『 武人の出家 (3) ・ 今昔物語 ( 19 - 4 ) 』
( ( 2 ) より続く )
さて、説教が終ると、守は聖人たちのいる所に参り、直接お目にかかって、「しかるべき縁がありまして、このように突然おいでをいただき、大変結構な功徳を納めさせていただきましたのも、その時期が到来したのでございましょう。私もずいぶん年老いました。犯しました罪は数限りなく積もっております。『今は法師になろう』と思うのですが、あと一両日ご滞在いただきまして、同じ事なら私を仏道に入れてしまってくださいませんか」と言うと、源信僧都は、「まことに尊い事でございます。仰せの通り、どのようにでもいたしましょう。ただ、明日は吉日でございます。ですから、明日ご出家なさるのがよろしいでしょう。明日を過ぎますと、しばらく吉日はございません」と言った。
それというのも、「このような者は、説教を聞いた時だからこそ、道心を起こして、このように言うのだ。日数が経てば、きっと気が変わってしまうだろう」と思って、このように言ったのである。
守は、「それでは、今日ただ今でも、早速出家させてください」と言った。
僧都は、「今日は、出家するには良くない日です。今日一日は我慢して、明日の早朝に出家しなさい」と言った。
守は、「嬉しく有り難いことです」と言って、手をすり合せて自分の部屋に帰り、主だった郎等たちを集めて、「わしは、明日出家しようと思う。わしは長年の間、武者としていささかの過失もなく過ごしてきた。しかし、兵(ツワモノ)として生きていくのは、今夜が最後だ。お前たちはそのことをよく心得て、今夜だけはわしをしっかりと警護せよ」と言った。
郎等たちはこれを聞いて、皆涙を流して立ち去った。
その後、郎等たちは全員が武具を負い甲冑を着て、四、五百人ばかりが館の周りを三重四重に囲み、夜もすがらかがり火を立て、多くの従者たちが巡察して、油断なく警護した。蠅さえ飛ばさないようにして、一夜が明けると、守は夜が明けるのを待ちかねて、明けるや否や、沐浴して早く出家したいと伝えると、三人の聖人は極めて尊い言葉で以て勧めて出家させた。
鷹屋につながれていた多くの鷹は、足緒を切って放つと、烏が飛ぶように飛んでいった。
あちらこちらに仕掛けている梁に人を遣って破らせた。鷲屋にいる鷲たちも皆逃がした。長明(地名らしいが不詳。)にある大網などを取りに遣って、目の前で切り裂かさせた。倉にある甲冑、弓矢、刀剣なども皆取り出して、目の前に積んで燃やした。
長年仕えてきた親しい郎等五十余人も、同時に出家してしまった。その妻子たちは、互いに泣き合うこと限りなかった。
出家の功徳はもともと極めて尊いこととは言いながら、「この出家は、御仏が特にお喜びになるだろう」と思われた。
守が出家を果たした後、聖人たちはさらに尊いことなどを物語のように言い聞かせると、守はますます手をすり合せて泣き入った。
聖人たちは、「これは、大変な功徳を勧めることが出来たものだ」と思って、「さらに、もう少し道心をつけてから帰ろう」と思って、「明日もう一日滞在させていただき、明後日に帰ります」と言うと、新入道の満仲(守)はたいそう喜んで自分の部屋に帰っていった。
その日は暮れて、翌日、この聖人たちは相談して、「このように道心を起こしたときは、錯乱するほど盛んに起こすものだ。この機会にさらにもう少し強く道心を起こさせよう」ということになり、前もって、「もしかすると本当に信仰心を起こすことがあるかもしれない」と思って、菩薩に扮するための装束を十着ほど持ってこさせていた。
さらに、笛や笙などを吹く人たちを数人雇い、それらを物陰にやり、菩薩の装束を着せて、「新入道がやって来たら、道心の話などをするので、お前たちは池の西にある山の後ろから、笛や笙などを吹いて、美しい音楽を奏して出てこい」と命じた。
そして、命じられたように音楽を奏しながら次第に近づいてくると、新入道は、「あれは、何の音楽ですか」と怪しんで言うと、聖人たちは素知らぬ顔で、「何のための音楽でしょうかねぇ。極楽からのお迎えなどの時には、このような音楽が聞こえるのでしょうか。さあ、念仏を唱えましょう」と言うと、聖人たちと弟子たち十人ばかりが声を合わせて尊い声で念仏を唱えたので、新入道は手をすり合せて尊ぶこと限りなかった。
やがて、新入道が座っている部屋の障子を引き開けてみると、金色の菩薩が金の蓮華を捧げ持って、ゆっくりと近づいてくる。新入道はこれを見て、声を挙げて泣き、板敷より転がるように落ちて拝んだ。聖人たちもこれを尊び拝んだ。
しばらくして、菩薩は、音楽を奏しながら帰っていった。
その後、新入道は縁側に上がり、「まことにこの上ない功徳を造らせてくださいましたなあ。わしは、数限りなく生類を殺した人間だ。その罪を償うために、早速お堂を造り、自らの罪を減じ、殺してきた者どもも救いたいと思います」と言って、すぐさまお堂を造り始めた。
聖人たちは、次の日の早朝に、多々を出て比叡山に帰っていった。
その後、お堂は完成し、供養を行った。いわゆる多々の寺は、その時始めて建立されたお堂などである。
これを思うに、出家は機縁があってのことだとは言いながら、子の源賢の心は、まことに有り難く貴いものである。
また、仏のような聖人たちの勧めたことなので、この極悪の者も前進に立ち戻って出家を遂げたのである、
となむ語り伝へたるとや。
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