《この病の根底には常に不安がある。
何かをしなければならないことがあるのに、
それが何なのかを思いだせない。
なにか大変なことが起こるような気がするが、
それが何だったかを忘れてしまったように感じる。
一度にたくさんのことをやらなければならなくなると、
集中しようとして残っている脳を総動員して夢中になる。
そんな時は休めと言っても無駄だ。
その仕事をやり終えられるように手伝ってもらうしかない。》
とクリスティーンさんは書いておられます。
『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)P143
私は薬のお陰で、
とてもよくなったように思うことがあります。
以前の自分のように
「飲みに行こう・・・」と
声をかけたくなることがあります。
でも・・・それは薬のお陰であって・・・
「この病」が一時、安定しているだけなのです。
確かに個人差がある病ですから・・・一見・・・
普通に見える方や、
計算に不自由がない方をおられます。
そういう方でも・・・外に見えない苦悩・・・
方向感覚がまだらになったりとか・・・・
時間感覚がなくなったり・・・と、
何か潜在する症状があるのです。
ですから・・・
いつも何らかの不安を抱いて生きているのです。
その不安を語れない・・・という不安が
一番身に堪えます。
「大様の耳はロバの耳」
という言葉が浮かびました。
どうして・・・
そういう言葉が、
思いもせずに浮かんでくるのでしょうか・・・わかりません。
だからとってもよくわかります。
自分が自分でなくなるような、いてもたってもいられない不安ですよね。
それを具体的に表現できないんですよね・・・・・
病気はその人その人で症状が違いますよね。
だから・・・自分は・・・と考えるのですが、
その考える力がなくなっていくのですから・・・困りますね。
しかし
でも・・・というコトバを書きたいですね。
いつも親切なコメントありがとうございます。
そうゆうことでしょうね。
大切なものが見つからないほど寂しいことはありませんから。
お父様の書類箱の中にあるのではないでしょうか。
あるいは仏壇に中とか・・・
何をしていても不安は消えません。うまくいかないことがあると、すぐに、病が進んだのだろうか、と思うし失敗すると、もう出来なくなるのだろうかと思います。
それがパッ、パッと出て来るときは怖いし、気持ちが落ち込みます。誰に何とかしてもらえる事ではないことも十分知っています。
こんな時は、誰かにそばにいて欲しい、と思いますね。何もしなくても良いのです。ただいて欲しい。
ゆっくり、ゆっくり話が出来ると私もゆっくり戻っていきます。
私には、友達がいて時々相手をしてくれます。落ち込んでいると手を握っていてくれたりします。
それからこのブログです。一人ではないと気付かせてくれます。
自分で自分のことが分からなくなるのがこの病と言われていますが、不安でいっぱいになっても私は私のことが、まだ分かっています。この日々が一日でも長く続くように、皆様の中で一緒にやっていきたいと思っています。これからも宜しくお願いします。
しんみり読ませていただきました。
「落ち込んでいると手を握ってくれたりします」
いい言葉ですね。
何回も何回も読ませていただきました。
ほんと、一人ではないんですね。
ありがとうございました。