つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

淮安から塩城へ-春の中国出張3

2015-03-19 20:09:19 | 日記

(写真は左から、広々とした淮安福利院、淮安の旧市街、周恩来記念館、塩城の長距離バスターミナル)
 南京での講演を終え、翌日、私も参加している「江南100年の人材養成研究プロジェクト」(代表は明治大学の高田幸男先生)が南京大学の協力を得て行うフィールド調査に合流して南京を出発した。目指すは長江を渡った北200㎞余の淮安だ。8人乗りの車に、8人と荷物を満載して、昼前には淮安に到着。最近の中国は高速道路が縦横に走っているので便利になった。
 昼食を済ませて、淮安師範大学の協力で淮安市福利院(総合福祉センターに相当)の老年マンション居住の老人からライフヒストリーの聞き取りを行う。それぞれに興深い人生だが、全体として共産党員などの政治的に「正しい」経歴の人が多かったのは、福利院に入れるのはそういう人だということなのか、それとも聞き取りに応じてくれるのがそういう人が多いということか。解放後、「貧しい江北の発展に尽くそう」という党の呼びかけに応えて此処にやってきた、という老幹部の方などからもお話をうかがった。老年マンションは広々としていて、部屋も明るくきれいだ。一ヶ月の入居料は食費を入れて1500元ほどということで、北京上海などよりずいぶん安いが、ここでこれを払える人は限られている、という。そういえば食事をしても大都会の半分くらいの値段だ。
 翌日も午前中福利院で聞き取りをした後、旧市街の図書館へ。淮安の町は地方都市といっても人口数十万は下らないだろうが、古い町並みを観光化した旧市街と、新しいすれっからしの気分もただよう新市街とは雰囲気が違う。旧市街には旧漕運総督の役所が博物館になっていたが、ここは古くから華北と江南をつなぐ運河の要衝として発展した町だ。清代の半ばから運河の漕運が海路に切り替わって、江北(長江の北)は貧しくなった。
 図書館ですぐにめぼしい資料が見れそうにないとわかって、周恩来記念館を見学。中華人民共和国成立以来、総理として活躍した周恩来はこの街の出身なのだ。台湾の蒋介石記念堂を思い出させる壮麗な建物は、どう考えても周恩来その人の趣味だとは思えなかったが、まあ郷土の偉人を顕彰するためにはそうするしかないのだろう。展示はなかなか面白かった。
 翌日は、まだ車で東へ160㎞ほどの塩城へ移動。塩城師範学院の招待所に宿を取って聞き取りをするのだが、私は翌日帰国なので、塩城で昼食後、長距離バスで上海へ戻った。塩城の長距離バスターミナルも新しい大きな建物で、各方面へのバスがひっきりなしに出ている。バスは新しく大型で会社ごとに工夫を凝らしたペインティングが楽しい。中国の地方旅行も、道路も車も良くなって、以前に比べれば驚くほど楽になった。ターミナルで一時間一本の上海行きが10分後に出るのを購入し、すぐにバスに乗って出発。約300㎞を4時間で走り、夜には上海の定宿に落ち着いた。