週刊文春を読んでいたら、「阿川佐和子のこの人に会いたい」という連載記事に岡林信康が出ていた。私にとっては「ああ、何かフォークの神様とか言われてた団塊の人ね」くらいの認識しかなかったのだが、これがなかなか面白い。例えば、反体制の象徴のような扱いをされていやになり、百姓になるといって京都の村へ引っ込んだときの話。
阿川 生活はどうしてたんですか。
岡林 印税で食ってたの。これはありがたかった。何といわれようと不労所得が一番(笑)
阿川 アハハハハ。
岡林 「フォークの神様」っていうレッテルには苦しめられたけど、そのお陰で。(声を潜めて)これはね、感謝しなきゃいけない。
岡林氏はその後演歌にも目覚め、一定の成功を収める。それからまたフォークに回帰したりしつつ、他人からのレッテル貼りにうんざりする日々を送る。
岡林 自分の確たる表現方法はなんだろうと思って、アメリカとロンドンに行ったら、ロバート・フィリップという人に「お前ら、何で俺たちの真似ばっかりするんだ。日本人のロック聴かせろよ」って言われた。
阿川 グサッと来た?
岡林 うん。僕もボブ・ディラン大好き人間で、ボブ・ディランコピー人間だったけどやめよう、日本人にしか書けないロック・ミュージックをつくろうと決意した。一九八一年ですよ。で、そもそもロック・ミュージックとは何ぞやというところから始めて、苦節二十六年、今に至ったと(笑)。
ちなみに岡林氏は牧師の息子だったため、日本の祭りというのは異教徒の祭典なので行ってはいけないものだった(自身も同志社大神学部中退)。しかし、小学校二年生の時に踊った盆踊りでトランス状態になってしまったらしい。で、この経験を思い出してついに辿りついたオリジナルなスタイルが「エンヤトット」という日本のリズムだというのだが……。楽しそうなので近いうちに聴いてみよう。
ところで、対談中のロバート・フィリップというのはキング・クリムゾンのロバート・フリップのことではないか(ファーストネームが続くのは変だし、だいたいPhilipとFrippじゃ綴りが全然違う)。国内最高レベルだろうと思われる文藝春秋社の校閲も、ロック的教養まではまだカバーできていないとみえる。
それにしても、(ディランならまだしも)ロバート・フリップと岡林信康がどうやって接点を持ち得たのだろうか。その経緯についても興味津々。
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