覚に欠けており、他力本願の精神を持っているからであろう。
『水戸黄門』は「権力の腐敗を民衆が正さず、もっと強い権力に頼る」「地域の問題を地元の人間が正さず、外部からの権力者に頼る」という話である。日本では毎年のように総理大臣がコロコロ変わっているが世の中がよくなっているようには見えない。これを地方自治に置きかえると知事や地方政治の幹部がコロコロ変わっても地域の問題が解決されないことと同じだ。『水戸黄門』の手法は地域の問題の根をもとから断つのでなく、表に出た不正の首謀者を罰することの繰り返し。それをやっているのは短期に滞在するだけの旅人である。
個別の地域では何度も不正が生じるが、地元では解決できず、不正が起きるたびに水戸黄門または江戸から水戸黄門に来てもらうだけである。
本来、地域の問題は地元に長く住んでいる住民と地元の為政者が10年、20年かけて解決すべきである。事件や騒動が起きるたびによそから助っ人を頼むという当事者能力の欠けた解決方法の繰り返しが時代劇の『水戸黄門』であった。
これが世間に受け入れられなくなったとしたら、日本人が現実を見るようになったということだろう。
8.映像が鮮明すぎる
なお、今の時代劇は映像が綺麗すぎて「俳優がカツラをかぶって和服を着て、それをカメラで撮影した」というのが見え見えであり、江戸時代や戦国時代を観ている気になれない。これは『水戸黄門』だけでなく他の時代劇にも言える問題で、時代劇全体が減っている理由にはなる。これは『水戸黄門』という番組だけの問題ではない。夜のシーンなど人物がまるで見えず、声しか聞こえない場合がある。その意味では『必殺仕事人2007』『~2009』は、いつもながら、光と影の使い方がよくできていた。
9.視聴率が理由でないならなぜシリーズ開始後に終了を決定したのか
TBSは『水戸黄門』を第43部で終わらせる決定を下したことについて、「視聴率が理由ではない」と言っていたが、それなら第43部が始まる直前にでも里見浩太朗や他の出演者に「今回が最終シリーズになる」と知らせればよかった。シリーズが始まってから決定というのでは、初めの第1話と第2話の視聴率の「低さ」(10%前後が「低い」かどうかは見方によるが)からスポンサーとテレビ局が中止を決定したと思われても仕方がないだろう。
里見浩太朗は『水戸黄門』『江戸を斬る』に出演し、『大岡越前』の最終回スペシャルにも出演したナショナル劇場の功労者である。スタッフはせめて第43部開始前に里見浩太朗に「場合によってはこれが最終シリーズになるかも知れない」と言っておくべきではなかったか。
10.第42部と第43部について
個人的には第41部まで出ていた原田・合田コンビが降板した段階で落胆した。それでもこれを楽しみにする視聴者もいるだろうし、重要なのは内容だと思って第42部を観たが、お娟の卒業が格之進の参加と同時期という時間軸のメチャクチャな設定に驚いた。これでは打ち切りになったほうがましである。
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「この紋所が」は浮世離れじゃ...日刊スポーツ (ブログ) - 2011年7月21日
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