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『ブラックボード』第1夜について

「終戦」当時子供だった世代は、戦争に負けたことと被害が大きかったことを理由に戦争を全面否定し、「終戦」当時の大人を憎悪すているようだが、戦国時代の豊臣と徳川、明治時代の西郷と大久保のように戦では勝敗は重要でなく、そのあとにどういう世の中を作ったかが重要である。

白濱正平が言うように大東亜・太平洋戦争の原因はアングロ・サクソンが日本を孤立させようとしたことによる。アングロ・サクソンは黒船で日本の鎖国を解こうとし、それで今度はABCD包圍網で日本を孤立させようとした。
満洲は清朝の衰退のあと、中華民国ができて日が浅く、無政府状態であった。

日本が近代に戦争や領土擴大をしたのは北東アジアの治安維持による国防のためと資源の確保で、戦後は北東アジアの治安維持はアメリカがやる羽目になった。しかも戦後は日本は経済大国になったのだから戦争の目的は達したのである。

中国は日清戦争で日本に敗れたが中華民国になって「抗日戦争」を戦って勝利した。
戦争に負けたからといって戦争を否定しているのは戦後日本だけであるし、「戦争に勝っても負けても戦争をしてはいけない」という白濱正平の思想は戦勝国には通用しないだろう。
戦争をしてはいけないなら中国は日中戦争開始のときに日本に降伏していればよかったのである。局地的には中国人による反日闘争が日本軍からの反撃を呼んだ経緯がある。それに比べれば満洲の移民はほとんど悪事をしていないのに現地の中国人やロシア人から略奪などの被害を受けたわけだ。

宮沢りえが淀を演じた『江~姫たちの戦国~』では、大竹しのぶが演じた北政所が「この世を太平にするために避けられぬ戦がある」と言っていた。日本の平和主義者(主に昭和、平成生まれ)はそれを忘れ、前の世代(明治、大正生まれ)がやった近代の戦争を否定し、前の世代を批判する歴史分断の思想を持っているようだが、それが戦後の校内暴力や学級崩壊を生んだのではないか。日の丸・君が代を拒否する教師がいるようでは、生徒が校則を守らないのは当然だ。

「終戦」の年は西暦1945年、昭和20年である。するとこの当時20歳以上だった人は昭和元年より前に生まれたはずで、大正生まれか明治生まれだったはず。大正は15年続いたので、昭和20年当時、大正生まれは20歳以上、明治生まれは35歳以上だったわけだ。
一方、昭和20年当時、昭和生まれは19歳以下の「未成年」だったわけだ。
1940年代生まれは「終戦」当時は生まれていたとしても修学前の幼児だった。

戦後67年たって高齢者が戦争体験を話すことがまだ多いが、そういう世代も戦時中、子供だった人たちがほとんどになっているので、そういう世代が戦争について話すと子供の感情的な感想の域から出ていない。
戦時中の子供世代は戦後の価値観の逆轉を目の当たりにして、白濱正平のような教師の教えを全面否定し、その感覚が戦後日本を作ってしまったのだろう。
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