仕事が好きですか?
私は看護師の仕事をして、45歳のとき診断され、それも難病のパーキンソン病。
主任の役職もあり、看護部長と病棟師長に相談して病名は
スタッフにはオープンにしなかった。
ショックを受けたが何とかして、仕事をしなくちゃとそれだけあたまにありました。
副作用が出ることわかってましたが、薬を増やしていきました。
薬をトイレでこそっと飲んでいたり、オフになりトイレに入ったりもしました。
リハビリ病棟でしたから、姿勢や動きに気を付け、振戦が出ないようにコントロール
していました。まったく夢中になって働いてるほうが
病気を忘れ、不安を忘れることができる。でも
病気と向き合っているようで向き合っていただろうか?こなすことでいっぱいでした。
私は看護師の仕事が好きでなによりも患者さんの話を聞き
困った事を聞き解決してあげることを第一と心がけていました。同じ立場で
病気になり寄り添える。見えないものが見えるそんな感じだった。
うまく薬が効いていたのは5年間で段々仕事に支障をきたす様になりでました。
申し送りで振戦起こしたり、字を書けなくてあとから書いたり、私は
夜勤制限と入浴介助制限をお願いしデスクワークを多くするようになった。
そうなるとオープンにするしかありません。パーキンソン病であることを公表しました。
なんかスタッフが言うかなと思いましたが言わない。
6年目のある日身体が重くて起きられません。涙が止まりません、こんなに頑張る
必要あるのかなぁと思いました。職場に行けなくなり2ヶ月続き離職した。
仕方ないと今は思います。月日流れ自分が病気と向き合って生きてる。
いい薬が出ているでのでコントロールをいかにしていくか。
心の持ちようもだいぶあると感じる。
一番は好きなことする。張り合いを持つことの2点を大事にする。外に出よう!
好きです。看護師の仕事今でも・・・・・・。
文章も打つの大変・・・・
諦めたくないもの。
諦めたくないもの看護師より気持ちのわかる電話相談のピアサポーターをめざしますよ。
ブログ読ませていただきました。
あ~私と同じだな、って思いました。
職場の上司(支社長、総務部長、直属上司)には
病名を言いましたが(その時点では病名がはっきりせず、パーキンソン症候群)、同僚には伏せてもらいました。私の事は「シークレットなんですって!」そんな言葉を言う同僚もいました。
何か奇病という印象が、あったからです。
私は2年間も休職をさせてもらって、退職いたしました。ホワイトさんは、人の役に立つことをされています。私はというと、何にもしていません。
でも、こうして同病の方とお知り合いになれて、
人生捨てたもんじゃない!そんな風に思ってます。
下の記事を見てください(もう、ご覧になっているかもしれませんね)
https://blog.goo.ne.jp/yokohanagokoro/e/8ad312b330c38fd1fba751220410dcff
悲しく辛い日々でした。今でも辛い日はあります。
もういつ死んでも悔いはない・・
充分好きなことをしてきたから~
私は離職している間に父が亡くなり、見舞いも行けなくて罪悪感がを感じてました。昏睡状態になってきた面会し、私が
父ちゃんと言ったら目を開けたうなずいた。待っていたかのようでした。
次の日天国に行きました。7回忌を迎えます。月日流れは速い。でも自分の月日の流れは遅く感じる。
辛い、苦しい、でも命を与えらえた、最後までお付き合いと思う。1日過ごすことを目標と希望にしてる。いつ死んでも
いいなんて悲しいこと言わないでください。今をいきてる。それでいい。
yokoさん素敵な映像をくれてる。感動します。それに
あんなにコメントくれる人いて、私なんかありませんよ。慕われていてうらやましいくらいです。ブログから発信してるものはそれぞれ違います、素敵な人と思いました。同性でそう思う人そんなにいません。生きてると何かいいことあるそう思います。yokoさんは生きる発信してますよ。偉そうにすいません。
お返事、有り難く読ませていただきました。
そうですね!
軽々しく「死」を口にしてはいけませんね!
応援してくださる方がいるということ、有り難いです。
ホワイトさんもですよ~
ありがとうございました。
返コメは、要りませんので…