雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

道長 左京大夫に ・ 望月の宴 ( 28 )

2024-03-13 20:33:50 | 望月の宴 ①

      『 道長 左京大夫に ・ 望月の宴 ( 28 ) 』


道長殿に取りまして、左大臣源雅信殿の姫君倫子さまとのご結婚は、道長殿の御運を大きく開かれたと思われるのでございます。
倫子さまのもとに、せっせとお通いになられるようになってほどなく、左京大夫(サキョウノダイブ)にお就きになられました。この職務は、左京職の長官でございますが、右京職とともに都の司法・警察・民政を司るという要職でございます。後には、この職権は検非違使に移りますが、特別な意味を持つ職務とも言えるのではないでしょうか。
世間では、まだお若い方には似合わない職務だと申される人もいるようですが、大殿殿(父・兼家)は、「自分も就いたことがある官職なのだ」と仰せられていますことから、この職務の重要性をよくご存じで、大殿のご配慮があったと思われます。
また、道長殿のお二人の兄君方(道隆と道兼)の北の方は、格別のこともございませんが、何と申しましても、倫子さまのご実家は、賜姓源氏の左大臣源雅信殿でございますから、まことに美々しく婿の道長殿をお迎えなさいますので、お仕えしている人たちも自慢げでございました。


かの花山院は、昨年の冬、比叡山において受戒をなさって、その後、熊野に詣でられて、まだご帰還なさっていないとのことである。
どうして、このような苦しい御山巡りをずっとなさるようなことになったのか、まことに哀れでおいたわしく畏れ多いことであるが、これも御宿命と拝される。

院の御叔父の入道中納言殿(藤原義懐・摂政太政大臣伊尹の五男。花山院の側近。)は、熊野へはお供されることなく、自身は飯室(比叡山横川にある。)という所にお住まいになっていて、こうありたいと思えるような、出家の本懐が叶えられているようである。
この三月に、御僧坊の前の桜が、たいそう美しく満開になったので、ひとり言に口ずさまれたが、それがかなりの時を経てから、自然に世間に漏れ伝えられた、その歌は、
 『 見し人も 忘れのみゆく 山里に 心ながくも 来る春かな 』
惟成の弁(藤原氏。母が花山天皇の乳母であったことから早くから仕えた側近。)も立派な聖人となって、この世の仏よと思われているほどの修行を積んでいた。


さて、このように、花山院のご退位ご出家は、少なからず世間を騒がせました。その裏で暗躍なさった方々がおいでであったとかなかったとか、世間の噂はやがて声が低くなり、宮中の政は滞りなく行われているのは、何とも哀れを感じるものでございます。

ところで、大殿(兼家)の長男であられる道隆殿は、大姫君(定子)と小姫君(原子)という姫君方をとても大切にご養育なさっていて、帝と東宮に入内させたいとのおつもりでございます。
また、長男の大千代君(道頼)は、祖父の大殿がたいそう可愛がられて養子とし、後に山井(ヤマノイ)という所にお住まいの藤原永頼殿の姫君の婿になられました。永頼殿は、幾つもの国の受領を務めていて、豊かだったのでしょうが、それにしても受領級の御家への婿入りは、どういう思惑があったのでしょうか。ただ、これによって、永頼殿は異例の昇進をなさることになります。
この大千代君を大殿はたいそう可愛がられておりましたが、父の道隆殿は、この長男をまるで他所の人のような扱いだと言うことでございます。
三の宮、四の宮につきまして余り耳に入って参りませんが、道長殿は小千代君(伊周・実際は三男)を大切になさっていて、ぜひとも早く昇進させようとのお考えでございました。

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