青春メモリー ・好き勝手な人生で良かったのか? 自分探しの旅に出よう !

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あぁ うずく・・・遠くへ行きたい

2019年09月21日 | 呟き
また三連休カヨ・・・このチャンスを有益にしたい


しかしローンがぁ、


固定資産税の73,000イェ~


ショボイパート収入がぁ


面接にも行ってなく内定未だなのに


・・・・


君はそれでも行くのかい?


ツっっっっっっっっっっっっ


行きたいんだピョーン


 何時?  5時かぁ


いい時間だな


うふふ




吉田拓郎 研究

2019年09月21日 | 音楽回想
彼は相当早くから「ボブディラン」を取り入れていた


その頃から10年前までのポップスはただ外国曲に代入法的に日本語を当てはめただけで、何とも変な


「好きくない」ものだった



以前「服部氏」の作品にも見られたが、根底にジャズ的要素を置きながら早口で日本詩を当てはめある意味、完成していたものもあった。



しかし拓郎はディランとしての早口字余りを自分の作る曲に、強引に当てはめて行く作風だった・・。


当時は古い批評家は「これは真似事だ」と批判していたが、当時の高校生、中学生のファンやヤング層は


本物感を認めついて行き、「夏休み」を聞いて感じるように、彼の持の持つ 古くからの優れた日本の


「童謡」「唱歌」を根本に置きながら「ディラン」をかぶせて行く 作風に、これまで、当てはめられなかったポップスへの日本詩を心地よく当てはめて


「拓郎ミュージック」を確立して行ったのである。


・・・・・


「サザン」「オフコース」・・・沢山のアーチストは本格的な作曲家も含め「拓郎」の真似であるし、エキスをしっかり取っている。


それらの曲を聴けばわかる、当時世界中でも「ディラン」を取り入れ


古くはビートルズのジョンレノン、ロックバンド、ブルース・スプリングスティーンなどが曲を世に出し成果を上げていた。


拓郎は早い段階で、ディランの天才性を見抜き自分の作曲に取り入れていたことが大衆、プロからも支持された。


そして拓郎時代を作り上げたのだ、世界でアシアを代表する


シンガーソングライター・音楽家は「吉田拓郎」である。



今は確かに酒・タバコがたたり病気がちで、歳も取ってしまったがこの年齢でも


よくここまで音楽を張って、引っ張ってきたものだと思う。


彼がいなければ日本のミュージックシーンは20年以上遅れていただろう・・・・。


相当の貢献者だと言うことを我々は


忘れてはならない。