先日刊行された「写真でみる広島の神社」(広島県青年神職会)に田熊のお宮が掲載されています。昔と現在の様子を写真で対比させるとのことで、管理人が記事を担当しました。当然ながら相当編集されて文調も変えられていましたので原文と共に掲載します。

表紙

神域は町の中央丘陵地にある(面積8414.62坪)。南北朝時代の暦応・康永年間、筑前筥崎八幡宮の御分神が浜に漂着し、田熊村上氏の祖である村上直吉が、鎌倉時代初期より地神的に鎮座していた大頭明神の前の段に奉還、亀甲山八幡宮として社殿を築造したのが始まりとされる。以降、幾度の神域・神殿の拡張、修復が行われ、文政10年には火災による社殿焼失の悲劇に見舞われたが、民の粘り強い意志と努力により再建を果たした。明治42年の拝殿建て替え時には、旧拝殿を境内東側に絵馬殿として移築し現在も運用されている。平成14年、本殿が旧因島市(現尾道市)重要文化財に指定され、平成26、27年に大規模な修理工事が実施された。今も民の精神的拠り所として、大地が安らかなることを希求している。

「明治絵図」明治31~34年頃に描かれた鳥観図

「神殿」昭和15年、当時の神主、村上芳喜氏とともに

「絵馬殿」
明治42年に拝殿が新築された際、旧拝殿は境内東側に移築され現在に至る。写真は昭和47年ころの様子で、地元瓦の屋根、江戸設計の船底天井以外は、大幅に改築が施されている。

「拝殿」明治40年頃。移築前の旧拝殿(現絵馬殿)。

「忠孝碑と二の鳥居」
明治23年に建立された忠孝碑と田熊村軍人会。随分古く建立年は定かではない二の鳥居前で総代らが並ぶ。何れも昭和15年。

「空中写真」
平成25・26年の本殿を大規模改修後の様子。広大な神域と長い表参道(146米)の様子が判る。