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「自由の不自由 不自由の自由」
何かに執着できるという人は
自由な環境にいるのかもしれない
執着する余地があるということだ
執着しても
叶う可能性が高く
もっともっとを望んで
苦しくなるかもしれない
自由の不自由
制約が多く
不自由な環境にいる人は
執着すると苦しくなるだけ
仕方ない
と
あきらめることに慣れてくるから
自然に細かなことに
執着しなくなる
伸ばした枝を折られ
伸ばした葉はむしり取られる
執着するとしたら
その本当の気持ちへの追求と
それを手に入れる工夫
本当は何がしたい?
どういう気持ちになりたい?
そこには不自由の中の
自由な発想
折られた枝や葉の代わりに
また新しく伸ばす
力を信じる
どんな環境でも
自分らしい花を咲かせることを
工夫したらいい
その工夫が自由
自分の力を引き出すこと
(晶子)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/06/63817e11481db9e4080ec843ccbe87af.jpg)
庭の大切なクリスマスローズが
切られてしまっても
悪気のない人を責められない。
それでもまた新しい葉っぱを
伸ばしてくれた。
こぼれ種で出てきた芽に
喜んでいたら
雑草と間違えられ
抜かれてしまった。
残念だと思うしかない。
できなかったことは
縁がなかったのだと思う。
やりたいことを止められたとき
その何を目的としているのかを
よく考える。
その目的となりたい気持ちに向かって
工夫していく。
その物事に執着せず
本当の気持ちを追求してみる。
執着がないと
心は楽になる。
ここはいい修行の場。
今日も素敵な一日になりますように♪
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