雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

あらじとぞ思ふ

2024-05-16 08:00:10 | 古今和歌集の歌人たち

     『 あらじとぞ思ふ 』


 ひととせに ひとたび来ます 君待てば
          宿かす人も あらじとぞ思ふ 

           作者  紀 有常

( 巻第九 羈旅歌  NO.419 )
     ひととせに ひとたびきます きみまてば
              やどかすひとも あらじとぞおもふ


* 歌意は、「 七夕姫は 一年に 一度だけやってくる 愛しい君を待っているのですから その君以外に 宿を貸してもらえる男など あるまいと思う 」といったもので、恋歌に加えてもよい内容ですが、この歌には前書き(詞書)があり、少し違う風景が見えてきます。

* 前書きには、「親王(ミコ)、この歌をかへすがへすよみつつ返しえせずなりにければ、供に侍りてよめる」とあります。
つまり、この歌(本歌の前にある「在原業平」の和歌のこと。)に対して、親王が返歌することが出来なかったので、親王の供をしていた作者が代わりに詠んだものなのです。
従って、在原業平の歌と合わせれば、「羈旅歌」であることが分りますし、それ以上に、歴史の一コマのようなものが垣間見える気がするのです。

*(NO.418)の在原業平の和歌と前書きを記してみます。
   「 惟喬親王の供に、狩にまかりける時に、天の河といふ所のほとりにおりゐて、酒など飲みけるついでに、親王の言ひけらく、「狩して天の河原にいたるといふ心をよみて、盃はさせ」と言ひければよめる 」
  『 狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり 』
惟喬親王の求めに在原業平がこのように詠みましたので、次は親王が返歌すべきなのですが、うまく詠めなかったので、作者が代わりに詠んだということです。

* 惟高親王(コレタカシンノウ・文徳天皇の第一皇子。)と在原業平(アリハラノナリヒラ・平城天皇の孫。)の関係は、共に皇族であり、業平の方が大分年長なので、臣従しているということではなく、親しい関係といったものと考えられます。
そして、この二人は、共に皇族としては不運であり、作者の紀有常とも密接な関係にあります。

* 作者の紀有常(キノアリツネ・815 - 877 )は、平安時代初期の紀氏の中心人物の一人です。
紀氏は、武内宿禰の子の紀角を始祖とする武門の名族ですが、宮廷政治において頂点に立つことはなく、この頃には藤原氏の圧迫を受け、衰退への途上にありました。
常の父紀名虎は、官職は正四位下刑部卿ですから、公卿に至ることが出来ませんでしたが、二人の娘(有常の妹(あるいは姉)に当たる。生母はいずれも不詳。)は宮廷勤めをしていて、種子は仁明天皇の更衣に、静子は文徳天皇の更衣になっているのです。二人とも更衣という低い身分でしたが、いずれも皇子・皇女を儲けています。とりわけ静子は、文徳天皇の第一皇子である惟喬親王の生母なのです。
当然、有常と惟喬親王とは近しい関係であったでしょうし、有常の娘は在原業平の室になっているのです。

* 文徳天皇は、第四皇子の惟仁親王(後の清和天皇)に譲位していますが、これには外祖父の藤原良房の強い圧力があったもので、文徳天皇には譲位の意向を固めるに当たって、惟仁親王が幼いことを理由に(惟仁親王九歳、惟喬親王十五歳)、一定期間惟喬親王に皇位に就ける意向があったともされていますが、藤原氏の権勢に抗しきれず、惟高親王の即位を実現させることは出来ませんでした。

* 掲題の和歌とその前の和歌に登場している、惟喬親王、在原業平、そして作者の紀有常は、激しい皇位争いの中で、いずれも不運を背負うことになったと言える人物なのです。
惟喬親王は上記した通りですが、在原業平の父である阿保親王も平城天皇の第一皇子でありながら政争に巻き込まれ即位への道を断たれています。
紀有常は、皇室に繋がる上の二人とは違って中級貴族の家柄ですが、もし、惟喬親王の即位が実現していれば、有常の宮廷での立場は相当違うものになっていたと推定できます。

* 紀氏は本来武門の家柄です。有常も武官として評価されていたようですが、晩年は地方官の方が主体になっています。もしかすると、惟喬親王と引き離そうとする藤原良房らの意向が働いていたのかもしれません。
有常は、877 年に六十三歳で世を去りました。最終官位は従四位下周防権守でした。この後、中央政治においては、ますます藤原氏の勢力が強まり、紀氏の活躍の場はなくなっていきました。

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