2013年09月30日(月)
虚実歴史研究家@kyojitsurekishi
@ichiyanakamura 確かに半沢直樹は自分より上の身分の人と闘っていたわけで、自分より身分の低い相手をもっぱら相手にしていた水戸黄門とは違いますね。水戸黄門=中納言だったら相手が大納言の場合ですね。あるいは東野黄門で光圀が将軍綱吉に犬の皮を送った話に近いかも知れません。
posted at 01:56:39
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@ichiyanakamura もし「半沢直樹」の常務が「水戸黄門」の老中(or老中格)柳沢吉保なら頭取は殿でなく将軍綱吉です。「半沢」の最終回の頭取の命令を「水戸黄門」に喩えると、将軍綱吉が光圀の政敵である柳沢吉保を余り罰せず、逆に水戸黄門に「出向」を命じるようなものです。
posted at 02:04:04
@ikedanob すると明治維新から100年以上経った時代に「水戸黄門」がヒットしたということ自体、日本人が江戸時代の精神のままである証しで、日本人が近代化するためには「時代劇」など「廃止」すべきだというご意見ですか。「水戸黄門」が終了したのは近代日本として「当然」でしょうか。
posted at 02:08:26
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@_kazy 本来、水戸黄門では「由美かおるの入浴シーン」などないのが普通でしたし、もともと必要ありません。
2009年の第39部または40部で累計200回、2011年の最終回SPで201回目ですから間の2年間はそのシーンがなかったわけですし、全1227話の中で約6分の1です。
posted at 02:23:31
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@ryutaro31831 「暴れん坊将軍vs水戸黄門」はありますよ。「水戸黄門」では紀州の部屋住みで新之助または源六と名乗っていた若い吉宗が光圀と会う話が2回作られています。第28部第17話「暴れん坊は紀州の若様(京都)」と第38部第5話「暴れ若様まかり通る(和歌山)」です。
posted at 02:29:19
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@ryutaro31831 「暴れん坊将軍vs水戸黄門」の例としてもう一つ、「暴れん坊将軍」第8部第10話では水戸光圀の甥で養子だった綱條が老齢に達し、光圀を真似て吉田介之丞と永井鶴右衛門を連れて忍び旅を敢行し、江戸の街中で徳田新之助(つまり吉宗)とばったり会う話があります。
posted at 02:33:34
半沢直樹は白髭もないし爺さんでもないし全国行脚もしないし印籠も出さない。石坂黄門にも拒否反応を起こした「水戸黄門」の視聴者は、もし「水戸黄門」で光圀が30~40代で舞台が水戸か江戸で印籠がないシリーズが始まっていたら「これは水戸黄門じゃない」と言っただろう。
posted at 11:47:40
@kyojitsurekishi 「半沢直樹は現代版水戸黄門」だと思っている人は「水戸黄門」を見ていたのか?それは視聴率40%を超えた「半沢直樹」の視聴者の何%だ?もし「半沢直樹」を見ていた人が全員「水戸黄門」を見ていたら「水戸黄門」が視聴率10%まで下がることはなかったはずだ。
posted at 11:49:02
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関連語句
水戸黄門
『水戸黄門』関連 直樹』関連
参照
Y!Blog>『半沢直樹』関連(2013年8月20日~9月16日)
Y!Blog>『水戸黄門』関連tw(2013年9月29日)
Y!Blog>『水戸黄門』関連tw(2013年9月30日)
『半沢直樹』と『水戸黄門』(全く違う2つのドラマ)
『半沢直樹』の最終回を『水戸黄門』に喩えると
『半沢直樹』関連tw(2013年9月29日)
『水戸黄門』関連tw(2013年9月30日)
『半沢直樹』関連tw(2013年10月1日~3日)
『水戸黄門』関連tw(2013年10月3日)
『水戸黄門』関連tw(2013年10月4日)