ホワイトの紫陽花日記~ありのままの自分で

難病(PD)あります。症状も人生も十人十色。肩の力抜いて深呼吸・・・喜びも悲しみも、ありのままの日々の生活を綴ります。

であいはみちしるべ    

2022-11-27 12:35:36 | パーキンソン病

河本さんからお電話をいただき、光栄でした。受話器の向こう側からはすごく穏やかで優しい声でした。本に対し患者に読みやすように工夫してあります。本の大きさが都合よくバックの中で余裕がある。また、本も軽い都合よい本の厚さである。片手で持てます。本の表紙にあるタイトルが目に飛び込んできます。見出しタイトルはひらがなでやさしさを感じさせます。パーキンソン病の一般知識・語句の解説があり、読んでも最初に難しい言葉の意味が書いてあるので困ることがない。後ろより前にあることでこんなに違うとは・・・・。

タイトルに沿って話が進みDBS前の自分とも重なる。パーキンソン病になり色々な人であい、それが自分の目標となる。DBS後自分の体験を生かして言語聴覚士の仕事されている。患者の立場で言うことできる、コミュニケーション障害のつらさがわかる人である。

見出しの中より「トイレがオアシス」

 私も働いていた時トイレが休み場だった。でも一つしかなく長く入ると自動的に電気消え再度点滅する。何回切れたかわからない。ひと時のオアシスはトイレでした。

「無事でよかった」

私もそう思う。車に乗っていて交差点で足がガタガタ震えてアクセル、ブレーキが踏めなくてハザードランプを点滅、落ち着くまで待ちどうにか右折し店の駐車場にとめた。交差点で故障車と間違えられ素通りされた。死ぬ思いでした。夫から「無事でよかった」といわれた。

著者は家の中でも中でも無動になり夕方までそのままの状態、無動2,3時間でもかなりきつかったと思う。職場から心配の電話で助かった「無事でよかった」言われカミングアウトする決心になった。読んでいくと重なる場面があり去年の今頃私は今offでそんなに苦しまない自分がどれだけ幸せか精神的に楽か身にしみて感じる。

タイトルで読んでいくと社会への私たちの訴えがまだまだで不十分あることを感じる。それは生ずらさをどこかで感じ入るからであろう。自分ができることをやる。行動に移すこと。思わせる本である。いい本です。読んでみてください。

 


パーキンソン病とDBS

2022-11-13 11:08:09 | 日記

                 DBS後半年過ぎた!思い出した冊子!

 

 私はパーキンソン病になり16年目です。45歳でパーキンソン病と診断されるまで1年半かかり、診断された時「10年早かったね」とDrから言われて落ち込みました。当時PD患者は自分が働いていた病棟に入院してきましたがさほど関心をあったわけでなく神経難病の一つ最期が大変であるということを記憶している。また、マハメドアリさんの10年前くらいだろかオリンピックの燈火台に火はなったその姿はパーキンソン病特有だった。

皆さんの中にも震える、足を引きずるが治らない神経内科を受診してみてください。パーキンソン病に関して難病センターで鑑別し、早期発見、早期治療が可能になって来てます。症状が進行していないとそれだけ症状が軽くてすみます。

でも当時の私にとってこの病気を受け入れるのはそうたやすいものではありませんでした。2年間仕事を辞めてから閉じこもり、何もする気力がわきませんでした。ふと手にしたのが友の会が企画した医療講演会に行った時もらった冊子で村田美穂Drが編集されたⅢパーキンソン病のリハビリテーションこの冊子は自宅できる運動と飲み込み・言語の運動をわかりやすく書いてありました。今にも通じる内容で目から鱗が落ちる思いです。Ⅳ、自宅での介護の要点1.住宅改修と整備2.看護の立場から3.社会支援  友の会について 制度の利用については事細かに患者の立場でわかりやすい文章で書いてあります。大日本住友製薬で2012年にだされたものでした。この2冊は私のバイブル的な冊子で何回も読みパーキンソン病を学びました。パーキンソン病は個人で経過と症状はそれぞれ違います。でも〖自分で決める〗という大切さとリハビリの大事さを感じました。

DBSで思う事はDBSに過大な期待を持ちすぎないことであり、近年DBSブームではあるが、パーキンソン病の治療法の最終手段でないということを肝に銘じておくのが必要です。電圧と薬の調整は1年はかかるといいます。その後も調整一年ごとかかります。DBSをやると決めたのは自分。成功したとか失敗したとかいう前に、自分で決めて考え行動したらどんな生き方でも尊いものであると思います。色々あり違ったそれぞれの生き方が自分らしく、その人らしさだと思う。