和泉市は、近代俳句界に名の残る本田一杉(大阪市内城東区で医者)の弟子木下一路さんの故郷で和泉市役所前に自宅があったそうです。
木下一路さんも本田一杉と戦前から全国のハンセン病療養所を訪問していた方です。和泉市内で俳句の指導にもあたられました。本田一杉は俳句の雑誌「鴫野」を刊行して療養所の方が投句した作品を掲載しました。紙の不足時代も続けたのです。「鴫野」は後に「雲海」となり、現在は堺市の田宮美千代さん(本田一杉の最年少の弟子に1945年になった方で女性は極めて少なかった)が1人で継続されています。雲海の句会には和泉市の方の参加が多いのです。長く続いて欲しいと願うところです。先日研修を頼まれて「ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北」のメンバーで出かけましたが、木下一路さんの親族の方とお会いする機会に恵まれました。地元の歴史に関わることは楽しいです。
木下一路さんも本田一杉と戦前から全国のハンセン病療養所を訪問していた方です。和泉市内で俳句の指導にもあたられました。本田一杉は俳句の雑誌「鴫野」を刊行して療養所の方が投句した作品を掲載しました。紙の不足時代も続けたのです。「鴫野」は後に「雲海」となり、現在は堺市の田宮美千代さん(本田一杉の最年少の弟子に1945年になった方で女性は極めて少なかった)が1人で継続されています。雲海の句会には和泉市の方の参加が多いのです。長く続いて欲しいと願うところです。先日研修を頼まれて「ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北」のメンバーで出かけましたが、木下一路さんの親族の方とお会いする機会に恵まれました。地元の歴史に関わることは楽しいです。