※童話紹介を先に、日常の出来事はあとにしています。童話は、10月3、4日からの続きです。
【モモちゃんとあかね 椋鳩十】③
モモは意地の悪い猫かと言うと、そうではありません。
モモはほんとの子猫の時から、あかねと一緒に寝ていたので、あかねの布団は自分の城、この女の子は自分の物と思い込んでいたのかもしれません。
朝、学校の道具を入れた鞄を持つと、あかねが外に出ていくという事を、ちゃんと感づくようでした。
ガオー、ガオー、
と、変な鳴き声をたてるのです。玄関まであかねの後をつけていって、しばらくの間、
ガオー、ガオー、
と鳴きたてるのでした。
他の六匹の猫も、モモの後について、玄関までとび出していくのですが、この猫達は鳴き声はたてません。何か変わった事が起こるのではないかというように、ぴ~んと、尻尾をおったてて、玄関先を、不安気にそっと歩き回るのです。
あかねが、三日ばかり親戚の家に、泊りがけで行った事がありました。
夜になると、あかねの部屋の襖を開けて入っていくのです。
モモはどうして覚えたのか、障子でも襖でも自分で開けるのです。
ドアだって、押して開ける事も、引いて開ける事もちゃんと知っていて、どの部屋でも、勝手に入っていくのです。
ドアを開けて、あかねの部屋にモモは入っていきました。いつもあかねが寝る時刻になっても、帰ってこないのです。すると、ガオーガオーと、例の変な鳴き方で、一晩中鳴き続けるのでした。
どうも五月蠅くてかなわぬので、次の夜は、妻をあかねの部屋の布団の中に寝かせ、モモを寝床の中に連れ込んでみました。が、何の効き目もありませんでした。
三日目はしょんぼりして、部屋の隅っこに、じっとしゃがみこんだりしているのです。その様子が、如何にも物思いに沈んでいる人間に似ているのでした。
あかねが帰ってきた時の喜びようと言ったら……、ちゃんと、あかねの足音を知っていたのです。あかねが玄関のドアを開けて、まだ声を出さないうちに、部屋の隅っこにいたモモは、ぱっと跳ね起きて、一目散に玄関に走っていきました。
そしてあかねの足にまつわりついたり、身体をこすりつけたりするだけでは物足りないのか、あかねの足に噛みついたりするのでした。
猫という動物は、中々感情をむき出しにしないものですが、このモモは、ちょっと変わった猫のようでした。
つづく。
快晴。32-24℃
素晴らしい晴天、そして、10月なのに夏日だった!
レッスン日だったので、時間まで練習する、つまり私の一週間はこのレッスンが終わって、ようやく一週間が終わる、休日が来るような気になるのだった。
時間が来て、出発。
ランタナはこの色が一番好きかな?
夏の花の中に、八重の椿が一輪咲いていた。
久しぶりに、私のヴィーナスに遭遇。ジムとか、なんらかの運動の帰りなんだと思う。
身長は普通だが、手足がのびのびとしていて、とても背が高く見える。鍛えていて痩せすぎでない。姿勢や歩き方がとても綺麗。そしていつも自然で作為的でない。
いつも2色以上使わない上に、小ざっぱりしている。見事な髪を、小さなお団子にしている時も多いが、美しさは変わらない。町で一番の美女。若くって、光り輝いている。眼福♡
見惚れてしまう、何か良い事があるかもと、教室に到着。
今日も絶対に独学では覚えられない、良い音の出し方、私はアップが弱いとか、わからないだろう親指角の位置、早いパッセージ、ビブラート、スラーの中のボーイングの分割、重音などのコツを沢山。課題が山積み、
でも私「80になったら墓✖、市のK楽団に入る〇、予定なので頑張るぅうう」と、先生を笑わせる。
そして、前回レッスンを仕事で休んだというY君が、実はコンサートで上手く弾けなくて、前回休んだという事実を知らされる。
案の定だった、実は私、「彼は燃え尽きたかな?」と思っていた…。
そう、この苦しい練習が、肝心の晴れ舞台の日には成果が出せない、焦っているうちに、数分で舞台は終わり、
「この努力はなんだったのだ、今更になって無駄だ、この結果なら、何も挑戦せず遊んでいた方が良かった、」そう落ち込むのだ、たとえ、もう大人であってもだ。いや、大人だからか。
一見優雅でお気楽な遊びの世界に見えるが、試験や試合と一緒だ、いくら普段は弾けていても、本番で思うような力が出せなければ、それは弾けないと同じ、駄目だったと思うのだ、全てが終わりだ。
しかし、これを共感する私と言う生徒がいるのだから、彼はマシだと思う。大学時代、本番で一挺しかないゴンドラバスのソロの間違いを見て来た、奏者の落ち込みをわかる私がいるし、今、自分達個人がソロなので痛いほどわかるのだ。
自分も、7月のコンサート、いきなり来る指の脱力、これはもうメンタルは克服出来ないと、余りの落ち込みに、その晩は眠剤を飲んで寝たほどだった。
でも彼は、曲の途中でそこから立ち直って最後まで弾いたし、そもそも楽譜がまだ良く読めないのに、アルゴリズムでw弾いてしまう技の持ち主w
私は、来年は、コンサートに出ないつもりだったが、
先生に「今から一小節ずつやって、来年Y君のバックを私が、私の時に、バックをY君がつとめる、客席に、またこの二人出てきたのかよー⤵、と思われても、それで2曲やっても出ても良いですかwww」と笑わせた。
この脳貧血のような、本番の指の脱力とは一生の戦いかもしれない、この苦労がわからない人は、わからなくてもいい、また、昔無かったからと言っても、今はわからないではないか、そうそう簡単な問題じゃないのだ。
サポートしてあげたいが、来年は二人で舞台で陥るかもしれないし、問題山積みである、私には、真面目なY君の気持ちがわかる。
そして、自己流でやっている人には、この細かさ=難しさは決してわからない、一音、一小節ごとに、教室でやった細かい課題や所作を、よしっ今無事にクリアーした、次来い、と、舞台で思いながら本番で弾くのだから。自己流ならいくらでも弾けるのは当たり前。
それと、「昔、若い時に○○をやっていた」は、枕詞、序章、私の場合は自己紹介の一部にしか過ぎない、そこまでで、尊敬されるほどの功績を得ていればいいのだが、打ち立てていない凡人の私の場合は、それに続く言葉、
「だから今、そして残り少ないけど、未来に向けて、勇気を振り絞って、小さい子と一緒に一から学び直しているの、」と言う風に、私は続けるようにしている。でないと、年寄りは嫌われるばかりだと思う。だからこそ、40年沈黙して来た。
(あ、あくまで私の場合ね。実際に音楽経験のある人は貴重であり、お話しできるのは私としては嬉しいです。だが若い人から見た場合そうじゃない、今は出来ない過去の栄光、自慢でしかない。子供の学習を見ているとそう思うので。)
確かに若い時に少し音楽をかじった事でY君よりは楽譜は苦手ではないが、それが何だと言うのだ、確かに無駄ではなかった、だが、この今が大切なんだ!私の子供の世代のY君なんか、いくらでも時間がある、落ち込むのはまだ早いのだ。そう教えてあげたい!
そして失敗から、一段と成長した自分がいた、
私も強くなったな、そして、もっと強くなってやる!と誓った。
レッスン後は猫の餌を買う、特に買いだめはしなかった。スーパーからの景色。
ようやく、一週間が終わった、そのまま海へ。
人が沢山集まっていた、その訳は、
富士山が見えたのだった。
浜は夏のような磯臭さが無く、風もべたつかず、実に爽やかだった。
金星@ヴィーナスが見える、
ホルストの「金星」を思い出そうとするが、どうしても有名な「火星」と「木星」になるwww、けれど幸せ。