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夜な夜なシネマ

映画と本と音楽と、猫が好き。駄作にも愛を。

伯母のこと(その2)

2007年06月21日 | まるっきり非映画
今週初め、伯母に会いに行きました。

宙を見つめていましたが、
「来たよ」と声をかけた瞬間、伯母が泣き出しました。
一緒に泣いてしまいました。

涙が落ち着いたあと、口を開くのも辛そうなのに、
いっぱい話をしてくれました。
伯母が特に楽しげに話していたのは、
お気に入りだったイタリア料理店のことです。

マンションの6階に住む伯母は、
廊下側へ出れば見えるそのお店が大好きでした。
ランチタイムで混み合うお店を階上から眺め、
お客さんが引けてきた頃を狙って、
ひとりのランチを実に楽しんでいました。

そのお店のディナータイムに、
伯母が倒れる数週間前、一緒に行ったことがあります。
あれやこれやとアラカルトで飲んで食べ、
ワインもたくさん飲んだ伯母は、
「ひとりで来たらいろいろ食べられないもんね。
こんなに食べられて嬉しかった」と幸せそうでした。

先月、私がそのお店におじゃましたさい、
伯母と、数回訪れただけの私との繋がりなど
お店の方は覚えていらっしゃらなくても当然だったのに、
帰り際、マスターが「伯母さん、どうしてはります?
そろそろ来てくれはる頃かと思ってるんですけど」と
声をかけてくださいました。

病室で伯母にその話をしたときのなんと嬉しそうな顔。
「あと2回ぐらいは行けると思ってたのにね。
行けなくて残念やなぁ。本当に楽しいお店だった。
小さな町の小さなレストランだけど、
ずーっと頑張ってほしいって言っておいてね。
みんなであのお店に行ったら、私のことを思い出してね」。

そんな話のあと、伯母が私の顔を見て、
「あんたも行きそうやな」と言うので、
「え?どこへ?」と聞き返しました。
しかし、何が言いたかったのか、伯母自身もわからない様子だったため、
「私も逝きそう?そしたら、私も伯母ちゃんと一緒に逝くわ。
空の上で一緒に誕生祝いしよ」と言ったら、
「そやねぇ。楽しそうやねぇ。あのお店、あるかな」と伯母。
空の上にも開店してくださいって、伝えるよ。

「また来るね」と言うと、
「ありがとう。そのときはもう息がないかもしれないけど、
来てくれたら嬉しいわ」。
そして伯母は、こう続けました。

「この世の中に楽しくないことなんて
 ないんじゃないかと思うぐらい、毎日楽しかった。
 いろいろ楽しい話ができてよかった。いい日だった」。

そう言って、伯母は目を閉じました。
今晩、空へ行ってしまうかもしれません。

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伯母のこと(その1)

2007年06月20日 | まるっきり非映画
今日は映画と関係ない話をさせてください。

私には大正生まれの伯母がいます。
7人の兄姉妹を持つ母の、長姉であるその伯母は、
2005年に倒れて以来、病院に留まり、
もうじき息を引き取ろうとしています。

生涯独身を通し、マンションにひとり暮らし。
ハイカラで旅行好き。海外へ行くこともしょっちゅう。
世間でインターネットという言葉が常識となった頃、
英文タイプに慣れ親しんでいた伯母は、
パソコンなんて自分にとってはお手の物だと思ったらしく、
「インターネットをしてみないと死ねない」と言い出しました。
届いたパソコンを嬉々として触ってみましたが、
まずマウスが上手く使えません。

自分に操れて当然だと思っていたパソコンが
まったく言うことを聞いてくれなくて、
伯母はイライラし通しでした。
自分ができないのは私の指導が悪いせいだとばかりに、
パソコン教室に通い始めましたが挫折。
生協のお兄ちゃんが指導を試みるも、すぐにお手上げ状態に。

そしてようやく、高齢になってからのパソコン操作は
意外と難しいと悟ったらしく、やけに素直になりました。
「何度も教えてくれてるのに、すぐに忘れてしまってごめんね。
私がアホやから、ようできんでごめんね」と。

できることだけしよう。当たり前のことですが、
お互いにそう思ったらイライラすることもなくなり、
ふたりのパソコン教室も楽しくなりました。
あれこれ操作はできないから、ここをクリックするだけね。
やがて、メールの送受信だけはできるようになりました。
ただし、ローマ字入力しかできません。
文字入力の変更の仕方をすぐに忘れてしまうから。

こうして、伯母から毎日、ローマ字メールが届くようになりました。
今日の阪神、がんばったねとか、
サヨナラ負けでけったクソ悪いとか。

「ローマ字だけのメールなんて、
みんな読みづらいって言わはるねん。
ちゃんと日本語で入力できるようになりたいわ」。
そう口にしたことも何度かありました。
「ここを押したらええだけやねんけどね」と言うと、
「そやったね。でも、また忘れるからええわ。
私はこのままローマ字で通すわ」と笑っていました。

今から思うと、ちょっと寂しそうな笑顔でした。
みんなができることだったんだもの。
兄弟姉妹のゴッドマザー的存在だった伯母は
できるようになりたかったのかもしれません。
ちょっとぐらいビシッと、覚えるまで言ったほうがよかったかな。

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大晦日の「わが家の常識」、おせちとお蕎麦

2005年12月31日 | まるっきり非映画
これだけで終わるのは寂しいので、
映画とはこれっぽっちも関係ありませんが、
「おせち」と「年越し蕎麦」について。

生まれも育ちも大阪の私が、
ずーっと「世間の常識」だと思っていた
「わが家だけの常識」があります。

私の実家ではおせちは大晦日に食べ始めるもの。
そしておせちをさんざん食べたあと、年越し蕎麦に突入。
子どもながらに「なんでこんなにおせちを食べた後やのに
年越し蕎麦まで食べなあかんねん」と思っておりました。

これがわが家だけの常識であることを知ったのは
大学に入ってから。友だちと話をしているとき偶然に。
関西ではおせちは元旦から食べるものだと知り、愕然。

真相はこうです。
東北ではおせちは大晦日から食べるもの。
秋田生まれの父のため、
母は大掃除のあとにせっせとおせちを作り、
レコード大賞の始まるころには
家族でこたつに入っておせちをつまめるようにしていました。
しかし、神戸育ちの母には関西人の意地があったのか、
おせちの後であっても年越し蕎麦を食べないわけには
いかなかったようです。

「おせちでおなかいっぱいでお蕎麦は入れへん」という私に
「少しだけでも食べなさい」と迫った母の気持ちが
「わが家だけの常識」を知ったと同時によく理解できました。
嫁いだら夫の実家の慣習に従うものだと言う人もまだまだ多いでしょうが、
昭和一桁生まれの母が父の習慣を尊重しつつ、
ちょっと意地も見せていたのが頼もしくてなりません。
両方取り入れられた折衷案、私はとても気に入っています。
今日も夜には食べられるように用意されたおせちを分けてもらいに
実家へ行ってまいります。

みなさま、本年もおつきあいをありがとうございました。
よいお年を!

ちなみに正月のお雑煮は、
元旦はおすまし、2日は白味噌です。
ここにも母の意地が。(^^;

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阪神、優勝。〈本番〉

2005年09月30日 | まるっきり非映画
一昨日の観客の応援も凄かったですが、
昨日は本当に地鳴りが聞こえました。

試合の経過は省略するとして、
球場内でその光景の凄さにウルッときたのは
藤川がマウンドに上がったときのフラッシュです。
数千の星のごとく瞬くカメラのフラッシュに
宇宙にいる気分にさせられました。
試合の邪魔だったでしょうが、あまりの美しさに感激。

久保田は相変わらずのプチ・サスペンス劇場。
一昨日の試合だって、スポーツニュースで見れば
危なげなかったように放送されていたけれど、
ホームランを打たれてドキドキ。
昨日もふたりも続けてランナーを出してハラハラ。
でも、ハラハラドキドキが始まってからの久保田がいつも凄いから、
これがやはり「サスペンス劇場」の醍醐味ですね。

そのサスペンス劇場も1点に抑えて終幕。
選手全員の記念撮影のさい、下柳が隣の金本のほっぺに
終始チュッとしようとしていたのがお茶目でした。
格闘家の桜庭和志と大の仲良しのシモちゃん、
ゲイ疑惑は仕方なし。それでも私は好きやで!

試合後の50,000人近くのウェーブ、壮観でした。
今年の甲子園でのオールスター、
広島の前田に対するスクワット応援を見て泣きましたが、
昨日のウェーブも感涙もの。
こうして満足感いっぱいで甲子園を後にしました。

毎年、年間予約席を購入するにあたり、
阪神の強い弱いにかかわらず、
シーズン通してどのカードでも喜んで行ってくださる方に
わが家の割り当て分の買い取りに協力していただいております。
9月はどうせ消化試合だろうと思って
巨人戦は早い時期のものをお渡ししたら
私自身がおいしい思いをすることになってしまいました。
ごめんなさい。そして、本当にありがとうございます。

今日は地上波の放送はないようですが、
1992年のヤクルトの優勝が決まった翌日の試合を思い出します。
優勝の決まったヤクルトに阪神がエールを贈り、
ヤクルトからは感謝のエール。泣きました。
しかし!酔っぱらいばかりのはずのヤクルト。
古田がシャレでセンターを守ったりしてたのに、
そんなチームに阪神は完敗でした。
今日はちょうどその逆。頼みますよ、阪神の皆様。

最後に、昨日の巨人ファンに感謝。
ウェーブのときにも欠けたところがあるように見えなかったのは、
巨人ファンも残ってくれていたということだと思います。
敬意を表したいです。

阪神におめでとう。
しばらく余韻に浸らせてもらいます。

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阪神、優勝。〈前置き〉

2005年09月30日 | まるっきり非映画
本日は映画にはまったく関係のない話です。あしからず。

私の母は神戸の出身ですが、父は秋田の出身。
巨人戦しか放送のない地方だったであろうに、大のアンチ巨人。
こんな父に似たのか、巨人を目の敵にするうちに
私もいつしか阪神ファンに。

独身時代は毎カード、甲子園に通いました。
ひとりで観戦するのも大好きで、
秋空の下、がら空きの外野席でよく観たものです。
「ネエちゃん、ひとりで来てるんか」と
近くのおっちゃんにビールをご馳走してもらうことも。

顔も思い出せない外国人選手、ディアーがいた1994年、
“Deer”の1文字ずつを書いたプラカードを持った4人組が
ビールの売り子さんを呼ぶさいに
“D”だけ“B”に変えて掲げていたのが
これまでに見た洒落たプラカードNo.1です。

あるとき、ダンナと出かけた甲子園で、
ダンナの勤務先の人にばったり出会いました。
会社では結構怖い先輩で通っていた人らしいのですが、
「なんや、お前、阪神ファンやったんか」、
「いや、僕じゃなくて嫁さんが」という会話になり、
その人が応援団の一員であることも判明。
弱い阪神にもかかわらず、
シーズン通して甲子園通いしていることをよく思ってもらえたのか、
応援団員の席に入れてくださるようになりました。

それから数年後、その人が脳梗塞で倒れました。
一命はとりとめたものの、半身に後遺症が残り、
立ち上がることも思いのままになりません。
振り絞るように出す声も、聞いていて辛かったです。

倒れられてから数ヵ月が経過したオフシーズン、
入院中のその人から電話があり、
「年間予約席2席を一緒に買わへんか」とお誘いを受けました。
半身が不自由な状態では、身動きの取りやすい席でなければ
甲子園で観戦することはできませんから。
いつかは手に入れたいと思っていた年間予約席ですが、
ホイホイと買える値段ではありません。
電話を受けたダンナは一瞬悩んだようですが、
ここで断れば、値段的にその人も年間予約席を断念せざるを得ない。
これは話に乗っとこうと即決。

後日、奥様からメールをいただきました。
「シーズンが始まったら甲子園に行くことだけを楽しみにして
主人はリハビリに励んでいます」とのこと。
ただし、熱狂的な巨人ファンである奥様は
こう結んでおられました。
「主人に阪神の優勝を見せられたらと思うものの、
私の心中は少々複雑です」。(^_^;

やっと昨日の話に進みます。

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