水の丘交通公園

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JR西日本 宮島連絡船

2008-08-08 21:43:19 | 電車以外の乗り物
宮島連絡船は、JR山陽本線宮島口駅から宮島までの間を結ぶ鉄道連絡船である。
昭和63年に青函連絡船と宇高連絡船が廃止された後、JRが運営する唯一の
鉄道連絡船となっている。

鉄道連絡船とは、トンネルや橋を建設するのが困難な川や湖、湾、海峡などを
挟んだ対岸の鉄道と鉄道を結ぶ役割をする連絡船のことである。
日本では対岸の片方に鉄道駅が無くても、鉄道会社運営の航路、
特に旧国鉄系航路について、指す場合もある。

宮島連絡船は後者の例で、当初は山陽本線を開業させた山陽鉄道が厳島神社参拝の
お客のため、明治36年に地元の有志で経営していた宮島渡航会社を買収したのが
始まりである。
この時、就航していた船は、「宮島丸」という船で、明治38年に新造の「厳島丸」に
置き換えられている。
明治39年に山陽鉄道が国に買収されて、国鉄のものになった。

大正9年には関門連絡船から、大瀬戸丸と下関丸が特別席設置などの
改造を経て転属して、「弥山(みせん)丸(初代)」と「七浦(ななうら)丸(初代)」となった。
この当時、「厳島丸」と、大正3年に三菱重工の通船を転用した「松風丸」が
就航していたが、この2隻と置き換わる形で宇高連絡船に転属した。

戦時中の昭和17年に本土側の「宮島桟橋」が「宮島口桟橋」に、厳島側の「厳島桟橋」が
「宮島桟橋」に改称されたほか、宮島桟橋が改築されて、社殿風の屋根が取り付けられた。

昭和21年になり、「七浦丸」が大島連絡船開設に伴い、転属したが、
昭和23年~25年まで、再び、宮島航路に復帰している。
その間、「弥山丸」が運行を続けたが、老朽化が進んだため、
昭和29年に50年ぶりの新造船となる「みやじま丸(初代)」が就航。
さらに小型自動艇「かざし」、「みゆき」、「みさき」の3隻が入り、一日22往復の
フリークエントサービスを実施している。

昭和39年から国鉄広島局担当の関門(下関~門司港。昭和39年廃止)、
仁堀(仁方~堀江。昭和57年廃止)、大島(大畠~周防大島。昭和51年廃止)、
宮島の4航路の合理化が始まり、関門連絡船が同年で廃止となった。
残った3航路では船を融通するようになった。
昭和40年に「山陽丸」、「みせん丸(2代目)」、「みやじま丸(2代目)」の
3隻が就航し、自動艇と、昭和36年に仁堀連絡船から転属してきた「五十鈴丸」、
昭和39年に関門連絡船から転属した「玉川丸」を置き換えた。
この3隻は、小型自動車の運搬が可能で、宮島連絡船での初の自動車輸送船となった。
また、共通設計(山陽丸は一回り大きい)なので、旅客サービスの均一化と
合理化、スピードアップに大きく貢献した。

昭和48年から宮島桟橋の改築が始まり、昭和51年に現在のものが完成している。

昭和51年には廃止になった大島連絡船から転属した「大島丸」と
交替で「みせん丸(2代目)」が引退。
その後、昭和53年に「山陽丸」と「みやじま丸(2代目)」が、
新造船の「みせん丸(3代目)」、「みやじま丸(3代目)」に置き換えられた。
「大島丸」と、この新造船2隻は、宮島連絡船で初めて、客室への冷暖房を完備した。
「大島丸」は国鉄民営化直前の昭和62年に「ななうら丸(2代目)」と置き換えられた。

平成16年と平成18年に「みせん丸」と「みやじま丸」の4代目が就航し、現在の陣容になった。
「みやじま丸」は日本で初めての電気推進式客船フェリーで、
平成18年度「シップ・オブ・ザ・イヤー」を受賞している。

現状は日中は15分おきに運航され、日に凡そ50往復が運行されている。
片道170円で、広島共通パスカード、青春18きっぷも使用できる(ICOCAは未対応)。
日中運航の便の大半は厳島神社の大鳥居の正面の沖を通過するサービスを行っている。


みせん丸(4代目)。この船から双胴・両頭フェリーとなった。


みやじま丸(4代目)。日本最初の電気推進式フェリー。宮島桟橋にて。


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