平坦線区を走る貨物列車や寝台特急列車などの高速化、および牽引力向上のために
登場した電気機関車である。
昭和40年~54年にかけて、基本番台(1~135)135機、寝台特急用でP型と呼ばれる
500番台が(501~512、527~531、535~542)が17機(うち535~542号機は基本番台の
77~84号機から改造)、高速貨物用でF型と呼ばれる500番台(513~526、532~
534)が17両、客貨両用の汎用タイプでPF型と呼ばれる1000番台(1001~1139)が139両の
計308機が製造された。
国鉄が製造した直流電化区間用の電気機関車としては最多の勢力を誇る。
車体は鋼鉄製の箱型で塗装や細かい仕様が上記の仕様ごとに異なる。
軸配置は本形式の母体であるEF60形と同じB-B-B配置で全軸が動輪である。
駆動方式は吊り掛け駆動である。
主制御装置は抵抗制御で、国鉄の機関車で標準装備されていた手動進段式
単位スイッチ制御器に加え、自動進段式バーニア制御器(電動カム軸式超多段制御器)を
導入して、それらを組み合わせることで操作性の向上をはかった。
また、ギア比を高速向けにし、弱め界磁を広く行えるようにして速度の向上を図った。
本形式は、当時の物流情勢から試作車を作らず(高速道や新幹線などが未整備な上、
現在と異なり、航空機利用も高価であった為、鉄道への依存が大きく輸送力が
逼迫していた)、評価試験も無しで、いきなり量産を開始したため、
初期型は制御器に不具合があったが、これらは後に改修されている。
以下は番台別の違いについて紹介する。
・基本番台(1~135)
昭和40年~45年にかけて製造。正面はEF60形の最終増備グループと同じ
パノラミックウィンドウ2枚窓の非貫通である。
ナンバーを正面中心に表記し、両脇に銀色の飾り帯を引いている。
標準塗装はブルーに正面下部のみクリームで、後にグレー系のJR貨物塗装や
ジョイフルトレインに合わせた塗装に塗り替えられたものがある。
・500番台P型(501~512、527~531、535~542)
昭和40年~41年にかけて17両が製造されたほか、昭和43年に寝台特急列車増発に
伴う車両不足に対応するため基本番台(77~84)から追加改造された。
車体は同じで塗装も同じブルーとクリームであるが塗り分けは寝台客車と
合わせたクリーム色の範囲が広いものを採用している。
機器類では当時の寝台特急用客車であった20系客車に対応するための電話線や
大容量の空気を送る空気溜め用の配管や架線から電源をとっていたカニ22形客車の
パンタグラフ昇降用スイッチなどを装備している。
東海道・山陽本線を走る寝台特急用に長く使用されたが、片道1000kmを越える
長距離を高速で走る運用から機器への負荷が大きく、昭和53年に後述の1000番台
PF型が登場すると貨物用に転用された。
この長距離運用の経験は後に機関車の部品改良や信頼性向上に役立っている。
なお「P」の意味は「passenger」=客車から。
・500番台F型(513~526、532~534)
昭和40年~41年にかけて17機が製造されたグループ。
牽引定数1000tクラスの貨物列車を100km/hで牽引する必要があったことから、
P型をベースに重連総括制御対応、ブレーキの改良を行っている。
装備品が増えたため、正面の連結器周りが物々しい雰囲気になった。
速度と牽引力を維持するため、特急貨物列車「とびうお」や「ぎんりん」などでは
重連で使用された。
また、一部はP型の装備も取り付けたものがあり、寝台特急運用に就いたものがある。
当初は東海道・山陽本線で使用されたが、ハイパワーな後継機のEF66形の就役で
地方路線でも使われるようになった。
中でも雪深い上越線や東北本線での運用では、耐雪装備がなく、冬場は貫通扉が
無いため連結作業を外に出て行わなければならないなど不具合が多く、
後の1000番台PF型の開発に活かされた。
・1000番台PF型(1001~1139)
昭和44年~54年に139両が製造されたグループ。従来機の欠点を改良し、
旅客、貨物を問わずに運用可能な汎用機として製造された。
正面は貫通型となり、窓上にはツララきりやスノープロウなどの
寒冷地対応の装備している。
ナンバープレートは運転台窓下にあり、これまであった飾り帯は無い。
なお、標準塗装は500番台と同じである。
全車重連総括制御可能である。
なお、寒冷地装備の一部は、温暖な地域に配置された機関区によって
撤去したものもある。
JR化以降は、本州三社(東日本、東海、西日本)と貨物に引き継がれた。
JR貨物のものは更新改造を受け、塗装も変更されている。
広島機関区に所属していた131~135号機は瀬野~八本木間で貨物列車の後押しをする
EF67形電気機関車100番台に改造された。
長く直流電化区間の主力機関車として活躍したが、現在は後継機の登場で
淘汰が進んでいる。
登場した電気機関車である。
昭和40年~54年にかけて、基本番台(1~135)135機、寝台特急用でP型と呼ばれる
500番台が(501~512、527~531、535~542)が17機(うち535~542号機は基本番台の
77~84号機から改造)、高速貨物用でF型と呼ばれる500番台(513~526、532~
534)が17両、客貨両用の汎用タイプでPF型と呼ばれる1000番台(1001~1139)が139両の
計308機が製造された。
国鉄が製造した直流電化区間用の電気機関車としては最多の勢力を誇る。
車体は鋼鉄製の箱型で塗装や細かい仕様が上記の仕様ごとに異なる。
軸配置は本形式の母体であるEF60形と同じB-B-B配置で全軸が動輪である。
駆動方式は吊り掛け駆動である。
主制御装置は抵抗制御で、国鉄の機関車で標準装備されていた手動進段式
単位スイッチ制御器に加え、自動進段式バーニア制御器(電動カム軸式超多段制御器)を
導入して、それらを組み合わせることで操作性の向上をはかった。
また、ギア比を高速向けにし、弱め界磁を広く行えるようにして速度の向上を図った。
本形式は、当時の物流情勢から試作車を作らず(高速道や新幹線などが未整備な上、
現在と異なり、航空機利用も高価であった為、鉄道への依存が大きく輸送力が
逼迫していた)、評価試験も無しで、いきなり量産を開始したため、
初期型は制御器に不具合があったが、これらは後に改修されている。
以下は番台別の違いについて紹介する。
・基本番台(1~135)
昭和40年~45年にかけて製造。正面はEF60形の最終増備グループと同じ
パノラミックウィンドウ2枚窓の非貫通である。
ナンバーを正面中心に表記し、両脇に銀色の飾り帯を引いている。
標準塗装はブルーに正面下部のみクリームで、後にグレー系のJR貨物塗装や
ジョイフルトレインに合わせた塗装に塗り替えられたものがある。
・500番台P型(501~512、527~531、535~542)
昭和40年~41年にかけて17両が製造されたほか、昭和43年に寝台特急列車増発に
伴う車両不足に対応するため基本番台(77~84)から追加改造された。
車体は同じで塗装も同じブルーとクリームであるが塗り分けは寝台客車と
合わせたクリーム色の範囲が広いものを採用している。
機器類では当時の寝台特急用客車であった20系客車に対応するための電話線や
大容量の空気を送る空気溜め用の配管や架線から電源をとっていたカニ22形客車の
パンタグラフ昇降用スイッチなどを装備している。
東海道・山陽本線を走る寝台特急用に長く使用されたが、片道1000kmを越える
長距離を高速で走る運用から機器への負荷が大きく、昭和53年に後述の1000番台
PF型が登場すると貨物用に転用された。
この長距離運用の経験は後に機関車の部品改良や信頼性向上に役立っている。
なお「P」の意味は「passenger」=客車から。
・500番台F型(513~526、532~534)
昭和40年~41年にかけて17機が製造されたグループ。
牽引定数1000tクラスの貨物列車を100km/hで牽引する必要があったことから、
P型をベースに重連総括制御対応、ブレーキの改良を行っている。
装備品が増えたため、正面の連結器周りが物々しい雰囲気になった。
速度と牽引力を維持するため、特急貨物列車「とびうお」や「ぎんりん」などでは
重連で使用された。
また、一部はP型の装備も取り付けたものがあり、寝台特急運用に就いたものがある。
当初は東海道・山陽本線で使用されたが、ハイパワーな後継機のEF66形の就役で
地方路線でも使われるようになった。
中でも雪深い上越線や東北本線での運用では、耐雪装備がなく、冬場は貫通扉が
無いため連結作業を外に出て行わなければならないなど不具合が多く、
後の1000番台PF型の開発に活かされた。
・1000番台PF型(1001~1139)
昭和44年~54年に139両が製造されたグループ。従来機の欠点を改良し、
旅客、貨物を問わずに運用可能な汎用機として製造された。
正面は貫通型となり、窓上にはツララきりやスノープロウなどの
寒冷地対応の装備している。
ナンバープレートは運転台窓下にあり、これまであった飾り帯は無い。
なお、標準塗装は500番台と同じである。
全車重連総括制御可能である。
なお、寒冷地装備の一部は、温暖な地域に配置された機関区によって
撤去したものもある。
JR化以降は、本州三社(東日本、東海、西日本)と貨物に引き継がれた。
JR貨物のものは更新改造を受け、塗装も変更されている。
広島機関区に所属していた131~135号機は瀬野~八本木間で貨物列車の後押しをする
EF67形電気機関車100番台に改造された。
長く直流電化区間の主力機関車として活躍したが、現在は後継機の登場で
淘汰が進んでいる。